59.第六天魔王波旬『織田信長の謎!』編
第六天魔王波旬シリーズのクライマックス、年明けからの天誅シリーズのオチの記事なんだけど、
総て日本語webに転がっている情報なので無料閲覧!(´Д⊂ヽ
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これの続きの記事です。
前回の粗筋
天皇朝廷は神仏習合で「神は仏を守り、仏法を喜ぶのだ」との嘘の思想を生み出し民に広めた。
四天王
仏教の世界観を示す際に記述される4鬼神。東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天 (→毘沙門天 ) をいう。インド神話的な神であるが、仏教に取入れられてからは仏法の守護神とされる。
延暦7年(788年)、伝教大師最澄による開創以来、国家を鎮め護る寺、日本仏教の母山として比叡山延暦寺は日本の宗教や歴史の中心的な役割を担ってきました。度重なる戦乱や災害に見舞われながらも、守り伝えられてきた文化財の多くが国宝・重要文化財に指定されています。
薬師如来像なのか釈迦なのかわからないけど、真ん中の仏像が邪魔だろ?
これは薬師如来を護る十二神将立像。カッコいいが真ん中の釈迦だか仏が邪魔だ。
本来はこのような姿ではないのではないか?
鎌倉第六天社の災難
真ん中に居るのは大六天ことシヴァ神
建長寺の四方鎮守には、中央5大尊と八番(東)熊野(北)・子神(西)・大六天(南)があり、大六天は上町に鎮座する。1671年の徳川光圀「鎌倉日記」に「円覚寺を出て南行して、第六天の森を見る」とあり、また、1678年の健長寺境内図(伝徳川光圀奇道)には「四方鎮守第六天」と記されている。
社殿に納められた建長寺第218世真浄元苗筆の1831年の棟札によって、1707年に健立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。社殿の形式には一間社流造りで、幕末社殿としては古風を村重した造りといえよう。
社殿内には第六天象が中心に祀られ、前列には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫技は丁寧で量感に満ちた佳品である。大六天は仏教では他化自在天と称し、魔王のごとき力を持つといわれ、神道では大六天神、すなわち第六番目の神と認識されている。
神奈川県内には大六天を祀る社が180社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。現在、健長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは大六天だけで、建長寺史研究上の重要な資料であるばかりではなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。
また、大六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年7月15日から22日にかけて行われる。
平成7年6月吉日
盗まれてしまったんだ・・・
最近、神奈川県内では重要文化財を含む歴史的建造物が相次いで焼失した。
鎌倉第六天社では2006年5月21日に、社殿に安置されていた第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が盗難にあった。
また、2006年9月3日には大船の熊野神社本殿内に安置されていた木像「熊野権現坐像(ざぞう)」(高さ28.6cm)など市指定有形文化財の神体5体が盗難にあっている。いずれも、県警大船署が管轄だ。昨年、京都建仁さんの仏像が盗まれたが、仏像マニアの犯人が捕まり、仏像が寺に戻った事件があったが、これはプロの仕業であろう。
年末に通りかかったときに、珍しく階段の扉が開いていて氏子が3人ほどいた。新年の仕度のようだ。
元旦に、初日を拝んだ後、建長寺の改旦諷経(元旦祭)に向かう途中に、また第六天社の前を通りかかった。「第六天」の由来書が置かれ、階段の扉が開かれていた。後から声がかかる。「今日は社殿まで登れますよ。」一昨日話した氏子の方だ。「中には何もないので閉めていますが。」「?」初めて社殿内の像5体が盗まれてなくなっていることを知った。大船署の手配書(お願い書と記載されている)を見せられた。
地域の信仰の象徴である像を盗むとは何とばち当たりな。明治維新の困難な時期も乗り越えて伝えてきた第六天像と四天王像であろうに。140年前に打ち捨てられていてもおかしくなかったものだからと諦められるものではあるまい。仏像は骨董美術品である一方で、信仰の対象でもある。本当に返して欲しいと思うばかりである。
平成18年(2006年)5月21日に盗難に遭った第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像の写真も額に入れられて立て掛けてあるではないか。盗品は未だ戻ってはいないというのだが、カラー写真の電子データが残っているのが分かり、展示しているのだという。他にもこれらの神像の写真もある。
山ノ内にある小さな神社とはいえ、「建長寺」に関わる神社でもあり、古い神像が祀られていたのだが、(中国か韓国の)仏像専門の窃盗団の手にでもよって盗難の憂き目にあったのであろう。そして戻ることもない。
また、北鎌倉にある陰陽師関連の石や石碑は3点あるが、ここ第六天社の鳥居の元にも「安倍晴明大明神」碑が建っている。源頼朝が鎌倉に入った時に、北鎌倉にあった陰陽師の築200年の家を移築して仮御所にしたという。
鎌倉第六天社は建長寺の四方鎮守
第六天社より建長寺が本家で格上なんだろうけど。見た感じはとても立派だけど。
中身がマズイ事になっている・・・
中身が大変マズイ事になっている・・・(;´Д`)
コレはないだろう、これわっ!
安置されているのがヤバいんだ。他にも気になるものがある。
マリア観音じゃなかった「曙観音」。「震災追憶供養塔」で、関東大震災の被災者を追悼するために昭和五年(1930年)に建立された。こんなものを建てたり祈ったりしてもダメだろう〜。
フクロウはハッキリしないのだけど、ユダヤ人の王!ソロモン王思い出してなぁ(;´Д`)
巨福稲荷大明神
稲荷神社はマズイだろ!(-_-;)
三門の西側、鎌倉学園の北側の石段の上にあるお稲荷様です。建長寺の
かつての鎮守としては四方中央鎮守(東八幡・西子神・南第六天・北熊野・中央五大尊)が知られていますが、以前は、そのうちの中央五大尊が鎮座なさっていました。半蔵坊ができるまでは、こうした稲荷社や第六天社が建長寺の鎮守でした。なお巨福稲荷では(以下略)
稲荷神社で福はない!呪い神社!!(;´Д`)
話戻って、四天王の話
四天王は、この第六天軍団の配置であるか、
四天王や十二神将は、反対を向いて釈迦だか如来だかの仏の倒そうとしている配置でなければいけない。
坂本龍馬英雄視しているから、どこまで採用してよいのか怪しい司馬遼太郎の『国盗り物語』の言葉だけど。(ワシも明治維新前後も調べ直さないといけないが・・・・明治維新クーデター起こした兵隊たちは、天皇のもとにみな平等で騙されていたのではとも思うのだ。)
明智光秀と信長の会話で信長は、
『仏とは金属(かね)と木で造ったものぞな』『古きばけものども(比叡山延暦寺)を叩きこわし摺り潰して新しい世を招きよせることこそ、この弾正忠(信長)の大仕事である。そのためには仏も死ね』
第六天魔王波旬 信長
織田家実家剣神社
特に織田信長公は先祖が当社の神官であったことから、劔神社を「氏神」として厚く崇敬されました。
剣神社と織田信長公 リンク
当社の鎮座地である越前町織田は、織田信長公の祖先の故郷です。越前町織田荘の荘官として、また越前国二の宮劔神社の神官として神社に仕えてきた由緒ある家柄でした。
応永年間(1394〜1427)、神官の子に常昌という立派な人物がいましたが、時の越前の守護斯波氏にその才能を見出され、家臣として取り立てられて、尾張の国に派遣されました。苗字は故郷の地名をとって織田を名乗るようになりました。
織田氏は尾張で次第に勢力を伸ばし、守護代を勤めるまでになりました。信長公の時には尾張一円を掌握し、更に日本全国に雄飛するまでになりました。
信長公は戦国の乱世にあっても、劔神社を氏神として深く尊崇し、武運を祈ると共に、多くの神領を寄進し社殿を造立するなど、劔神社の保護と治安に尽くしています。
信長が立てた菩提寺、摠見寺
遠景山摠見寺は、臨済宗妙心寺派の寺院である。
安土城築城築城(天正四年)の際、
信長公が他所より移築し自らの菩提寺とした。
信長の死後、安政元年、火災により本堂などを焼失。
今は礎石のみが三重の塔の北側に遺る。
信長が生きていた時代の摠見寺は、「現世利益」ための宗教施設。
信長時代の摠見寺の高札(規則・連絡事項の掲示板)に書かれていた「ご利益」。ルイス・フロイスの「日本史」にはその内容が詳しく書かれています。長くなるので簡単に書くと。(長く書いて欲しい〜〜汗)
富が増える・貧しい者は豊かになる。
相続する者が生まれる・子孫が増える。
80歳まで生きられる・長寿になる。
病が治る・健康になる。
そして信長は「予の誕生日に参拝することを命ずる」
弁財天を祀る。(サラスワティ)
摠見寺の本尊は観世音菩薩です。
この弁財天は信長自ら竹生島に行って勧請した由緒あるものです。信長公記にも1581年4月10日に信長が竹生島に行ったことが書かれています。往復100kmの皇帝を一日でお浮造するという強行軍でした。
一説によると摠見寺の弁財天は竹生島にあった弁財天そのものではないかという噂もあります。でもそれが本当かどうかはわかりません。
観世音菩薩も弁財天も現世利益の神仏です。
ワシはもう菩薩と聞くだけで、やな感じがあるのだが(笑)中国人のイラストと中国の観音菩薩像、こっちは味方風だ。まあ、中国も神仏習合でややっこしいのだが・・・( ̄▽ ̄;) リンク
摠見寺には仏像とは別にご神体がありました。
「ぼんさん」といわれる石です。
フロイスの書くボンサンと信長公記の盆山が同じものかはわかりません。
また「信長公記」には「蛇石」と呼ばれる大きな意志を一万人近い人手をかけて安土山に引き上げたことや、フロイスの「日本記」にも、6、7千人近い人手をかけて特別な意志を安土山のもっと高い建物に運ばせたことが書かれています。
だから、世間の混乱をよそに信長こそ
神心のある者で ・・・・
信長は「大六天は居るよ」と言ったらしいんだ。まあ、ソース元は書いていなかったんだが。WEB徘徊し、せっかく見つけた情報が二度と見つからない・・(-_-;)
ヒトラーはユダヤ国際金融資本と共産主義・キリスト教と戦った。これはヒトラーがロスチャイルドをブタ箱に放り込んだ記事。
信長がやっていることはヒトラーと変わりがない。経済復興もそうで、民を豊かにして尾張の地の国力を上げた。
信長とキリスト教の関係は、当時は仏教がトンデモなヤバいことになっていた。まずは仏教を片付けないと。
信長は「鉄砲くれ!」だろ。キリスト教がここまで恐ろしいものと気づいていたかは定かではない。仏教がヤバいものとは気づいているよね。秀吉はこの当時から、帰れって感じだったようだ。それでもフロイスの切り返しに、笑ったりもしていた。
本気でヤバいと思ったのは、有名なココからじゃないかな・・・。
富が増える・貧しい者は豊かになる。
相続する者が生まれる・子孫が増える。
80歳まで生きられる・長寿になる。
病が治る・健康になる。
信長の頭の中はシヴァ神と変わりない。第六天はシヴァ神。信長の署名に偽りなし!信長は神社仏閣を散々焼き討ちしたが助けてもいる謎。善なる神を祀る神社仏閣は助け、邪神を祀る神社仏閣は成敗。
世間の人は、本物の神と偽物の神の区別がつかない。悪を正義だと思い正義を悪だと思う。高利貸し潰しだけでなく神や美徳もヒトラーと同じだとすると・・・。
ここまで来ると、構図はこうなのではないの?(滝汗)
織田信長!
これだけやられておいてなんだが。それでも世界一、ユダヤの与える宗教の洗脳が効かない人種は日本人だ!それは中世に侍たちが戦ってくれたお陰なのか!!
これはゲームの画像をコラしたものみたいだけど。期待している構図なのでマジかと驚いた!(笑)
高利貸しと偽物の神はさっさと死ね!
太平記の『第六天魔王波旬』の記述「イザナギ・イザナミの第一の御子神が「この国の主と成て」伊勢に鎮座した時、第六天魔王が現れた。
そこで天照大神は、魔王に「私は仏・法・僧の三宝には近づかない」と嘘こいて誓った。
第六天「国を乱し、人民を苦しめる者があれば、魔王の眷属が必ず罰を与え、死をもって報いさせよう」。
まだヒトラーが正義だと知らない人はどうぞ!
付録
画質は悪いけど少しでも大きく見たい人はいるだろう、作った(笑)
昔は大六天像が沢山あったんだろうね。