恋人の愛か信念か?それとも国家権力か?権力に逆らえなかった非業の愛
今回はライオンブックスをご紹介いたします。
手塚作品と言えば「火の鳥」「ブッダ」のような大河ロマンが最高峰に位置していることになにも異論はないですが、それと同時に手塚先生は非常に優れた短編作家でもあり秀逸な短編作を多く残していることにも注目いただきたいと思います。
そしてこのライオンブックスは手塚先生の秀逸な短編集となっております。
SF,サスペンス、歴史、伝奇、現代社会など
圧倒的な守備範囲でほぼすべてのジャンルを網羅していると思えるほど
多種多様で手塚先生の底知れないイメージと魅力が堪能できるかと思います。
もう本当
どこからこのストーリー沸いてくんの?って感じで
世界観の守備範囲が広すぎて驚愕します。マジで。
生涯15万ページを描いたアウトプット量もとんでもないことですけど
クソ忙しいなかでも抜け出して映画を観ていたとか
インプットの量も常人を遥かに超えている変態です。
このインプットの量が、これらの秀逸なストーリーを生み出す源泉になっているのは間違いありません。
本当このまま長編連載で使えるような作品や
短編で終わらせておくには勿体ない作品も多く
現代の連載を長引かせるだけの、もったいぶった演出や
ダラダラとしたストーリー展開は一切なし。
限られたページ数という当時の時代背景と制限もありますが
非常に話の展開が早くスピーディー
今のマンガの10倍のスピードといっても過言ではない疾走感と凝縮感
濃密でいてメッセージ色の強い作品ばかりです。
ほんとこの短編一個で映画が1本録れるくらいのクオリティであります。
(一部映像化、映画化されているものもあります)
そんな手塚治虫の短編を体験できるのは手塚治虫漫画全集では
ライオンブックス、タイガーブックス、ザ、クレーター
空気の底、ショートアラベスクなど豊富に短編集があります
短編なのでどこからで楽しめる作品となっているので初心者にもおすすめです。
その中でご紹介するのは
「ライオンブックス」シリーズ
このライオンブックスの中にはですね。非常に秀逸な短編が含まれているんですけど今回は手塚短編の代表作ともいえる
能楽をSFにアレンジした「安達ケ原」をご紹介していきます
1971年昭和46年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された作品です
能楽というのはあの能楽です。
「世界最古」と言われる日本独自の舞台芸術で
ユネスコにも「世界無形文化遺産第一号」として認定された由緒ある非常に奥の深い芸術。
その能楽に「黒塚」という演目があるのですがそれをSFにアレンジしたのが今回の「安達ケ原」というわけです。
ボクは能楽の事を全然しらなかったんですけど手塚先生ってどんだけインプットがあるの?ってほんと驚きです。守備範囲そこまで?って感じですよね。
この短編の冒頭見開きに「能楽」のワンシーンが描かれているのですが
次のページがいきなりロケットですから
知らない人が見たらなんじゃこれ???ってものすごい違和感を感じるんですけどこの読者の置き去り感がまさに手塚治虫です(笑)。
ストーリーは主人公のユーケイという地球の腕利き調査官
宇宙に逃亡した政治犯や凶悪犯を追いかけて殺すことが仕事で
とある魔女の館と呼ばれる惑星に到着し抹殺ミッションを行います。
そこへひとりの老婆が現れ
疲れたユーケイをもてなし旅の苦労を癒してくれます。
その老婆は食事と一夜の宿を提供しますがユーケイは休んでいる中、
なにか異変に気付き目を覚まします。
ここは能楽の「黒塚」がベースになっており実際に福島県二本松市安達ケ原という土地には、旅人を泊めては殺し、その肉を食べて生き血を吸ったという鬼婆の伝説が残っています。
そして年老いた杉の根元に鬼婆の墓といわれる黒塚が残っています。
それで異変を感じたユーケイは勝手に老婆の扉を開けると
そこには死骸が転がっていました。
すると老婆は
「わしはあんたに何もしていない」
「むしろもてなしをした、それなのになぜわしを疑う」と問いただします。
ユーケイは
「お前の証拠を押さえるためにわざと泊まった」と
逃げる老婆を追い詰め
ユーケイは老婆を殺そうとしますが老婆が命乞いをします。
「死に土産にあなたの身の上話をして欲しい」と頼む老婆
自分の過去を語り今の地球の有様を語りだすユーケイ。
ユーケイは実はテロリストで地球で捕まり最愛の恋人とも別れ
無理やりロケットに乗せられ30年間の流刑星に流されていました。
星につくなり冷凍睡眠から目覚めた途端
地球では革命が成功したと告げられ地球に戻ることに。
実際はたった二晩眠っただけでテロが成功したという奇妙な体験をすることになります。
そして60年ぶりに地球に戻ると大統領の要請を受け宇宙調査官になります。
その間、別れた恋人を探すも33年前に地球を飛び出したことを知り絶望。
あれから60年も経っているんだから…しょうがない…。
それからは職務に没頭し
腕利きの調査官としてここに来た
と老婆に話す。
話を聞いた老婆は
「あんたの名前は聞いていた」
「まさか殺し屋ユーケイがあんただとは」
地球のどれだけの人があの大統領のために苦しんでおるのか
権力の犬に成り下がった…と吐露
「うそだ!ばばぁに何が分かるか!」とユーケイ
老婆は言う、確かに革命は終わったと。
しかし人間の欲は限り深い、革命政府も結局欲にまみれ自分を守るために
都合の良い政治を押し付けてきた
政府や警察から追われてあんたの恋人も戦ったのかもしれん。
仲間も一人づつ死んでゆき
小さな名もない星屑の上で女は10年も20年も待った…。
女は待ち続けたのじゃ…
そして恋人はやってきた。
政府の、権力の犬となり果てた姿で!
実は老婆こそが元恋人アンニーだったのです。
アンニーはユーケイが流刑にされたと知り意志を引き継ぎ反政府活動をするも地球から遠ざかり再起を図っていた
失望し、「このうえ生きることものうなった、わしを消せい」という老婆
膝をつき「なぜ気が付かなかったんだ許してくれ」と老婆を殺すユーケイ
ラストシーンは老婆のつくった、恋人の作った手料理を
口にほおばり涙を流すという絶望的なシーンで終わる
かつての恋人の意志を継いだ女と
権力に逆らえなかった元彼が殺しに来る悲劇
今でこそ古典的で使い古された感はありますけど
これを今から50年ほど前に描いていたわけですから驚きです。
そして
能とSFを融合させる異彩っぷり
タイムパラドックスを織り交ぜてくるストーリー展開
そこに悲劇のラブサスペンスを盛り込んでくるわけですよ。
もうあっと言う間に流れるように読み進めてしまいます。
なぜこのライオンブックスが面白いのかは時代背景にあると思います。
1959年から1960年、1970年という安保闘争ど真ん中の時期
自分の意志を貫く者、しかし無常にも権力に負けるという時代背景
前年11月三島由紀夫が、割腹自殺する事件がありましたが
「手塚先生は『気になる同時代人は誰か?』との質問に
『三島由紀夫』と回答しています。
手塚先生にとってはこの自殺は強烈なインパクトだったはず
三島由紀夫が社会に対して生涯をかけて言おうとしていたことは
分からずじまいですが少なくとも影響を受けていたでしょう。
そしてこの時期は実は手塚治虫の暗黒期と呼ばれる時代
暗い作品ばかりが多く陰険と言われ世間の評価は良くなかった時代です。
手塚先生自ら「冬の時代」と語った1968年から1973年
1971年虫プロ社長を退任し手塚治虫のスランプとも言われました。
しかしこの時期には「地球を呑む」「奇子」「きりひと讃歌」「空気の底」
「アポロの歌」「鳥人大系」
と後世に残る秀作をどんどん残している時期でもあります。
反逆のパワーがより一層作品のクオリティを極限にまで高めたのは
決して偶然ではないと思います。
手塚先生自身、追い詰められないと書けないというように
これらの時代背景の影響は間違いなくあったと言えますね。
そしてこの傑作「安達ケ原」もこの時期に書かれているんですが
このクラスの短編が全部で4本収録されているのが
ライオンブックスなんです。
その他、「荒野の七ひき」もすさまじい短編です。
人間が異星人を奴隷扱いしているんですけど
それぞれの文化、民度、思想などの違いの中で自分たちが如何に
わがままで身勝手で愚かな種族なのか叩きつけられる作品
しかしこちらはハッピーエンドなんで読後感は良いです。
というライオンブックス
ぜひ一度お手にとり読んでみて欲しいと思います。