二十歳のころ 第三十五章
僕はマウントアイザで一泊、タウンズビルで一泊して真夜中にケアンズに辿り着く。バスの停留所ではバックパッカーズの迎えの車が来ていた。
いつも僕はどんな宿か雰囲気を確認して泊まるかどうか判断する。しかし今回は真夜中にバスが到着したこともあって選択の余地はなかった。真夜中に路上を歩き、宿を探すのは困難であり危険でもあったからだ。またまっとうな宿であれば深夜に予約がない客など泊めないだろうという読みもあった。
僕はバックパッカーズの迎えの車に乗り込み、バックパッカーズに連れて行ってもらう。これまでに宿泊したことがない不衛生なバックパッカーズだった。僕が予想していたとおりのバックパッカーズだった。しかし不衛生な宿ということだけなら僕はあまり気にはしていなかった。
ドミトリーの大部屋に僕は入ると部屋に甘い香りが満ちていた。宿の常連らしき客はマリファナらしきものを平気で吸っている。普通の観光客やバックパッカーの宿泊施設というよりはむしろろくでもない輩が集まった宿泊施設といった印象を受ける。
ここで長居はしたくない。ここにいると何か危険な状況に自分は巻き込まれるのではないか。僕は身の危険を感じた。一夜を無事に過ごせればそれでいいと自分に言い聞かせた。何かに巻き込まれないように僕はさっさとベッドに潜りこんだ。
翌朝僕はさっさと荷物をまとめ、部屋のチェックアウトを済ました。そして僕はユースホステルに移動した。ユースホステルには顔馴染みのワーホリ仲間や普通のバックパッカーが滞在している。どこかほっとする。
僕はいつものように部屋に荷物を置いてケアンズの町を散策する。新しい町に着くとまず僕は散策する。これから僕は何をしようかなと考えながら散歩することが楽しいのだ。ケアンズの町は僕が想像していたほど大きい町ではなかった。南国ムードが漂うケアンズの街並みや港を眺め、中心街を一周してユースホステルに戻った。
ケアンズは自分の求めていた場所ではなさそうだと直感的に感じる。ケアンズが嫌いだという理由ではない。自分の求めている場所のイメージすらわからない。ただケアンズはパースのように長期滞在する都市というよりは観光客の町という印象を僕は強く感じた。ここではない何処かへ。そんな想いを僕は抱いていた。
僕はユースホステルの掲示板で一枚の張り紙を見つける。
一枚の張り紙。こう書かれていた。
ヨットのクルー至急募集。
経験不問
行き先。ケアンズ発ケープヨーク経由ダーウィン。そして南アフリカへ。
費用。燃料代、食事代を共有する。
連絡先。ヨットクラブ。キース宛。
いったい何なのだ。これは。僕はヨットの知識は皆無である。ヨットで世界一周するという行為は新聞やテレビの報道あるいは放映されるごく一部の人達のものだと僕は考えていた。ヨットで世界一周など決して一般的なものではないという認識を持っていた。当然ながらヨットで航海なんて僕には一生縁がないだろうと。いやヨットで航海という考えすら僕には持ち合わせていなかった。ところがひょんなことにケアンズのユースホステルの掲示板で僕はクルー募集の張り紙を見つけたのだ。
僕は何がなんだかわからなくなり勝手に夢が膨らんでいった。もし僕がヨットのクルーになって世界一周することになったら。そしてその航海を日本のマスメディアに取り上げられたら。僕は自分自身を抑えきれない衝動に突き動かされた。居ても立ってもいられなくなり僕はメモを取りヨットクラブに向かった。