「シュマリ」が改編された理由とは?ゴールデンカムイはパクり説?
今回は明治初期の北海道を舞台にした歴史ロマン
「シュマリ」をお届けいたします。
激動の北海道開拓使を軸に大自然の中で愚直に武骨に生きる男の生きざまを描いた手塚後期の名作。
人気漫画「ゴールデンカムイ」のモデルになったのでは?
と言われる本作を「ゴールデンカムイ」を読んだ事がないボクが
解説していきますので是非最後までご覧ください。
本作は1974年6月から「ビッグコミック」にて連載された作品です。
本作は一体どういう作品なのか。
簡潔に言うなら舞台は北海道。時代は明治初期、
「明治政府の莫大な隠し財産を巡って登場人物たちが右往左往する話」
でありますが
ここだけ聞くと野田サトル先生の「ゴールデンカムイ」と似ていますよね。
…というかボク「ゴールデンカムイ」読んでないので分からないんですけど巷では良く似てると囁かれているのでゴールデンカムイを調べてみました。
すると結構類似点ありました。
まず舞台設定が近いというかほぼ同じ。
財宝(金塊)を探す、
そのありかを刺青に記す
土方歳三が出てくる
など、細かいこと言えばキリがない類似点ありました。
じゃあゴールデンカムイってパクリなんじゃね?
…って思いますよね。
でも、、、パクリじゃないんです。
…というのも著者である野田サトル先生自身がはっきり「違う」とコメントしておられます。
しかも手塚治虫公式サイト上でコメントしております。
どうですか。「読んだことありません」とはっきり明言しております。
しかも手塚治虫公式サイトで否定していますからこれはスゴイです。
さすがに公式上でウソは言えませんから本当でしょう。
パクったかどうかはこの際横に置いておいてボクの感想は
この隠し財産ネタを拡張させここまでの人気作に仕立てた野田先生の手腕は単純にスゴイと思います。素晴らしいです。
…と同時に
そのネタをあっさり3話ほどで終了させてしまう手塚治虫もスゴイ。
実は意外にも
「シュマリ」の隠し財産の件は冒頭3話ほどであっさり終わるネタです。
ネタのムダ使いと言えば、手塚治虫と言われるくらい深堀りしない手塚先生ですがこのシュマリにおいてのネタのムダ使い加減は個人的には特にスゴイと思っています。
まずこの物語の目的が
金塊目的かと思いきやその目的は序盤であっさり達成します。
じゃあ妻と一緒に逃げた男を探すのが目的かと思えばこれも序盤であっさり発見します。
しかも復讐する前にその男もあっさり死にます。
さらに序盤に、お軽って女郎キャラが出てきて、いかにも今後の主要キャラっぽい雰囲気醸し出しながらもあっさり死にます。
なんすか?このあっさり加減!
まじで
「え??なんだったの今の?」ってくらいあっさり物語が進んでいきます。
この展開はマジでビビります。
その他にもこの「シュマリ」はあっさり終わるネタの宝庫で
このマンガの目的の分からなさ加減といったらハンパじゃありません。
マジで何がしたいか分かりません(笑)
…にも拘わらず多くの読者がこのマンガに魅了されるのは
やはり主人公であるシュマリの力強さにあるのでしょう。
とにかくへこたれない。
収監されたり強制労働させられたり、いきなり意味不明の赤ん坊を育てるハメになったり理不尽な展開のオンパレードですけどすべて力技で乗り越えます。
個人的にマジで?…って思うのが北海道の原野を開墾して牧場をやり始めるんですけど馬が何頭も何頭も死んでいくんです。
それでもあきらめません。
普通なら心折れちゃうくらい凹みますけどへこたれない。
強い。
とにかく強い。エネルギーがハンパない。
開拓者とはこんなものだよと言われればそれまですけど
この愚直なまでの頑固さ、
まさに頑固一徹な男の有り様がシュマリの魅力です。
素朴だけど頑固
とにかく頑固、
シュマリ本人も言ってるようにすげー頑固です。
その愚直なまでの頑固さが非常に人間味あふれるキャラになっており
それが本作の魅力のひとつになっているのは間違いありません。
そんな頑固で一途なシュマリが激動の北海道開拓時代に
無骨な生きざまを見せていくのが本編の醍醐味。
明治初期といえば
何と言っても「文明開化」と共に日本が劇的に変化した時代です。
「蝦夷地」改め北海道も目まぐるしいスピードで開拓されていきます。
政府により地位を奪われたサムライたちが新天地を求めて続々と北海道に渡りそれによりこれまでの平和な生活が奪われていく原住民のアイヌとの確執が生まれていきます。
シュマリはアイヌの長老から「シュマリ」という名前をもらっているように
元々は中央の人間ですけどアイヌ側に立ち位置を置いて
内地、中央の人間との血みどろの群像劇を繰り広げていきます。
時代背景から見て
西南戦争から戊辰戦争にかけての日本の時代変革は凄まじく
この時代の男どもの生きざまってほぼ全員が不器用で欲望が丸出しです。
スマートになる要素なんて微塵もありません。
皆さんも学校でお勉強したと思いますが
物語の中盤から後半にかけての
1871年には、昨日までちょんまげしてた頭が禁止になった断髪令が出たり1876年には、刀の所持を禁止した廃刀令が出たり
日本が急速に西洋化すると共に、完全に政府がサムライ潰しに向かっていましたからちょっと前まで刀振り回してたやつらにしたら大変な変化が起きた時代なのです。
明治政府も含めこれから日本がどういう方向に進むのか本当に混沌としていた時代なので特にサムライなんてどうしていいのかさっぱり分からなかったことでしょう。
「シュマリ」を読んでいるとチャンバラと近代戦が交錯するので
非常にマンガっぽく感じるんですが、このマンガっぽい不安定な時代観こそ明治初期の混沌さそのままなんですよね。
全員、自己中で打算的で自分の欲望のためなら人も平気で殺しまくるし
女性への扱いもハンパじゃない、
ぶん殴るし蹴り入れるし今の価値観で見たら完全アウトな
まさにそんな時代です。
そんなぐっちゃぐちゃな時代の中で、必死にもがいて生きる人間たちの中で
愚直に一途に己の信念を貫き通す無骨な生き様を見せてくれるシュマリだからこそ何がしたいのか分からない問題もどこか許せてしまうという不思議な説得力を成立させているのだと思います。
そこにアイヌ問題を絡ませこの後、
物語が怒涛の展開に突入!
…と思いきや後半には急に失速します。
あれ? そういやこのアイヌ問題どうなったん?って思うくらい
アイヌが放ったらかしになります(笑)
これまた手塚先生のいつものパターン炸裂したかなと思えますが
実はこれには理由がありました。
なるほど
アイヌ問題を描いたはいいが、色んな制約や配慮もあって段々と描けなくなっていったということなんですね。
実際に連載中からも何度も編集部からセリフの変更依頼があったそうで
編集部にはアイヌの方からの注意、指摘などもあったそうです。
「アイヌ問題」は手塚先生の予想以上にデリケートなテーマであり
ストーリーの急激な方向転換を余儀なくされたと。
このように物語後半は露骨にアイヌ問題を控えたためフラれた元嫁を追いかける未練たらしい情けない男の物語にすり替わっています(笑)
でも、ボク個人的には後半の愛憎渦巻く大人の恋愛ドラマになっていったのも嫌いじゃありません。
…というかむしろ後半の展開の方が好きだったりもします。
最終的には先生自身が
「シュマリはたいへんあいまいな性格の、
ぼく自身乗らないヒーローになりました。」
とまたしても言わなくてもいい暴露を漏らしておられました(笑)
でも本当にそのくらい急に左曲がったなぁってくらい方向転換したので
手塚先生の気持ちも分からなくもないです。
元々手塚先生が想い描いていた構想は
「アイヌの側から架空のヒーローを立て侵略者に立ち向かう」
という設定だったそうですが、それも土壇場で幕府の旗本だったと変更されており、かなりシビアな設定変更だったことが伺えます。
初期設定から想像するに手塚先生はもっと壮大な日本の歴史を辿る一大ロマンを描きたかったのかと…
おそらく北海道を舞台にしたアメリカの「西部開拓史」とか
「風と共に去りぬ」的なことを描きたかったように感じます。
妻を奪われた愚直な男の愛の物語をベースにアイヌ問題を絡ませた身分や差別をこえたラブストーリーに仕立て上げたかったような気がします。
(というかほぼ間違いない)
元々、差別をテーマにした手法は手塚マンガの定石ですし
「風と共に去りぬ」なんて手塚先生の大好物ですからおあつらえ向きの設定を発見したとニヤついて喜んでいる顔が目に浮かびます。
ただ「アイヌ」の設定はこれを描いていた時代では少しデリケート過ぎたのは計算外でしたが…。
それでも最後には壮大でどこか悲しい冒険物語にまとめているのは流石。
時代に翻弄された泥臭い人間たちの群像劇を手塚節にアレンジされた見事な大河ドラマになっています。
過酷な北の大地で近代文明を拒んだ男の生きざまを描いた
手塚文学の名作といっても恥じない一作になっておりますので
ゴールデンカムイ好きの方も是非一度読んでみてください。
ゴールデンカムイを読んだことがない奴がそのモデルとも言われた「シュマリ」のご紹介でございました。
ではでは。