二十歳のころ 第四十一章
僕はヨットの船長であるイーブンやニコルに対して自分は有能な人間であり、クルーとして適正があり、一緒に航海していて楽しい人間であろうと一生懸命努力した。明るく振舞い、船酔いはしない。ヨットの航海に対して興味がある。フランス語を覚えようという姿勢をみせる。
そんな僕の姿勢に好感を持ったのかそれとも僕の緊張を和ませようと考えたのかわからないが彼らは身の上話を始めた。
話というのは決して自分らは特別なお金持ちでもなく、優雅に生活しているわけでもない。イーブンは若い頃からヨットが好きでヨットに親しんできた。ヨットで世界を周ろうという考えも子供が親離れし、長年の夢を叶えられる時が来たので家を売って一大決心で航海を始めたのだと話す。
イーブン、ニコル夫妻の職業はコンピューターのプログラマーと学校の先生であると告げられた。それは僕が推測できる範囲の職業であった。僕の父は富士通に勤めており、コンピューター関係である。母は薬剤師として近所の病院にパートで働いていた。僕は彼らの身の上話の身近さに驚いた。僕は普通の人でもヨットで世界一周の航海を送ることができるということを初めて知った。同時に自分の両親とそう家庭環境が変わらないことに対して僕はどこか胸がほっとした。
夕方にはヨットはノースアイレットというポイントに辿り着いた。イーブンはアンカーを降ろし、ヨットを停泊させた。
その晩僕はヨットという慣れない環境での緊張のせいか熱を出してしまった。イーブンとニコルの人柄のおかげで僕は海外の一人旅の緊張が初めてほぐれたのかもしれなかった。
出航先でこの状況はまずいと僕は思った。晩御飯が終わると僕は解熱剤と抗生物質を飲んだ。僕は与えられた船内の小さなスペースで寝袋に潜り込んで休んだ。
朝を迎えた。汗で湿った寝袋から出て体温計を取り出した。僕は体温を測ってみると微熱は続いていた。僕は熱を出してしまったということをイーブン、ニコルには隠しておこうと思った。下手に彼らに心配をかけるのは嫌だ。ヨットの航海が始まったばかりなのに自分は一日ももたなかったということはとても情けないことだと考えていた。昨日のような航海なら薬を飲んでいれば大丈夫だろう。きっと復活するはずだ。僕はキャビンに出て元気よく挨拶をした。
「おはようございます。」
「おはよう。」
普通の航海の日常のようにニコルが朝食を作り、平穏に三人で朝食を済ました。僕はバケツで海水を汲み上げ、役割である皿洗いをした。
皿洗いが終わるとイーブンは僕に声をかけてきた。ヨットの底部をたわしで洗おうと提案してくる。ヨットの推進力を上げるために水の抵抗を少なくしようとの考えであった。僕は最悪だと思った。熱が出ているのに冷たい海に入らなければならない。しかし僕は熱を出してしまったことを彼らに知られたくはなかった。
僕はイーブンにわかったとOKの返事をした。僕はシュノーケルを装着し、たわしを手にし、海に飛び込んだ。
冷たい。やっぱり最悪だ。僕は潜水をし、ヨットの底部にこびりついている垢や汚れをたわしでこすり、削ぎ落とした。しばらくの間僕は潜水と洗浄を繰り返す。洗浄はもういいだろうとイーブンは手で合図をし、ヨットに上がるよう指差した。
僕はデッキに戻り、タオルに包まって体を温めた。イーブンは足早に船内に戻る。航路図をしばらく眺めた後、僕にヨットの船頭に来るように合図をした。
僕は船頭に行くとイーブンはレンチを使いアンカーを引き上げるという作業の手本を示した。そしてその作業を僕にやってみてくれと促した。僕はレンチを使いアンカーを巻き上げる。彼は笑顔でOKサインを出した。
つまり僕の新しい役割としてアンカーを巻き上げる作業が加えられた。皿洗いとアンカーを巻き上げる作業。それが僕のラ・ジュリアンヌの航海の基本の役割となった。航海の出だしは体調が芳しくなかった。しかし僕はゲストではなくクルーの一員に迎えられた。僕は何だか嬉しかった。