二十歳のころ 第五十六章
僕はオハクネを離れワンガヌイで一泊し、フェリーでピクトンに渡った。北島から南島に渡るフェリーの航海は素晴らしいものであった。僕はフィヨルドを見て、旅の情緒を味わった。ゆっくり前に進むフェリーは何とも言えないものがある。
僕はピクトンのバックパッカーズの宿泊の手続きを済ますと一人夕方の街を歩いた。異国で初めて僕は一人で酒場に入った。何となく僕は酒を飲んで食事をしたい気分になったのだ。路地裏にある小さな静かな酒場だ。僕は酒場に入りカウンターの席につく。僕はビールを頼み、子羊のソテーを頼んだ。子羊のソテーは柔らかくソースと上手く絡み合っていた。旨かった。僕は大人になった気分であった。
僕はピクトンで一泊してクライスチャーチに行く。そして僕はクライストチャーチのユースホステルで宿を取る。日本人の旅行者が何人か滞在している。僕はいつものように挨拶をする。しかし僕はそれ以上深く関わろうとは思わなくなった。旅に疲れたのだ。
僕はもう旅を終わりにしたいと思っていた。旅のけじめとして何か思い出に残る最高の事を僕は経験したかった。
ニュージーランドの旅の計画の当初として僕はクィーンズランドでスキー三昧の生活を送るつもりであった。しかしそこに僕はもう価値を見いだせなくなった。だらだらとスキーをしていても確かにスキーは楽しいだろう。しかし長野県の白馬のスキー場の方がいいと僕は思ってしまうかもしれない。
僕はクライストチャーチのユースホステルでマウントクックのヘリスキーのパンフレットを見つける。マウントクックはニュージーランドの一番高い山で標高三千メートルを越える。チラシにはスキープレーンやヘリコプターを利用してスキーをすると記載されている。ニュージーランドドルで六百ドル。六百ドルという金額は僕のニュージーランドの二週間分の滞在費である。僕にとって大金だ。マウントクックのヘリスキーは確かに高価だが僕の旅の終わりにふさわしいのではないか。僕はそう考えた。
僕はバスでマウントクックに向かう。いざ現地につくとヘリスキーが毎日行われるとは限らないという事がわかった。天候によってツアーが行われるか否か決まると聞かされた。僕はマウントクックのロッジに五連泊した。天候が良い状況ではなかったのだ。僕はロッジ周辺を散歩したり、部屋で旅行者とUNOをしたりして時間をつぶした。
五日目ようやく天候に恵まれる。ヘリスキーが行われることになったのだ。僕はツアーの主催者に事情を打ち明けた。僕の懐事情が厳しくなったのだ。僕は交渉の末スキーのレンタル代とスキーのウェア代を無料にしてもらった。
僕はスキープレーンに乗りマウントクックの高台に辿り着いた。マウントクックの頂でグループ分けが行われた。僕は中級者のグループに属することになる。日本人のスキーヤーが多い。僕は参加者の話をよくよく聞いてみる。彼らはスキー検定一級保持者やインストラクターの人達である。つまり僕のようなゲレンデの頂上からなんとか降りる事ができるという低レベルの人はいなかった。僕はレベルの違いに不安を感じた。ツアーガイドは心配しなくていいと言う。よくよく考えればわかる事であった。ヘリスキーをやろうと考えるスキーヤーはみんな腕に自信がある人が参加するのだ。僕はヨットの航海と同じ間違いを起こしてしまった。やる気だけは人一倍あるが何をするにしても僕は実力が備わっていないのだ。それが僕なのだ。
マウントクックの高台からヘリで頂上に移動する。山肌は美しい。そしてツアーガイドの後についていき、僕はスキーをする。パウダースノー。誰も滑っていない僕らだけの山。テレビで放映されているスキーの番組の世界だ。僕はパラレルを繰り返し頂から滑降する。空は青く澄み渡り、雪山は白銀の世界である。世界は美しい。僕は特別な時間を過ごした。十分だった。