手塚治虫の荒唐無稽と呼ばれたSF大作「ノーマン」解説
今回は荒唐無稽と呼ばれたSF大作「ノーマン」をご紹介いたします。
手塚治虫の得意とするSFマンガ、しかし本作の人気はイマイチで
時代の流れに埋もれた作品となってしまいました。
今回はその理由と時代背景を辿り本作の魅力をお伝えいたしますので
是非最後までお付き合いください。
本作は1968年4月から「少年キング」に連載されました。
あらすじは
主人公は、超能力を持っているであろうと思われる少年・タク。
お父さんが商社マンで、ある日突然海外への転勤を命じられます。
一家で新しい赴任先へ向かうとそこには2人の男が立っていました。
彼らもそれぞれの理由でここに来るように指示されたというのです。
すると謎の男が現れ
いつの間にか5億年前の月にワープさせられてしまいます。
実はワープ先の帝国の王子ノーマンが宇宙からの侵略者と戦うため様々な星から超能力者を集めており、タク少年は超能力を見込まれ地球から呼び寄せられたのでしたというのが大枠のあらすじとなっております。
本作は人気のなかった作品と言われておりますが
意外にもといったら失礼ですが第一話は最高の第一話になっています。
手塚作品の中でもベスト10に入ってもおかしくない素晴らしい第一話です。
不穏なナレーションから始まりページをめくると
冒頭にいきなり飛び出してくるドデカイ月のインパクト。
これはなかなかに衝撃的。
そして不気味な月の正体とこれから巻き起こるであろうスペクタクルを予感させる幕開けは実に素晴らしい。
指定された場所に向かうと同じような境遇の人がいて
「これから一体何が始まるんだ」と思わせる非常にミステリアスな展開は
惹きつけ方としては最高レベルのオープニングだと思います。
しかし
2話目からは最初の設定をガチ無視した宇宙戦争よろしくのSFバトルに展開
これにはビビります。
最初読んだ時マジで何が起こったのか分かりませんでした。
おどろおどろしいまさにサスペンスホラー調の導入から
突如タイムワープするという奇想天外のぶっちぎり設定。
この展開は読めません。
確かにこの表紙でSF怪奇マンガってなっているんでSFをどうミックスするんだろうと思ってたら第一話は恐ろしく怪奇でした。
なるほどこういう展開なのねと思ってたら急転直下のタイムワープ。
これには参ります。
そしてその後のストーリーも月の侵略戦争というファンタジーSFにしては
なかなかに血なまぐさい設定で虐殺や破壊など少年誌では感情移入しづらい展開…。
これはヤバいぞと思ったら
やっぱり迷走気味のストーリーは長く続かずあえなく終了となりました。
でもボク個人的には、嫌いじゃありません。
嫌いじゃないんですけどこの無茶ぶりの連発は荒唐無稽と呼ばれても
仕方ないかなとは思います。
でもこの「ノーマン」がなぜ人気が出なかったのか。
それは荒唐無稽な設定だけではなく時代背景の影響が大いにあります。
発表当時の1968年と言えばスポ根アニメの金字塔「巨人の星」が放映開始されその重厚感あふれる作品は「劇画」の台頭を決定づける人気となりました。と同時期に「少年マガジン」にて連載していたマンガ界と連動してまさに時代を牽引していたと言えるでしょう。
「ガロ」の「サスケ」のアニメ化もこの年で時代はまさに劇画時代。
このことについて手塚先生はあとがきにこう記しています。
これまでのファンタジー色の強いマンガではなく「劇画」いわゆるリアル志向に時代が向かい手塚先生にとっては完全に逆風。本人も語るようにジレンマに陥っていました。
ちなみに1968年の人気漫画は
アタックNo.1、ゴルゴ13、ハレンチ学園、あしたのジョー、サスケ
男一匹ガキ大将、ねじ式、など
完全にこれまでの丸みを帯びた手塚マンガとは毛色が違うことが分かります
この潮流は正確には1965年に「W事件」が起きて1966年に「ウルトラQ」の放映が開始されてから時代の潮目が変わっていったのですがこの頃にはもう
手塚治虫へのカウンターカルチャーが隆盛を極めています。
しかしここで手塚先生がスゴイのは時代遅れと囁かれながらもとんでもない物量の作品を描いていることです。
1968年に「ノーマン」と同時連載していたものを羅列しますと…
幼年誌「ガムガムパンチ」
学年誌「シャミー1000」
少年誌「八丁池のゴロ」「グランドール」「どろろ」「アトム今昔物語
「ブルンガ一世」「火の鳥ヤマト編」
青年誌「地球を呑む」
大人雑誌「人間ども集まれ」
どうですか、この超ド級の作品数、多様性でいえばキャリアの中でも最も振り幅の広いジャンルを描いています。
これが時代遅れの落ち目の作家の物量かと、にわかに信じがたい仕事量をこなしていますが別の側面から見ると
「描きたいものが定まっていない。何を描いて良いのか分からない」
とも見えます。
時代の反発として描いたSF作「ノーマン」も
時代の流れに合わず荒唐無稽と一蹴されてしまうんですね。
このように手塚先生はマンガ表現の変革に悩まされ
どの方向に進んで良いのか編集部も苦心していたことが伺えます。
荒唐無稽と呼ばれた作品
「無稽」とは根拠がないこと。でたらめであることという意味ですが
この作品以前にもSF作品はたくさんありそれこそデタラメな荒唐無稽な作品が多数ありました。にもかかわらず叩かれたのはやはり時代の流れがそうさせてくれなかったのでしょう。
その反撃ともとれるコメントがあとがきに残されております。
…とありますが調べてみますと
この時期にソ連が初めて月ロケットを打ち上げた形跡はありません。
打ち上げてはいますが、これは月ロケットではなくただの有人軌道です。なのでおそらくアメリカのアポロ7号か8号のことだじゃないかと。
7号はアポロ計画での初の有人飛行ですし
8号は初の有人月周回ミッションですから
多分手塚先生の記憶違いでしょう。
そして皆さんご存じの
月面着陸で知られるアポロ11号は、1969年なので「ノーマン」連載のさらに1年後のことですからやはりこの時期に月面のお話は荒唐無稽と呼ばれても致し方なかったことでしょう。
その最終回の締め切り日に人類が本当に月に向かう日が来たんですから
そりゃあ手塚先生は大興奮したのが目に浮かびますよね。
時代に翻弄されたSF怪奇マンガ「ノーマン」
不遇な作品ですが機会があれば最初の第一話だけでも読んでみてください。
何か感じさせるものがあると思いますよ。
さて、最後にノーマンのこぼれ話をひとつ。
現少年画報社の取締役社長である戸田さんは新入社員として入社早々手塚番に任命されましてその時初担当したのがこの「ノーマン」でした。
その時の手塚先生の原稿の仕上げ方にビビって今でも忘れらない記憶にあるそうです。
というようにとんでもない忙しさの中でも各雑誌のスケジュールは頭の中に入っていた手塚先生に驚愕したそうで
さらにこの公平にというところが戸田さんが最も驚いたポイントと語ります
というそれこそ荒唐無稽なエピソードを語っておられました。
これも超有名なエピソードで手塚治虫伝説のひとつではあるんですが
そもそも締め切りに間に合うようにすれば
こんなエピソード必要ないんですけどね(笑)
しかも「折」から仕上げるってどこまでギリギリなんですかって話です。
「折」から編集に渡すってことは印刷をかけてる段階で仕上がっていない原稿があるってことですからね。
順番に描かなくても描ける手塚治虫もすごいけど
ここまで締切を伸ばす手塚治虫もすごい。
まさにカオス。
ピークでは同時に11本の連載を同時進行していましたから
本当にこんな感じだったんでしょうね。
まったく恐ろしい限りです。
はいというわけで「ノーマン」みて参りました。如何でしたでしょうか。
はちゃめちゃな状況で描き上げたSFマンガ
手塚先生のもがいた形跡が垣間見える荒唐無稽作品
これを機にお手に取ってみてください。