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二十歳のころ 第四十九章
朝を迎え僕は部屋を出て、テラスでタバコを吸っていた。若いゲストハウスのスタッフが声をかけてくる。朝食の飲み物を紅茶もしくはコーヒーにするかと尋ねてくる。そうか。今僕は朝食付のゲストハウスに滞在しているのだ。バックパッカーズとはサービスが違うのだ。
コーヒーを頼んだ後隣部屋のジャワ系であろう中年の女性が僕に挨拶をしてくる。僕は挨拶に答え自分は日本からやってきた旅行者だと告げた。彼女は旅行者という風貌ではない。いったいどういう人なのだろうと僕に余韻を残した。僕はトーストとゆで卵、コーヒーの朝食を済ますと僕は好奇心を抱え町に出た。
僕は路地裏から表通りに出、通りを散策する。すると息をつく暇もなく売り子や客引きが僕に声をかけてくる。また僕は現地の通貨のルピーを得るため両替所に行く。僕はお金を両替しようとすると両替商は少なめにルピーを渡そうとする。油断がならないのだ。
僕は通りの喧騒から逃れ、ビーチでゆっくり寛ごうと考える。クタビーチに到着するや否やマッサージのおばちゃんに囲まれる。僕はマッサージのサービスを断り、その場から離れる。すると今度はビーチボーイが女はどうかと勧めてくる。
ビーチには商売人が踏み入ることができない見えない境界線があると聞かされていた。しかしその境界線の中に入っていても彼らの視線からは逃れられないものがあった。
バリ島はなんて落ち着かない場所なのだ。こんな経験は初めてだ。何もかもがオーストラリアの旅とは勝手が違う。油断がならない。こんな日はさっさと昼飯を食べて宿に帰ろう。そして午後はボディーボードでもやって一日を終えよう。
ゲストハウスに戻ると安穏とした静かな空間と時間が流れている。僕はいそいそと部屋に閉じこもり、自分だけの時間を取り戻そうとする。日中クタビーチでボディーボードをしたので体は塩気に満ちて体がねばねばしている。桶を使ってマンディーを行い、体を洗うとようやく気持ちがすっきりしてくる。僕はベッドに横たわり、気力が回復してくるのを待った。僕は元気が回復すると部屋を出、夕涼みを兼ねテラスでタバコを吸って寛いでいた。
すると隣部屋の中年の女性が話しかけてくる。僕は欧米の旅行者と同様に旅行会話をしようと試みた。しかし今まで経験してきた旅行会話が成り立たない。どこに行ってきた。どんな旅行をしてきたか、彼女は全く関心を持っていない様子だ。僕はぎこちなく名前と職業を聞きだした。彼女の名前はYUS。職業はアンティーク商。
「私ね。若い頃ね。たくさんの日本人の前で歌を歌ったこともあるのよ。」
彼女は話を切り出し、日本の懐かしい響きの歌謡曲を歌いだす。歌声はいい。歌心がある。しかし彼女は歌の意味は知らないと言う。彼女が歌っていた時代はいつの時代のことだろう。彼女はいったい何歳なのだ。どんな人生を歩んできたのだろうか。
「日本は戦争をしました。しかし戦後日本はインドネシアに工場を建設し、たくさんの援助をしてきたから嫌いではありません。けれどもオランダは何年も植民地化して搾取してきただけだから嫌いです。何の援助もしてくれなかった。」
僕の知らないインドネシアの歴史の話もしてくる。僕はただ話しを聞いて相槌を打つぐらいしかできなかった。読めない。彼女は自分に何を求めているのだ。何を考えているのだ。僕は話に深入りをせず、夕御飯を食べに行くと話を切り上げた。僕は少し彼女と距離を取ろうと思った。
僕は通りに出てナイトマーケットの食堂で夕食を済ました。そして夜のクタの街を散策した。
僕はゲストハウスに戻る。ゲストハウスのロビーに置いてあるバリ島を巡る日帰りツアーのチラシを僕は見つける。一日のツアー料金が千円くらいでオーストラリアのツアーと比べるととても安い。
バリ島の滞在予定は八泊九日の行程だ。決して期間が長いという行程ではない。クタの町でビーチライフを送るのもいいがそれだけではバリ島の滞在はもったいないのではないか。踊りを観賞し、ウブドやいわゆる名所を訪ねてみてもいいのではないか。
そう思うや否や早速ゲストハウスを通して日帰りツアーを二回申し込んだ。部屋に戻ろうとすると隣部屋のYUSが相変わらず部屋の前のテラスで何をするわけでもなく寛いでいた。