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【火の鳥生命編】生命を弄ぶ人間狩り!手塚治虫が描く人類の科学への警告

今回は「火の鳥生命編」お届けいたします。

「生命編」は生命を粗末に扱うテーマ性を軸に描かれた傑作と言えます。
近未来で巻き起こるクローン技術を皮肉り
マスコミの娯楽主義、テレビ業界への警告
そして
視聴者の刺激に対する狂気の欲求、思いあがった人間の行く末
痛烈に批判した作品になっています。

なにより今から40年以上も前の作品ながら驚くほど現代的なテーマ性を持った作品であることに驚かされます。
『火の鳥』のシリーズの中でも短いページ数ながら
心の奥底に響く構成はまさに『火の鳥』の真骨頂が味わえます。
そして本作のポイントとして
他の『火の鳥』シリーズにはない大きな違いがあります。
今回はそのポイントを解説していきますのでぜひお見逃しなく!
ぜひ最後までご覧いただきその世界観に触れてみてください。


それでは火の鳥生命編いってみましょう

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驚異の人間狩り


本作は1980年作品でタイトルの如くズバリ、「生命」を粗末に扱う社会に風穴を開けるようなドストレートな内容が本編の醍醐味です。

そして自作「異形編」とテーマが対になるもので
手塚先生がドストエフスキーの「罪と罰」をモチーフに
「人間が他人の生命をないがしろにしたために自分に報いがくる」
というテーマを描いた作品になっています。

あらすじは
2155年が舞台(ネタバレしますので注意)

クローン技術が一般化した社会で人間はそのクローン技術を娯楽の世界に取り入れていました。
クローンで猛獣を作り、その動物の狩りを楽しむ番組
その名も「クローンハンティング」

しかしその番組も視聴率が取れなくなりプロデューサーである青居は
人間のクローンをたくさん作ってハンターに殺させる「人間狩り」という
とてつもなく恐ろしいアイデアを実現させようとしていました。

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その行為はたとえクローン人間相手であっても
殺人として禁じられていますが
視聴率のためなら手段を選ばないプロデューサーは難癖付けて
アンデスの山奥にあるクローン生物の研究所を訪れます。


そこで“鳥”と呼ばれている鳥の面をかぶった女に会い
札束を積んで人間のクローンを作って欲しいと頼み込むも、断られます。

そこで青居は“鳥”の女の秘密を知ってしまい
自分自身がクローン人間のサンプルになってしまいます。

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これにより無数の青居クローンが誕生してしまい
本物の青居は自身のクローンと一緒に
自分が企画した「クローンマンハンティング」
殺される役として標的になってしまうことに。

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番組では生中継がはじまり
青居は殺されないように必死に逃げまどうも逃走中に腕を負傷。
青居と一緒にいたクローン青居とともに、
傷の手当をするため老人ホームに逃げ込みます…

そこで出会ったジュネという三歳の少女
巻き込んでしまったことで青居はジュネを連れ人里離れた僻地へ隠れ逃れ
そこで現代社会との交流を立ちます。

それから15年
立派な女性に成長したジュネに恋をしてしまった青居は
嫉妬心から恋人ができたと勘違い
独占欲が芽生えジュネを信用できなくなります。

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しかしそれは誤解であったものの
人間に銃で打たれたジュネは負傷、止む無く病院へ連れていくと
素性がバレ、再びハンティングの標的として狙われることになります。

意を決した青居はある決断を下します。

さぁ…その結末はいかにというのが本編のあらすじであります


命を狙うものから狙われるものへ


「生命編」は文字通り「命」をテーマとしたストーリーです。
物語は、「生命をないがしろにしていた」青居プロデューサーが突如として
命を狙うものから狙われるものへと立場が逆転したところに
本作の核心部分があります。

「命」を弄ぶ者には報いがくるといったところが本作のポイント。

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非人道的な番組をつくってしまったことで自らがその犠牲となり
しかも毎晩のようにハンターに殺されそうになる悪夢に悩まされ続ける

「異形編」の左近介のように自分の犯した罪の過ちを後悔するも
その罪は消えず永遠と繰り返され続けるというわけです。

『火の鳥』ではこのような私利私欲のゲス野郎には容赦ない罰が喰らわされ未来永劫悩み苦しみなさいというのがいつものパターンなんですけど

今回は一味違います。

この「生命編」では青居は最後まで諦めないという描写があります。

「一生続いたってオレは絶対にヘコたれないぞ」

そして

「こんな目にあわせて…おれはどんな償いもさせてもらう」
「生命とひきかえてでも」

と罪を償う覚悟を決めそれに向かって生きる選択をするんですね。

ここが他の『火の鳥』とは大きく異なる違いです。

他の『火の鳥』は火の鳥の与えた罰に対して逆らえない
受け入れる事しかないことが多いのですが
本作では受け入れたうえで自分はどうする?
という行動が描かれています。

「異形編」では無限ループ地獄が炸裂し永遠に困った人々を救い続けるという逃れられない罰を背負いますが

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今回は悪夢に悩ませ続けながらも
自らの犯した過ちに、自らが犠牲となり、自ら責任をとるという
これまで弄んできた命の在り方に向き合って
命を懸けて愛する人を救うという展開になっているんです。


実は「オリジナル版」ではこのような展開ではなく
青居はここで射殺されて終わりになっているんです。
しかし手塚先生は単行本化の際に
ラストそのものを大きく変更してしまいました。

つまりこの「単行本版」のラストに手塚治虫の本質が隠されているのではないでしょうか。

書き換えられたラスト


この書き換えられたラストは何を意味しているのか。
これは「今を生きる」という想いが込められているのではと思います。

人は何度、反省し懺悔しても過去の過ちや失敗に囚われてしまいます。
いつまでもグジグジと「あの時は」って引きずっちゃうものですよね。
でも現実には、
我々は過去を生きているわけではなく「今を生きて」います。
過去を生きている人など一人もいません。

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心が過去にあると
現実とは大きく離れてしまうので
いつまでも後悔の念が消えることはありません。
だから
「今」「現実」に目を向け「今」をしっかり生きることが、
過去、後悔から救われる道とされています。


生きている限りは
「今」が最も大事であり「今」何を成すべきかが贖罪になるというわけ。

「異形編」は永遠に代償を捧げて罪をあがなう贖罪になっていましたが
「生命編」では
青居が自らの過ちに決着をつけることが贖罪であるとしています。

最低のゲス野郎だった青居が置かれている立場が逆転したことで
「命の尊厳」を学び、
自ら作り出してしまった大罪の報いを自らの手で終止符を打つ。
まさにこれも代償を捧げて罪をあがなう贖罪であると言えます。

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『火の鳥』シリーズには多くの改編、修正が見受けられますが
この11ページ分が付け足されたラストの書き換えは
素晴らしいラストになったと思います。
あのまま死んで終わりってさすがに後味悪いですもんね

ですが、「オリジナル版」では死んだのは「クローン」の方であるという
明確なシーンがあるんですが書き換えられた本編では
死んだのは「どっち?」という展開になっています。

ラストで院長が「彼は本物かい?クローンかね」という問いに対し
ジュネは

「とうさんは人間よ、それでいいじゃない」

というセリフで締めくくられています。

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これはあえてどっちにもとれるセリフですよね
これには明確な答えは示されてはいません。

手塚先生はあえてどちらにも取れるセリフで読者にその判断を委ねているのでしょう。

ボク個人的には本物であったと思います。
ところどころで右腕の薬指がない描写があるので
それが本物であるという伏線のような気もしますが
皆さんはいかがでしょうか。

まぁどっちが正解というわけではないのですが
このラスト、人間かクローンか、ここに思いを馳せるのが
この「生命編」の醍醐味でもあります。
ぜひこの味わい深いラスト体験してみて欲しいと思います。


マスコミの狂気


最後に「マスコミの狂気」
これを触れない訳にはいかないでしょう。
これはちょっと考えさせられますよ。
視聴率最優先主義、まさに行き過ぎた資本主義の先端を見ているようです。
さすがの手塚先生も数十年後にyoutubeのようなテレビにとって代わるメディアの出現は予想できなかったのかも知れませんが
「飽きやすく、刺激を求める視聴者」像と言うのは見抜いていましたね。

人間であることの一線を越えてしまうような刺激、欲求、文明批判
その行きついた先がクローンによる「人間狩り」なんてストーリー
恐ろしすぎますよ手塚先生。

そして本編にはドキっとさせられるセリフが
めちゃくちゃ散りばめられています。

「オレはマスコミの中にいて踊らされていたんだ」

とか

「こんな社会になってしまったのは
人間が疑い深いからだってお金に頼るからだって」

とか
何気ない会話の中にも心をえぐってくるセリフがあります、
手塚先生が描いた社会にはまだ到達していませんが
この先、手塚先生が予見した社会に近づいていくことは十分に可能性を秘めています。

クローン技術のもたらす悲劇、悪夢
生命をないがしろにした思い上がった人間への刺激的なメッセージは現実の社会にも通ずるまさに現代的なテーマです。

「生命編」における火の鳥の正体?


そして「鳥」と呼ばれるまじない師
これは強烈でした。
設定上は火の鳥の娘であるという立ち位置ですけど火の鳥って子孫残せるんですね(笑)

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まぁここら辺は深くはツッコミませんけど
「未来編」による「コスモゾーン」的解釈でいえば
すべては形も大きさも色も重さもない
みんな「宇宙生命」が入り込んで生きているとしているわけで、火の鳥すらもコスモゾーンの一種であると。コスモゾーンが魂なのだから設定上は問題ないということにはなりますけどね。

…にしてもこの設定は衝撃でした(笑)
さすがに「オリジナル版」ではこの娘の顔が、あまりにも鳥すぎたと言う事で「単行本版」では少し人間っぽく修正されました。(動画をご覧ください)

そもそもですが『火の鳥』「生命とは」を問う作品であって
その答えを表現しているマンガではありませんし
火の鳥自体が狂言回しでもあり物語の主題ではありません。

本作においては
生命についてドストレートに描かれておりますが
実際に「生命ってなに」と聞かれて十分に答えることは
実に難しいことだと思います。

これらにおける一種の回答として手塚先生はこう述べておられます。

「誰でもやがては死んでいくし、寿命には限りがある
そして他人の生命を犯さないこと
これだけはぜひ子供たちに話してあげて欲しい
それを知った子供たちはきっと暴力や、弱いものいじめや
自暴自棄といった問題を起こす子にはならないと思います。」

手塚先生の描いた近未来の生命のドラマ
命を粗末に扱った者への罪と罰

「火の鳥生命編」今この時代において
子供たちだけでなく大人たちも読むべき1冊ではないでしょうか。


以上「火の鳥生命編」お届けしました。


対の作品と次回作品はこちら


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