第六天魔王調べで知った「日本国の国名の由来」
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日本人の自国意識には、 神国思想に代表される優越的国土観と、末法・辺土観に代表される陰気な国土観の二つの潮流があったのは何故?という疑問を持つ伊藤聡さんという方のPDFがある。
ワシ:中世の邪悪な坊主の達の漢文の文献を紹介してくれてる。ありがたいが、 漢文だけでなく解説している本人の文が読めない・・_| ̄|○
日本の古文は、ワザと民が読めないようにしたもので悪意でしか無い・・この手の研究している人たちは高級な文体だと思いこんでいて、こねくり回した文章というか話し方が好きね・・・リンク。
PDFの最初から三分の一まで日本語を翻訳・解読しまとめた。(;´Д`A
この著者さんは解けてないが、二つの国土観の潮流があるのは、
◉神国思想に代表される優越的国土観=皇国学、明治からの天皇を神とする明治政府のプロパガンダ&もともと天皇・朝廷は邪悪な我らは神だと思っている。
◉末法・辺土観に代表される陰気な国土観=天皇・朝廷が中世に民に苦しんでいるほど心が綺麗と思わせるようにしたため、だ。
坊主たちが話す第六天魔王説のズレを挙げて考察しているPDFだが、もう第六天魔王説のnoteは書いた。「最澄」と「空海」の密教で神道の理論が出来ていく・・?仏教・密教・神道の話は聞いたこと無いもので、こちらの情報は頭に入れて欲しいので、重複するが第六天魔王説から話す。
今回のnoteは、神璽と日本国の国名の由来についての話がメイン。
1.本題
最も紹介されている無住(1262〜1264)『沙石集』巻第「大神宮の御」
第六天魔王について話す最初の文献として、無住の『沙石集』の巻「大神宮の御」がよく引用されます。後の時代に広まる第六天魔王の説の基本的な考え方は、既にこの時期に存在していました。
僧の無住が伊勢神宮に参拝したとき「神宮祠官」より聞いた話。
神官「伊勢神宮が三宝を忌み、僧や尼を参拝させないのには理由がある。この国がまだ無かった頃、大海の底に大日の印文があった。天照大神が鉾で探り当てると滴の露が落ちた。
第六天魔王が遥か彼方からその様子を見て「この滴が国となって、仏法を流布し、人類の生死が出て当然の相がある」と、日本が仏の国土となることを危惧して滅ぼそうと天上界から地上に降り立った。
天照大神は第六天魔王に対して「我は三宝の名も言わない、自らにも近づけないから帰り給え」と約束してたので第六天魔王は天に帰っていった」
通海の伊勢神宮信仰の解説書の『太神宮参詣記』の1287年(弘安10)
鎌倉時代後期の1287年(弘安10)前後の伊勢神宮信仰解説書の『太神宮参詣記』がある。これは魔王と契約するのは天照大神ではなく、 伊弉諾(イザナギ)・伊弉冊尊(イザナミ)とする遺伝。
最も古いのは1191年以前の空海仮託の両部神道書の『中臣祓訓解』
しかし、天照が第六天魔王から国を盗んだ話は、空海から仮託した両部神道書である『中臣祓訓解』が最も古い。
詳しくはコチラ
空海と両部神道??
平安時代後期には、神道を理論的に説明するものとして”仏教の僧侶による神道理論”の教説が作られた。
当時の仏教界の主流であった密教二宗のうち、天台宗の教えを取り入れたのが山王神道、真言宗の教えを取り入れたのが両部神道。
天台宗は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつ。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とする。入唐した最澄によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
「最澄:天台宗➡︎山王神道」と「空海:真言宗➡︎両部神道」
ちなみに天台宗の教えを取り入れた山王神道とは、信長に燃やされた天台宗の総本山である比叡山延暦寺で生まれた神道の流派。
天台宗、真言宗、両派とも大祓詞の解説や、記紀神話などに登場する神や神社の祭神の説明は、当時の仏教界の主流だった密教の教義を使ってされた。
いずれも、最澄・空海などに仮託する神道書になっており、各神社の秘伝として伝授され、また一部は、修験道などを介して民間にも知られていく。これらは鎌倉時代に理論化され、後世多くの神道説を生み出した。
『中臣祓訓解』(まだ一般向け)『中臣祓記解』(秘伝だった)も大日如来が「権化の姿」と現して魔王 に、「府璽」を与えてくれることを願ったことが書かれている。
ここでは「権化の姿」が何であるかは書かれてないが、すぐその後に「大神」とある以上、 天照大神を指していることは明らかだ。1256年に、実忠が書写した多くの書からの引文集の『漢朝祓起在三月三日上巳』では『中臣祓訓解』と酷似した一節が見える。
ここでは大日如来ではなく「天照坐太神現化権之姿」となっているが、恐らく『中臣祓訓解』からのもので、 意識的に改編、または省略したものと考えられる。
また、鎌倉時代の中期以降に成立した両部神道書の『麗気 記』の一巻「仏法神道 麗気記」には、これも本来『中臣祓訓解』を元にしたと思われる「神璽」を魔王より受けたとする一節が見える。ゆえに『中臣祓訓解と訓解』が第六天魔王説の最も初期の内容を伝えるものと考えられ、これは『沙石集』と『通海参詣集』にもあり、第六天魔王と天照大神との間で結ばれた話が、本来的なものであったと確認することができる。
【まとめ】
第六天魔王の話は色んなバージョンがあるが、第六天魔王と天照大神との話が、本来の物である。
2.記紀の話との矛盾
しかし、日本書紀・古事記の「天地開闢」の話とは矛盾している。このことは早くから問題となっており、通説よりだが異伝の『通海参詣記』は、その問題から出来た異伝なのだろう。
天地開闢はコレのこと。
より後の代の春瑜本『日本書紀 私見聞』では、 印文の上に鉾を指し降ろしたのは諾冊二神(イザナギ・イザナミ)であり、第六天魔王と契約したのは天照大神とする、記紀などの天地開闢の話と両者を融合したような説を述べ、 その他にも、第六天魔王説を伝える様々な書にも多くの異伝が生じており、 歴代の注釈者たちが日本書紀・古事記とのズレの解釈に苦労していたと思われる。
3.日本国の国名の由来
第六天魔王説の印文の存在は日本国の由来の話となっている。「天地開闢の時の海底に、大日の印文(梵字)があり、その上に日本国が作られた。」
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