イスラム教の創始者ムハンマドがサタンに騙されただあ!?(°_°)
8900文字
『悪魔の詩』殺人事件の答えのnote!
ワシ:最初に
ムハンマドがサタンに騙され女神アル・ラート、アル・ウッザー、マナートをヨイショしてしまった『サタンの詩』(ガラニク事件)という、イスラム教の根幹を揺るがす超大事件がある。ムハンマドがサタンから与えられた章句を一瞬受け入れたという話なんだが、イスラム時代の最初の2世紀は、この物語をイスラム教徒たちはそのまんま受け入れていた。
しかし、13世紀以降、イスラム学者たちは、ムハンマドの「完全性」と矛盾するとして、この物語を否定し始めた。
とはいえこの事件は、初期ムスリムの歴史家の大物ばかりの伝えで、史実性が高すぎる。否定したくても否定したらムハンマドの伝記自体がパーになるんじゃね?(°_°)
イスラム教の初期にメッカの不信心者たちによって作られた作り話であると言う者も現代にいるが、無理なのね。
ソース:イスラム教の最初の2世紀において、ムハンマドの主要な伝記を編纂したほぼ総ての歴史家によって記録されている。
イブン・イスハーク(CE768年)
アル・ワーキディ(CE747年-822年)
アル・ズーリ(CE741年)
ムハンマド・イブン・サード(845年)
アル・タバーリー(839-923年)
イブラーヒ。
イブン・イスハークの編者であるイブン・ヒシャームはこの一節を省略しているが、彼は自身の文章の序文で、イブン・イスハークの伝記から「特定の人々を悩ませる」ような事柄を省いたことを認めている。
そして、ギヨーム訳(Guillaume’s)『イブン・イスハーク』(Ishaq 165-166、Muir, pp.lxxix-lxxx参照)にはアル・タバーリーからの引用として『サタンの詩』が残されている。
『悪魔の詩』殺人事件の真相
サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の小説は13世紀から現代までイスラム教が最高に悩んでいるトラウマをおちょくった!だからホメイニは『悪魔の詩』の出版にかかわった者は全員死刑!のファトワ(司令・法令)を出した。
今回の本題のwikiの翻訳文より、サタンの詩が掲載されている本の宣伝文句のほうが騒ぎの全体像が頭に入りやすいので最初に紹介。
正教以前: 初期イスラム教の悪魔(Satanic)の詩
シャハブ・アーメド著
Before Orthodoxy: The Satanic Verses in Early Islam
by Shahab Ahmed
正教以前: 初期イスラム教の悪魔(Satanic)の詩
シャハブ・アーメド著
詳細 著者シャハブ・アーメッド
出版社 ハーバード大学出版局 発行日 2017-04-24
セクション イスラム研究
新規タイプ
ハードカバーのフォーマット
ISBN 9780674047426
預言者ムハンマドの生涯で最も物議を醸したエピソードの 1 つは、彼がサタンによって示唆された言葉を神の啓示と誤解したとされる事件に関するものです。 サタンの詩として知られる、異教の神々に対するこれらの賛美は、アッラーは唯一絶対であるというイスラム教の信念に矛盾する。今日、あらゆる宗派のイスラム教徒は、サタンの詩の事件が起こったことを否定する。
しかし、(この本の著者)シャハブ・アーメッドが説明するように、イスラム教徒が常にこの見解を持っていたわけではない。宗教はどのようにして真理を確立するのか?特にイスラム教のように、信仰を成文化する中央集権的な権威を持たない宗教はそうである。
アーメッドは、現在広く否定されているサタンの詩の出来事をイスラム正統の形成における事例研究として取り上げ、西暦632年から800年頃の初期のイスラム教徒が正反対の信念を抱いていたことを示している。 彼らにとって、サタンの詞(節)は預言者の歴史において確立された事実でした。
アハメッドは、イスラム教の最初の2世紀におけるサタンの詩に対するイスラム教徒の態度について詳しく説明し、リワヤ( riw? yah)として知られる歴史的報告の伝達の連鎖をたどっている。
ムハンマドの予言的ビジョンの本質に直接触れるサタンの詩事件の解釈は、イスラム教において極めて重要な問題であり、イスラム教徒が合法的に言動できることの限界を定義する役割を担っている。現代のイスラーム世界を理解する上で極めて重要な問題である。
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