民主主義はデマゴーグにからきし弱い
7021文字
副題:民主主義とソフィスト(詭弁家)の神アポロン
紀元前5世紀ごろ、すなわちペルシア戦争後からペロポネソス戦争ごろにかけて、主に古代ギリシアのアテナイを中心に活動した、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家の総称。
ギリシア語に忠実な読みはソピステースである。語源としては「賢くする」を意味する動詞「ソピゾー」(σοφίζω)から作られた名詞であり、「賢くする人」「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」といった意味だった・・・(汗)代表的なソフィストに、プロタゴラス、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコスがいる。彼らの同時代人にソクラテスがいる。
ソクラテス紀元前470年〜399年
時代背景
ソロンの立法(紀元前594年)、クレイステネスの改革(紀元前507年)を経てアテナイには民主制が形成される。この世界史に初めて登場する民主制は、従来の有力・富裕氏族による独裁を防ぎ、選挙・抽選によって国民(女性・未成年・奴隷を除く)のほとんど全てが政治に関わることを可能とした。
ソロン 前639年頃〜没年月日 前559年頃
ソロンは、古代アテナイの政治家、立法者、詩人、本名は不明。当時のアテナイにおいて、政治・経済・道徳の衰退を防ごうとして法の制定に努めたことで有名である。この一連の法制定はソロンの改革と呼ばれ、短期間のうちに失敗したが、アテナイの民主主義の基礎を築いたとして、しばしば高い評価を受けている。
愛国的なプロパガンダとして、そして、彼の政治的改革の弁護のために、彼は詩を残した。彼の作品は、断片として残っているだけである。その断片についても、後の作家たちによって改ざんされ、断片が誤って彼の作とされた可能性が指摘されている、学者の中には、後の作家による改ざんを見抜いた者もいる・・などとWikiの中の人は書いてあるけど。
このように、ソロンを守りヨイショしているけど。
◉ソロンは、アテナイの彼の仲間の市民が、ますます社会的・経済的格差により対立を深めていた時の、政治的な節制の代弁者であった。
◉ソロンが、国内の対立する派閥の間に平和的な和解を確立するために、異常なほど強い立法権を行使しようとした。
◉彼の試みは、明らかに誤解されてしまった。
ソロンを守りヨイショのために紹介している詩は、
ソロンの詩
◉意地悪な男たちは金持ち、良い人たちは貧しい
彼らの蓄えと私たちの徳を取り替えたりしない
徳は、誰も取り去ることのできないものである
しかしお金はその持ち主を一日中変え続ける
◉あの島のために戦うために、どうか私たちをサラミスへ行かせてください
私たちは不名誉を追い払いたいのです!
ソロンWikiの中の人の解説:ソロンは、この詩的な虚勢を戦場での実際の武勇で裏付けたのかもしれない。[134]
ワシ:うるせぇわ(#^ω^)
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しかし、ペロポネソス戦争の頃から、冷静に政治的判断を行うべき評議会(政務審査会)はその機能を失う。評議会には説得力のある雄弁を用いて言論を支配するデマゴーグ(煽動的民衆指導者)が現れるようになり、戦争期の興奮の中、デマゴーグの誘導によって国策が決められるようになってしまった。
そのような社会状況の中で、政治的成功を望む人間は大衆に自己の主張を信じさせる能力を必要とした。そのためには、自信たっぷりに物事を語ることで人々を納得させ、支持を取り付けるものとしての話術の習得が必須であった。ここに、大金を出して雄弁の技術を身につけようとする者と、それを教えるとするソフィストの関係が成り立つこととなった。
悪名としてのソフィスト
ソフィストという名は当時からすでに悪い意味で通用することが多かった。目に見えない論理の力で無理やりに相手を打ち負かす詭弁の方法を教えているという噂が、大衆の反発を買ったことは当然であるといえる。
彼らが相対主義者として際立つのは、ソフィストをただ相手を説得する手管に秀でたものとして定義し、哲学者との区別を強調したソクラテスが存在するためである。
言論を用いた問答競技の方法に過ぎなかった弁証法(dialektikē)を「無知の知」の自覚のために用い、真理(プラトンではイデア)の探求に向かわせるというソクラテスとの対比によってソフィストは批判対象となった。
つまり、ソフィストが「徳を教える」といいながら「徳」がいったい何であるかを問題にすることがなかったこと、すなわち、徳とは何かがわからないのに、それを教えることができると称してお金を取り、「徳のようなもの」として、ソフィスト自身の思想等を教えていたことが、初めて批判されることになったのである。
中国の王朝の徳かね?ギリシャから中国へ渡ったかね?
また、ソフィストを危険思想の持ち主であるとする偏見と対応するように、ソクラテスを既存の道徳の擁護者であるとする見方も存在する。(独自研究?)→(ワシ:ニーチェだ。イヤミだろ)
しかし、socialist→socialismなどに対応する語sophismには「詭弁」の意味しかない。sophist=「詭弁屋」でいいんじゃね?と、ウィキの中の人の話。
ソフィスト(sophist)という単語の本来の意味は「教師」。
現代では詭弁家なのだ。どうしてこうなった?(#^ω^)
ソフィストの代表格はソクラテス
◉世間の無限の数の豆知識サイトや格言名言では立派な偉人と紹介されている。
◉無限の数の豆知識サイトは、ソフィストやソクラテスを詭弁屋から哲学者へ話を持っていこうとする。(多くの各辞書の中の人は流石にそこまで恥ずかしいことはしない)
結局こうだ
◉最初の最初。ソフィストという言葉は教師で哲学者で。立派な人も居たが、あっという間に詭弁家を表す言葉になった。
プラトン
プラトンは結構金持ちの家に生まれ、ソフィストを雇えた。最初の最初は、ソクラテスがプラトンの教師だ。それはそうなんだが、ソクラテスは実は詭弁屋だ。ソクラテスは著書を残さなかったが、多くのプラトンの著書からソクラテスが詭弁屋だと分かるんだ。
世間の学者は、叩く側からの情報であるから精査が必要としているが、ならば、これだけソクラテスを世間はヨイショするのか?
精査も何も、本人の思想の意味する所。やったことを確認すれば分かるのだが、彼らは中身は分らない。宗教の内容の意味が分らないのと同じ。
プラトン 紀元前427年〜347年
時代背景
アテナイにおける三十人政権や、ソロンの立法(紀元前594年)、クレイステネスの改革(紀元前507年)を経てアテナイには民主制が形成される。その後の民主派政権の現実をプラトンは目の当たりにして、現実政治に幻滅。
そんな30代で書いた初期の『ソクラテスの弁明』『クリトン』でも既に、国家・国制・法律のあるべき姿を描こうとする姿勢が顕著であり、『ゴルギアス』においては、真の「政治術」とは、「弁論術」のような「迎合」ではなく、「国民の魂を善くする」ことであらねばならず、そうした問題に取り組んでいたのだということを、これらの著書は書き出している。
⭕️真の「政治術」とは、「国民の魂を善くする」ことであらねばならず。
まったく賛成だ!(^ω^)
逆に支配者の愚民統治は、
真の「統治術」とは、「国民の魂を暗くする」ことであらねばならない。
ソクラテスの裁判
ソクラテスの裁判(紀元前399年)は、アテネのパンテオンに対するアセベイア(不敬)と都市国家(アテネ)の若者の心を腐敗させた。この2つの罪状に対する哲学者ソクラテスの有罪を決定するために開催されました。告発者は、ソクラテスによる2つの不敬な行為を引用した:「都市が認める神々を認めない」と「新しい神々を導入する」。
ソクラテスはアテネの男性市民数百人からなる陪審員による多数決で有罪となり、慣習に従って自らの刑罰を提案した。
ソクラテスが提案した自身の刑罰
自身が都市アテネに提供したサービスのために、彼は国から無料の食料と住居を与えられるべきである。その代わりに、銀1ミナの罰金(ソクラテス自身にによれば、持っている財産すべて)を科すことを提案した。
うるせぇわ!(#^ω^)
でも、死に際まで自身の詭弁道を通すって気合入っているなとは思う。
陪審員たちは彼の申し出を断り、死刑を命じた。公式の罪状は以下の通り。(1)青少年を堕落させたこと、(2)偽りの神を拝んだこと。そして、(3)国教を崇拝していないこと。
宗教に基づくソクラテスへの告発には2つの主要な情報があった。
第1に、ソクラテスは神々が人間のように悪いことをすることを否定することによって、伝統的なギリシャの宗教の擬人化を否定していた。
第2に、告発者たちが示唆したように、ソクラテスは神の起源を持つ内なる声ーーを信じているようであった。
アポロンとソクラテス
ソクラテスの独特の思想やスタイルが形成されるきっかけになったのは、彼の弟子の一人であるカイレフォンが「アポロンの神託所に行った」ことでした。
アポロンの神託所の巫女のお告げ「ソクラテス以上の賢者は一人もいません。」それで・・・
前425年(44歳)アポロンの神託所の巫女の言葉から、賢者に対する問答を行い、自らの無知を証明しようとした。
前415年(54歳)賢者を名乗る者の多くが本質をわかっていないことに気付き、「無知の知」を広めていくことをライフワークとする。
前400年(69歳)「無知の知」を広めようと、権力者を論破して回ったことが反感を買い、裁判で死刑を宣告される。
前399年(70歳)幼馴染クリントンからの脱走の提案を断り、毒杯を飲んで死亡する。
こちらにも情報がある。これが元だろうね。思想形成、プラトンの『ソクラテスの弁明』においてを参照。リンク
ソクラテスが活躍したのは古代ギリシャ・アテネ衰退の時期
紀元前431年のこと、アテネとスパルタによるギリシャの覇権を争う戦い「ペロポネソス戦争」が勃発します。
ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。
そしてこの戦争にアテネは敗北し、ソクラテスが活動していた晩年は、国内に敗戦による重苦しいムードが蔓延していました。
この敗戦やそれに伴う国の変化が、民衆の間で、ソクラテスの思想が広まった影響だとされていた。
敗戦の一因とされる、アテネ軍の覇権を握っていたアルギビアデスは、ソクラテスの影響を受けていたうちの一人。
また敗戦によってスパルタ側から圧力がかかり、アテネには三十人政権という独裁国家が築かれることになりました。
その三十人政権の中心人物にも、ソクラテス派がいた。
敗戦の原因を作ったのも、国の体制を変えてしまったのも、中心になったのはソクラテスの思想を支持している人物。
よってソクラテスは、アテネの情勢を悪化させたと捉えられていた。
クセノポンの話すソクラテス像
クセノポン(紀元前427年? - 紀元前355年?)は、ソクラテスの弟子の1人。
クセノポンの著作『ソクラテスの思い出』で、繰り返し強調しているのは、ソクラテスは「神々が目に見えないと言う理由で信じない者は、自分の心も目に見えないものであるということを忘れている」としている。クセノポンのソクラテスの態度はキリスト教の伝統的神秘主義に近い。
この書でのダイモニオン(神霊のお告げ)についてのソクラテスの解説はキリスト教の聖霊論に非常に類似している。
また、「最高善」というものについては、ソクラテスが「人間は結局のところ何が最善なのか知り得ないのだから」と言って、神々に、「ただ、善きものを与えたまえ」と、祈るように勧めた。この逸話もキリスト教の主祷文(主への祈り)に通じる。
ソクラテスの述べる「最高善」
◉「人間は結局のところ何が最善なのか知り得ないのだから」
◉神々に、「ただ、善きものを与えたまえと祈りなさい」
ソクラテスのアドバイスは、キリスト教の主への祈りにとても近い。
科学と宗教の進歩 リンク
アポロン教団
ギリシャにおけるアポロンの教団の中心地であるデルフィとデロスは、紀元前8世紀頃のものである。デロス島の聖域は、主にアポロンの双子の妹であるアルテミスに捧げられていた・・・・なんか、天照に名が似ていて嫌・・・(^_^;)
デルフィでは、アポロは怪物的な大蛇ピュトンを退治した神として崇拝されていた。
この図にもう一匹、「アポロン」が居たわけだ!!(;´Д`)
古代ギリシャの神は入れ替わっている
新:オリュンポス十二神
主神ゼウスをはじめとする男女6柱ずつの神々の十二神。
アポローンも居る。
旧神:ティーターンたち
ティーターンは、ギリシア神話・ローマ神話に登場する神々。ウーラノス(天)の王権を簒奪したクロノスを始め、オリュンポスの神々に先行する古の神々である。巨大な体を持つとされる。
日本ではしばしばティタン、ティターン、あるいは英語による発音にもとづいてタイタンと表記される。土星の第6衛星タイタンのエポニムである。
狭義のティーターンの子孫(特にゼウスに与しない神々)も、ティーターンと呼ばれる事がある。
ゼウスが父クロノスに戦いを挑んだ時、ティーターンたちの多くもクロノス側につき、10年に渡る大戦争となった。この戦争をティタノマキアという。
ティーターンはバルカン半島の地においてインド・ヨーロッパ語族共通の天空神由来のゼウス信仰が確立する以前の、古い時代の神と思われる。
「タイタニック」(titanic)という形容詞に「巨大な」という意味があり、豪華客船のタイタニック号(Titanic)、恐鳥類のタイタニス(Titanis)など様々な巨大なものの名に「タイタン」(Titan)が由来される。
元素のチタン(titanium)は非常に優れた強靭さと耐久性により名付けられた。土星の衛星の多くにティーターンに由来する名が付けられる。
ティーターンと言う言葉は神々、デーモンと言う言葉と同じ意味だが。
ティーターンとサタンは近すぎる。サターン(土星)とサタンは、発音を伸ばすか伸ばさないかだけの違いしかない。SaturnとSatan。
なので、対するオリュンポス十二神やTOPの神ゼウスの惑星を調べた。昔の日本でのバテレンのキリスト教布教ではヤハウェをデウスと述べたが。ゼウスは木星。
ちなみにアポロンは偽フードコブラが連呼するように太陽。
土星の負のエネルギーにあやかって、土星の名前や衛生とサターンや神々デーモンと繋げたなと思った。でっ、オリュンポス十二神には、土星の者はいない・・。
個人的には人がホモだろうが気にしないが。今はユダヤが同性愛を常識として押し付けるプロパガンダをやりまくっているので話は別だ。
アポロンはホモでも有名な神
アポロンチャネラーソクラテスも少年愛
ソクラテスとアルキビアデス
ソクラテスのLove♫
ソクラテスがアルキビアデスなどの若者と恋愛関係にあったことを示唆する文章がある。『ゴルギアス』においてソクラテスはアルキビアデスと哲学の二重の恋人であったと主張しているし、『プロタゴラス』『メノ』(76a-c)『パイドロス』(227c-d)には彼の浮気性が表れている。
しかし、アルキビアデスとの関係の正確な内容は不明である。アルキビアデスは『シンポジウム』でソクラテスを誘惑しようとしたが失敗したことを認めている。
ソクラテスの恋愛論は、そのほとんどがプラトンの『リシス』から推測されており、ソクラテスは「少年リシス」とその友人たちと一緒にレスリング教室で愛について議論している。♫(;´Д`)
ソクラテスは彼らに親の愛と、親が子供に設定する自由と境界線に関してそれがどのように現れるかを調査することから対話を始める。(中略)ソクラテスは、もしリシス君が全く役に立たないのであれば、誰も彼を愛さないだろう、彼の両親でさえも、と結論づける。それによれば、人間は自分にとって何らかの形で役に立つ人しか愛さないという。(俺、ソクラテス)
多分、レスリング部でも講義の図。
ソクラテスのWEBマメ知識サイト。ソフィスト(詭弁家)が哲学者になっちゃっているが・・・・(;・∀・)
右がプラトンで、左はアリストテレス。
この図が正しい・・(^_^;)
一部ちゃんとしているサイトもあるが、多くのサイトや本の表紙はプラトンとソクラテスがレベルが高く仲の良い師弟関係で、さも高度な議論をしているようにワザとレイアウトしている。たいがい、プラトンがソクラテスになり。若いアリストテレスをプラトンだと思うわけだ。
実際、プラトンはアリストテレスを認めている。
ソクラテス同じく、クセノフォンもプラトンの弟子だが、
プラトンを褒めているわけではない。
アカデミー
「アカデミー」はもともと、古代ギリシャの哲学者プラトンがアテネに開いたアカデーメイアーに由来し、ルネサンス以降、学術団体、学会といった意味に使われています。
ここにあるアカデミーは、古代ギリシアのアテナイ北西部郊外にあった神域、アカデメイアとは別の場所に19世紀に建てられたもの。イオニア式円柱の上には、オリュンポス十二神のアテナ神(左)とアポロン神(右)があり、また入口の左側にはソクラテス、右側にはプラトンの像がある。
ソクラテスの後ろにアポロンが亡霊のように立つのはなんだか。(;´Д`)