二十歳のころ 序章
オーストラリアのワーキングホリデーに行って十五年が経つ。僕は今三十六歳だ。都内の人材派遣会社に勤めている。勤めていると言ってもアルバイトという身分で気楽にやらせてもらっている。ここではあまり触れないが僕は統合失調症という病気持ちでこれから将来の自分にあまり期待をかけていない。身体能力や頭脳の能力は落ちる一方だし、病の症状も劇的に変わるということもないだろうと予測している。それでも僕はどこか心の片隅で人生まだまだこれからだと信じて生きたいと願っている。それにはまず自分自身にけりをつけなくてはいけないことがいくつかある。現在の自分と過去の健康だった頃の自分は全く違うということを認識させるために。そのうちの一つに十五年前にオーストラリアの旅をしていた自分にけりをつけることは自分にとって必要なことだと感じている。十五年前、僕は確かに今を生きていた。旅に生きていた。バックパックを背負って未知なるものに進んで挑んでいた。
僕は二十歳の頃信州大学の経済学部の学生だった。大学の近辺にアパートを借り、ユースホステルクラブに所属し、アルバイトを適度にしているごくどこにでもいる普通の大学生だった。家庭環境もありきたりでサラリーマンの家庭で育ち、決して裕福とは言えないけれども生活に支障が出るということはなく恵まれていた。つまり僕は普通すぎて他人に話せる自分自身の物語を全くといっていいほど持っていなかった。僕は高校生の時キャンパスライフに夢を描いていた。いくつか例をあげると彼女をつくる。一人暮らしをする。アルバイトをして欲しいものを買う。勉強をしないで時間を自由に過ごす。いくつかの願いはかない、いくつかの願いはかなわなかった。願いがかなったものは親の力を借りて手に入れたものであり、少しの努力で手に入れることが出来る些細なものであった。逆に出来なかったことは僕一人の力ではどうすることもできないものばかりであった。例えば彼女をつくる。相手がいないことにはどうしようもないし、自分にもちっぽけなプライドがあった。また学生生活では大学の本分であるゼミナールに所属することができなかった。作家が大学の講義がつまらなく感じて勉強をしなかったというよくある話ではなく単に自分の実力がなかった。僕は物事を深く考える性質ではなくその日その日が楽しければそれでいいと考えて生活を送っていた。
そんな自分が何故海外に行こうと考えたのか。一年近く大学を休学してまで海外に行こうとしたのか。僕は経済学部で外国の文化に触れたいとか何かスポーツを究めて海外で試したいという類の想いは全くなかった。ただこのまま大学を卒業したらまずいだろという漠然とした想いが強くあった。僕は自分に自信がなかった。大学を卒業して会社に入り、社会生活を営む。エスカレーターの人生を歩むのが怖かったのかもしれない。学生のうちに何かをやっておかないという想いがあった。別にワーキングホリデーでなくても構わなかった。何かみんなとは違うことをやってみたかったのだ。