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長渕剛さんを追いかけて
以前、私は長渕剛さんの記事を書いた。長渕さんの出会いや、ギター、ライブのこだわりを記述した。それは今でも私の感想は変わらない。ただ私も年齢を重ねてくると、違う視点を持てるようになる。
長渕さんは音楽業界の巨人である。若い頃はやんちゃな時期もあった。メディア等いろいろなところからもたたかれた時期もある。長渕さんの発言が問題だったこともある。私が50歳になり、考えると、人それぞれ考えがあるだろうと思う。なぜメディアや世間は彼をスケープゴードにしたか。疑問に思う。さらに今私が社会生活に追われる生活になるとまた考えが違ってくる。私は芸能ニュースに疎い。芸能ニュースは私にとって優先順位が低い。社会生活を忙しく送っていると、個人の私生活、趣味はあまり意味を持たなくなる。
私は長渕剛さんにかなり影響を受けている。大切なのは今、明日へ向かって生きていく。過去ではない。「乾杯」「西新宿の親父の唄」「明日へ向かって」等いくつもの歌がある。私が統合失調症を発症して間もない頃に頻繁に長渕剛さんの音楽をよく聴いた。中島みゆきさんをよく聴いた。そして人知れず涙をこぼした。音楽には人に寄り添う力がある。音楽に自分は救われたという人は決して少なくないと思う。
ライブでは観客が長渕さんの歌に共感し、俺もそうだ。私もそうだと歌う。たとえばBLOODの東京公演では「カラス」を歌った。
露骨に人を信じたら 足の裏で蹴っ飛ばされた。
公衆便所に落書きをした。
観客みんなが大声で叫ぶのだ。
みんなそういう辛い経験をしたから叫ぶのだ。
そういうつらい思いを表現してくれるアーティストはあまりいない。
私は長渕さんを追いかけていると、長渕さんに大事なものは何だろうという問いを投げかけられているように感じる。たとえば
「僕のギターはいつもHeavy Gauge」という歌がある。歌詞を聴くと
恋も欲しいし、富も欲しい
優しさも欲しいし、冷たさも欲しい
手にしたものと失くしたものが
いつもうしろめたさを連れてくる
すみません しあわせはおいくらですか?
若い頃、そんな歌を歌っていた時代を過ぎると
「カラス」
執念深い貧乏性が情けねぇほど染みついてる
ボロ着を丸めた枕で眠った
「ライセンス」では
幼い頃俺はいつも海が好きだった。
バラック小屋に4人暮らしでとても幸せだった
さらに年齢を重ねてくると
「SUCCESS」
Oh Success 明日 食う 一切れのパンのために
君が どれだけ 今日を生きて行くかだ
君が どれだけ 今日を愛して行くかだ
歌だけだったら、ふーんとなるだけだが長渕さんの生活を見ていくと毎日トレーニングをして、節制した生活を送っている。私は私生活を知らないが、50歳になる私を例えて見ると、それほど若い頃のように無理はできないだろうという考えに至る。
そうやって長渕さんを追いかけていくと、今後、自分に何ができるだろうと考えさせらる。先日の私の記事で30代~40代はつまらなかったと書いたが、その当時はその当時にできることを私はやっていた。50歳になって今後私が何ができるだろうと考えるようになったので、今回、記事を書いている。
長渕さんを追いかけていると長渕さんはライブのために日々を過ごしていると考えられる。ライフワークだ。推測すると長渕さんにとって大事なのはお金ではなく、自分のやっていることをいかに続けていくかが大事なのではないと私は考えている。
私が考えていることは長渕剛さんだけではなく、浜田省吾さんや、ブルーススプリングスティーンもそうだ。ライブをやり続ける。長渕さんにとってライブは生きると同義なのかもしれないと思わせられる。
そう考えていくと私はライフワークがある大人が格好いいと思う。