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【火の鳥太陽編】終わりなき人類の宗教戦争!人はなぜ争うのか?
今回は「火の鳥太陽編」をお届けいたします。
生命とは何か?人間とは何か?といった
深淵なテーマを問いかけてくる『火の鳥』シリーズの中でも「太陽編」は
1300年もの時間軸で、過去と未来とを行ったり来たりして描かれる
とてつもないスケールの巨大なエピソードです。
これまでの過去と未来を描いて来た双方を両立させたような構成で
しかも内容が代表作「ブッダ」や「火の鳥鳳凰編」で描かれた仏教思想を否定するかのような宗教観が描かれており
これまでの『火の鳥』や手塚治虫のイメージを一変させる超破壊的な側面も持ち合わせています。
1000年以上という時空を超えて行われる果てしなき宗教戦争の物語は
混沌とした現代社会、人間の底知れないエゴを描き切った風刺マンガともとれる極上のエンタメエピソードになっており『火の鳥』シリーズの中でも最高傑作のひとつとして選ぶ方も少なくありません。
今回はそんな超大作「太陽編」の魅力をご紹介いたしますので
ぜひ最後までお付き合いください。
それでは太陽編行ってみましょう。
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あらすじ構成
「太陽編」は
『火の鳥』シリーズの中でも屈指の長編となっており細かく説明すると
とんでもない時間がかかってしまうほど緻密で深い物語ですので
ここでは概要だけお伝えしその魅力の一端に触れて頂ければと思います。
あらすじを簡略しますと
過去と未来の物語が交錯し進んで行きます。
過去パートは660年代後半、「壬申の乱」が舞台
外来宗教である仏教の拡散によって
権力を絶対的なものにしようとする政治ドラマを中心に物語が進み
未来パートでは21世紀を舞台に火の鳥をあがめる「光」教団に支配された世界で地底世界に追いやられたシャドーによる革命劇が中心となって物語が進みます。
ポイントは
いづれの時代も「宗教戦争」を軸に
何千年経っても同じことを繰り返す人間の権力闘争の歴史を
めちゃくちゃドデカイスケールで描かれていること。
まさに『火の鳥』屈指の名作と言われるに相応のエピソードです。
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とにかく「スゴイ」の一言が当てはまる爆裂作で
もうこれは本当に、
解説するのが面倒くさくなるくらいスゴイです。(語彙力の低さにビビる)
手塚先生の頭ん中どうなってんのか、マジで気になります。
よくこんな化け物じみたマンガ描けるなぁ…って。
なんせこの「太陽編」を描き終えたのが
1988年2月なので先生が亡くなる1年前です。
体調も優れず、複数の連載を抱え、しかもアニメ制作や講演会も行いながらなんでこんな凄まじい作品を生み出せたのか本当に不思議です。
次作に「大地編」もあり「現代編」として「アトム編」など
様々な構想を残しつつも先生が他界されましたので本作を持って
実質この「太陽編」が『火の鳥』最後の作品になってしまいました。
その魅力と言えばさすがシリーズ屈指の人気作だけあって
ドラマ性が尋常じゃありません。
マジで。
本作は冒頭で主人公のハリマが顔をはぎとられ狼の顔を被せられるという
かなりショッキングなオープニングから始まり
手塚先生のケモナーの真骨頂がのっけから爆裂しているんですけど
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テーマはズバリ「宗教戦争」です。
新しい宗教と既存の宗教との争い、
宗教がもたらす悲劇が描かれており興味深いのは
本作が仏教の神々が侵略者として描かれているってことです。
これまで手塚先生は
「鳳凰編」や「ブッダ」で仏教を崇高で人の救いになるものとして描いておきながら、その仏教を外来宗教として土着信仰との対立軸として
描いているんですからこれはめちゃくちゃビビリます。
先生!
今までの一体何だったの?
「マジっすか?」って目を疑いたくなるんですけど
これは仏教自体を否定しているのではなく
権力と人間が結び付くと、とんでもないことになるという
宗教の原則を描いているんです。
「信仰するものとイデオロギー」が
くっつくとロクなことにならない、という宗教の原則。(これがすごい)
そもそも
宗教そのものが弱者救済の仕組みではなく
権力者たちが民衆をコントロールするためだけの都合のいいシステムであるという事は鳳凰編で良弁僧正が我王に説明していました
正しいとか正しくないとかは一切興味なし!
信仰なんてものは単なる支配者による政治の道具でしかないということを
痛烈に皮肉っております。
本作でも
天智天皇(中大兄皇子なかのおおえのみこ)は
仏教を推進していますが
それは信仰のためではなく政治のために利用しています
仏教の総本山が近江にあればだれも朝廷に逆らわないだろうという狙いが
あって宗教の力で豪族を抑えようとしている姿が見て取れます。
そして火の鳥はこう言い放つんですよね。
「宗教戦争はいつも醜い」って。
ええ!!!!!!!
手塚先生、輪廻転生や因果応報といった仏教思想を散々描いてきておいて
そんな救いようのない話、ヒドイじゃないですか思った方も多いと思います。(笑)
…でもだからといって
宗教自体が決して悪いものであると言ってるわけでもないんです。
歴史を紐解くと街づくりの基本は「仏」だったわけで
神社仏閣を立てることで
人が集まり街が発展してきたという側面もあります。
悩み苦しむ人たちの救いになる側面もあります。
ですから宗教のすべてが悪いということではなく
「宗教と権力が結び付いたとき」に凄惨な事態が発生すると言ってるわけですね。
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人は自分が「正論」だと思ったとき
他者を「悪」と決めつけ、自分を正当化しようとします。
そのぶつかり合いこそが争いの元、戦争の発端なんですね。
ハリマは争いを止めてほしいと火の鳥に問いますが
火の鳥はこう返します。
「正しいと思うもの同士の争いは止めようがないでしょ」
全ての争いは「自分が正しい」と思う心から始まり
正しいもの同士の争いは決着がつくまで削りあってしまいます。
大切なのは戦わずして理解しあうこと、
戦わなくても済む方法を考えること
「自分は本当に正しいのか」と疑う勇気が最も最善策なのではないのか
ということですよね。
正論を振りかざすときほど慎重になるべきである
という手塚先生のメッセージになっているんですよね。
これらのメッセージはハリマを見ていれば随所に現れています
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そもそもですが手塚治虫が描く宗教の根底には
「人間がつくったもの」というベースがあります。
なので先生はこれまで仏教を説くために輪廻転生などを
描いていたということではなく
人間の内面に向き合うために仏を描いているように思えるんですね。
手塚先生は
86年のシンポジウムに出席した際このように発言を残しております。
「ボクが言いたかったことは結局、
信仰というものは人間が作ったものであって
宇宙の原理とか言ったものではなく
時代とともにどんどん新しい文化として取り入れられていき
そこで必ず古い宗教、文化との葛藤が生まれ
それによってまた新しい世界が生まれてくる。
その繰り返しなんだということを描きたかった」
と、はっきりと人間が作ったと言っており
そして新しい世界が生まれ、それが繰り返すと言っておられます。
まさにこれこそが太陽編のテーマそのものなんですね。
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太陽編でのもう一つの世界、
未来パートでは
光という宗教組織から虐げられたシャドーの人々を開放するために活動していたゲリラ、ご存じ猿田こと「おやじ」も「光」壊滅後に行ったのは
新しい宗教の指導者になるという
これまでの人類と全く同じ過ちを繰り返すんですね。
時を超えてもなお未来でも人間は性懲りもなく宗教戦争を繰り広げ
権力に目がくらみ
新たに掲げた正義の宗教による支配もまた悲劇を繰り返すというね。
この人類の愚かさを何千年という時を超えて描く火の鳥のエグさ。
これはもうとんでもないマンガです。
本作は手塚先生が角川春樹さんに飛鳥時代の「壬申の乱」を題材にして欲しいという依頼を受けて描いたんですけどよくもまぁここまでスケールの大きい話になったもんです。
大人が読んでもより深い世界へハマり込んでしまうという
ハイブリッドな設定。
いや~すごいです。
そして最後の火の鳥らしく
これまでの火の鳥との絡みが深くなっているのも見どころ
霊界の妖怪が次々と出てくるのは「異形編」の妖怪ですし
「宇宙編」のフレミル人が「異形編」の蓬莱寺を指し示すあたりは
違うエピソードが交錯するファンにとってはモロ、ニヤケポイントです。
そして仏教を侵略者として描いた太陽編の次の時代設定が
仏師を舞台にしたあの「鳳凰編」ですから火の鳥の世界観ハンパないです。
ほんと何度読んでも打ち震えますね。
本作太陽編では
仏教を敵として描いておきながら
続く鳳凰編での仏の世界への没入感
マジで凄まじい構成ですよ。
ひとつひとつのエピソードを見ていった時に思う解釈と
全体を通して見えてくる火の鳥の世界観が
まるで違って見えるという恐ろしいまでの展開
まさに悠久の時を超えた壮大な人間ドラマであることを再確認させてくれる
最後のエピソードらしい貴重な火の鳥になっております。
「太陽編」ってほんと単なる宗教戦争を描いただけでなく
権力闘争の交代劇、神々との闘いや日の本の国とする成り立ち
そして
1000年以上の時を超えて結ばれるラブストーリーなど
盛りだくさんすぎて
とても語り尽くせないくらい見どころ満載の長編なんです。
ぜひお手に取ってご自身の目で
体験してみて欲しいと思います。
次回はもうちょっとだけ「太陽編」の続きやります。
案の定こちらも猛烈に手塚先生は手を加えて修正しておりますので
書き換えられたポイントを中心に「太陽編」の核となる部分に迫ってみたいと思いますので次回も併せてご覧になってみてください。