【手塚治虫漫画全集】全巻紹介 第2弾!51巻~87巻編
手塚治虫と言えば
信じられないほど膨大な数の作品を残している作家であります。
「手塚治虫漫画全集」でも全400巻あり、ファンの方でも全部読んでいる方は少ないと思います。
なので「名前は知っているけど何を読んでいいのか分からない」と言う方が多いのは当然。そこでこの【note】では講談社発行の「手塚治虫漫画全集」をベースに手塚作品をガイド的に紹介しています。
今回はその第2弾!
51巻~87巻までのご紹介となります。
「フィルムは生きている」
1958年に「中学一年コース」にて連載
この作品は大作でも名作でもありませんが
手塚先生が生涯に渡り執念を燃やしたアニメへの想いを託した作品であり
アニメ業界を舞台にした青春ドラマになっています。
アニメーション映画作りに夢と情熱を傾ける若者の姿を描いた青春漫画で手塚先生がアニメの知識をこのマンガを通して読者に
啓蒙活動、解説している感じだと思えば分かりやすいかと思います。
作中に出てくる
「フィルムは生きているんじゃ」
というセリフにあるように「絵の動きが死んでいる」のはマンガではなく
「絵に生命を吹き込む」というのがマンガである。
という手塚マンガの根源に迫る内容になっています。
一般にはマンガ家:手塚治虫のイメージが強いですが
実はそれ以上にアニメーター:手塚治虫の功績は巨大です。
後に手塚先生の首を絞めることになるほど莫大な経済的負担を抱えるアニメ制作ですが、その執念は凄まじくマンガで得た資金をすべてつぎ込むほど情熱を燃やしました。
ある意味で実際のアニメよりもこの「フィルムは生きている」に書かれたメッセージの方が遥かに手塚アニメともいえるかも知れません。
絵を生かすために悪戦苦闘した手塚先生の、アニメ制作に向けたものすごい決意表明を感じられる一作となっています。
「ファウスト」
1949年に「不二書房」から出版
こちらはゲーテの名作「ファウスト」の書下ろしでありますが手塚先生のファウストに対するこだわりっぷりは強烈で本作含め、3回書いています。
3回ですよ、3回。
同じマンガのネタを3回書きます?
もう変態ですよ。
1つはこの作品で
2作目は「百物語」という作品
3作目は絶筆となった「ネオ・ファウスト」になるのですが
実に死ぬ間際までこの「ファウスト」を書いているという手塚治虫を語る上で欠かせない作品であります。
どれも原作のエッセンスを取り入れ手塚流にアレンジしており特徴的な作品に仕上がっておりますが個人的には絶筆の「ネオファウスト」がオススメ。
ちなみに手塚先生は他にも名作文学のマンガ化に意欲的に取り組んでおり
ドストエフスキーの「罪と罰」や、
シェイクスピアの「ベニスの商人」のマンガ化も手がけています。
「ライオンブックス」
1971年に「少年ジャンプ」にて連載
手塚治虫の短編集であり全5巻のどれも傑作
特に1971年の「安達ケ原」これ代表作です
SFものが多く今読むと古典的な印象を受けるかも知れませんが
1950年当時からこの世界観を描いていた先進的なスタイルはまさに驚愕。
そしてこれらに影響を受けて日本のSF文化が花開いていくわけですから
今振り返れば手塚治虫は日本SF作家の先駆者ともいえるでしょう。
能楽をSFにアレンジした「安達ケ原」
ゲーテのファウストを伝奇アレンジした「百物語」
地上げ屋を痛烈に批判した風刺マンガ「マンションOBA」
まだまだたくさんあるのですが
とにかく無尽蔵ともいえる発想とセンスは唯一無二。
マンガ文化が成熟していない時期にこれだけのものを発表していたのは
驚きとしか言いようがありません。
先進的すぎておそらく何が何だか当時の人は分からなかったと思います。
それくらいオリジナリティに溢れており実験的な作品が多いです。
実際にこの作品群に触れSFの世界へ踏み込んだ有名作家は多く
間違いなく日本のSF文化の先駆け的な立ち位置にあるのは誰もが認めるところだと思います。
「すっぽん物語」
1971年作、超ド変態短編が繰り広げられる大人手塚の傑作群。
手塚治虫って児童マンガばかり描いている人でしょって思っているアナタ。
それと同じくらい大人マンガも描いているのが手塚治虫です。
しかも強烈なものばかり。
先入観が強い人ほど「え?マジで?」ってなることでしょう。
本当の手塚治虫の世界を覗いてみては如何?
「エンゼルの丘」
1960年に「なかよし」にて連載
これは手塚治虫が描いた少女漫画ですが単なる少女漫画に留まらない
凄まじい作品です。
日本漫画の女性キャラの立ち位置を決定づけた問題作であり
ムダなエロスをまき散らす萌え狂った傑作であります。
何を言っているのか訳わかんないと思いますが
この記事を最後まで見ればその意味が分かると思います(笑)
「グランドール」
1968年に「少年ブック」にて連載
人間そっくりに変身する人形を地球に送りこみ、密かに地球侵略をしようと企む宇宙人と戦う少年の活躍を描いた地球侵略テーマのSF作品です
地球侵略というSF設定に対し、このマンガの真にスゴイところはいわゆる異星人との地球侵略のドンパチマンガではなくむしろ逆。
何もしない。
グランドールなる人形を地球に大量にばらまいただけという侵攻。
そっ気もクソもない人形が(グランドール)
人間そっくりに化けていつの間にか人間として暮らし始めます。
何千万という人間化したグランドールが、
地球人に混じって生活して学校にも警察にもマスコミにも、そこらじゅうに拡散していきます。すると本来人間だった人たちがもしかして自分の身近にもグランドールは混じっているのではという疑念が?
そして実は家族もグランドール…?
そういう恐怖感を感じさせるミステリーSFマンガです。
さらに主人公自身も実はグランド-ルだという自分の存在意義すらも大きく揺らぐ衝撃。このように数々の謎を残し物語は進んでいくのですが一向に侵略者たちの目的が見えてきません。
人間に何かの実験をしているのか?
侵略者の目的はなんなのか?
普通じゃないSFマンガです。
「SFファンシーフリー」
1970年に「デラックス少年サンデー」にて掲載
この世界がニセモノだったら…?
当たり前だと思っていた世界が実はそうではなかったという
自身の平衡感覚を失ってしまう世界観を持った作品。
とても1970年とは思えないかなり今時の感覚なマンガです。
都市伝説、陰謀論などと同じで
この世界は一体なんなんだろう。
何か大きな力によって支配されているのだろうか。
もしかしたらこの見えている世界そのものが虚像で
すべて創作されたものなのではないか。
そういう誰しもが一度は思ったことのある違和感を描いた傑作です。
「人間ども集まれ」
1967年に「漫画サンデー」にて連載
大人マンガのエポックメイキング的存在
そもそも大人マンガという概念すらなかった時代に
児童マンガ、青年マンガとも違う位置づけで書かれたマンガ
いわゆる風刺をこめたブラックユーモア溢れたチャレンジ的マンガです。
戦争という人類の汚点をテーマに
戦争に翻弄される人間のやりきれなさを描いています。
反戦を描くというより戦争に対しての無力感、
救いようのないやるせなさ
グロテスクな悲劇、喜劇
チャップリンが好きだった手塚先生のチャップリンの「独裁者」的作品
ストーリーは東南アジアの独裁国パイパニアでは、人工受精によって人間を大量生産し、兵士にしようという計画が進んでいました。
日本の自衛隊から義勇兵として送られた天下太平は、
脱走して捕まり、人工受精の研究の実験台にされてしまいます
そこで驚愕の事実が発覚。
太平の精子は特殊なもので、彼の精子から生まれた子供は、男でも女でもない第三の性、働き蜂のような「無性人間」だったのです。
生殖器を持たない第三の性「無性人間」の発見により
そこで男でも女でもない人間を大量生産して戦争に駆り出すという
とんでも話になっていく…。
全人類去勢ともいえる、ある意味究極の下ネタをぶっこんだ
ブラックユーモアの記念碑的作品です。
この作風自体は長く続かず今とはなっては貴重な作風となりましたが
その理由として世間の反応、人気が良くなかったことが挙げられます。
色んなジャンルを開拓してきた手塚先生でしたがこのジャンルだけは
成熟しなかったという珍しい立ち位置の作品にもなりました。
あまりにも高度なジャンルのためシンプルに後継者が育たなかったこともあったりライバルとなる存在がいなかったことも影響しています。
「フースケ」
1969年に「漫画サンデー」にて連載
手塚ブラックが炸裂した変態短編集
とにかく規格外。発想がすごい。手塚治虫が描いているからセーフなところあると思います。他の漫画家さんがリメイクしたらとんでもないことになるでしょうね。ストーリーだけ見るととんでもない作品ですね。
手塚治虫を清い児童マンガ家だと思って読んだらヤケドします。
「虹のプレリュード」
1975年に「少女コミック」にて連載
心臓マヒで急死した兄になりすました妹のルイズが、
世界的なピアニストになることが夢だったという兄の遺志を継いで、
兄になりすましてワルシャワ中央音楽院に入学というストーリー
そして入学したその音楽院に天才がいると聞かされるんですが…。
それがあのショパン
歴史的事実と実在の人物、
そして創作された“いそうでいない”人物を登場させ、物語が展開させる手塚ストーリーは非常に巧みであります。
史実と創作の絡みつき加減が絶妙。
当時のロシア圧政下にあったポーランド、ワルシャワを舞台に、
若者たちの革命と音楽への情熱、恋愛模様を描いた一大感動作になっており
隠れた少女漫画の傑作でもあります。
一見すると音楽マンガのようですがそこまで音楽を題材にはせず、
恋愛や生き様を主軸にすえた展開と哲学的な深さは流石、「リボンの騎士」で少女ストーリー漫画を確立させた手塚先生ならではの脚本と言えます。
そして本作は手塚治虫の最後の少女漫画誌連載となりました。
今回はここまで。
次回第3弾はこちらです