【やさしい儒教入門】五常・五倫・徳・孝悌・徳治主義
投げ銭制:3199文字
儒教の説明をしていくが、まずは簡単に説明。
天皇の先祖(明治天皇のお言葉)
天皇の代々の先祖の残した教えを明らかにし、永久に続く規則を成立し、法の箇条書の文章を明らかに示し、内(仏教)で、子孫の従い応じる所と仕向け、外(儒教)でもって、臣民こと支配される奴隷に、力を添えて天皇を助ける道を広め、永遠に決まりに従うよう謀って、ますます国家の大いなる基礎を強固にすべし。
1.五常
五常または五徳は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱とあわせて「三綱五常」と表現することも多い。
概要
儒教では、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いている。
仁(じん)
人を思いやること。孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。
『論語』で、顔回の質問に対して、「克己復礼」すなわち「私心を克服して礼を重んじること。それが仁である(己に克ちて礼を復むを仁と為す)」と答えている。「仁」とは、思いやりの心で万人を愛すと騙し、利己的な自身の欲望を抑えて目上の者、そしてその頂点である聖王への礼儀をとりおこなうことである。
まとめ:臣民(奴隷)は私心を克服して支配する側に礼を重んじること。それが仁である。
(でも、もっと本当の深い意味がわかった。これかぁ〜と言う感じで笑える、お楽しみに。)
義(ぎ)
私心の利欲にとらわれず、目上の者になすべきことをすること。これが正義。貧乏になるので、常に「利」と対比される概念である。
礼(れい)
「仁」を具体的な行動として表したもの。上下関係で守るべきことを意味する。
智(ち)
道理をよく知り得ている人。おりこうな人。
信(しん)
友でもないのに友情に厚く、述べた言葉を変えないこと。上に真実を告げること、上との約束を守ること、上に誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加え五常となった。
2.五倫(ごりん)
概要
五倫は、儒教における5つの道徳法則、および徳目。主として孟子によって提唱された。「仁義礼智信」の「五常」とともに儒教倫理説の根本となる教義であり、「五教」「五典」とも言う。
中国最古の歴史書『書経』舜典にすでに「五教」の語があり、聖王の権威に託して、あるべき道徳の普遍性を追求してこれを体系化しようとする試みが確認されている。
戦国時代にあらわれた孟子においては、聖王への秩序ある社会をつくっていくためには何よりも、親や年長者に対する親愛・敬愛を忘れないということが肝要であることを説き、このような心を「孝悌」と名づけた。そして、『孟子』滕文公(とうぶんこう)上篇において、「孝悌」を基軸に、道徳的法則として「五倫」の徳の実践が重要であることを主張した。
父子の親
「父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない」と教える。
君臣の義(人として行うべき正しい道・道理)
「君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない」と教える。
夫婦の別
「夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる」と教え男尊女卑にすり替える。
長幼の序
「年少者は年長者を敬い、したがわなければならない」と教える。
朋友の信
友でなくとも「たがいに信頼の情で結ばれなくてはならない」と教える。
孟子は、以上の五徳を守ることによって聖王へ尽くす社会の平穏が保たれるのであり、これら秩序を保つ人倫をしっかり教えられない人間は禽獣に等しい存在であるとした。なお、『中庸』ではこれを「五達道」と称し、君臣関係をその第一としている。
達道
古今東西を通じて一般に行われるべき道徳。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五つの道。
3.徳
徳は中国の哲学、特に儒教において重要な概念である。この文字は殷代の資料(甲骨文字など)には存在せず、西周時代になって作られた。
徳
道徳である徳は統治の根本原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされるとの考え。前漢において儒教は「儒教」とは呼ばれず、もっぱら法家思想の法治や刑に対抗する意味で「徳教」と呼んでいた。儒教思想において重要な規範的徳の価値は、生まれによってではなくその人の徳の現れた実際の量の結果によって社会的地位が決せらるべきであるということである。
4.孝悌(こうてい)
孝悌は、儒教における根本的な徳目の一つで、表向きは親や兄姉といった年長者に対する崇敬を意味する概念。
概要
「孝」はよく親に従うこと、「悌」は兄や年長者によく従うことであり、最後は聖王である天皇に従うことになる。
戦国時代に現れた孟子においては、秩序ある社会を造っていくためには何よりも、親や年長者に対する崇敬の念、すなわち「孝悌の心」で民や臣下を騙すことが肝要であることを説いた。
5.徳治主義
徳治主義とは、徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきであるとした孔子の統治論に由来する儒教の政治理念・思想。古くは徳化などと呼ばれていた。
極端な法家主義を取って崩壊した秦。漢は秦の苛法から民衆を救うことを大義名分として成立した国家である一方で、秦の統治体制を継承するという矛盾を抱えていた。やがて、武帝のもとで董仲舒は、天にも陰陽があり、陽が徳で陰が刑であり、どちらか一方が無くても国家は成り立たないと説き、徳治主義を基本とする儒教の中で法治主義の補完が必要であると主張した。
以後、中国王朝の表向きは儒教の徳治主義を国家理念として、裏では法家の法治主義による国家運営を遂行する体制が確立し、日本に受け継がれる事になった。
6.日本における徳治主義
日本においても儒教が説く徳治主義は法治主義を代表する律令政治の中に入っている。統治者である天皇が徳をもって人民を教化して仁政と騙す。
明治に入ると、教育勅語などを通じて国民に天皇及び国家への忠誠を求める一方で、天皇がそれに相応しい「聖徳」の持ち主であることが盛んにプロパガンダされるようになった。また、今日でも責任ある地位の人間が謝罪会見などを行う際に「不徳の致すところ」という表現をしばしば用いられるのも、集団の指導者としての徳で騙していた時代の名残であると言える。
教化とは、善行というお題目により人々を安寧に導くという、仏教に由来する概念である。 現代では、特定の政治・宗教の価値観を、学習する立場の者に対し、ある種の意図をもって洗脳することを指す。
中国の古典から伝わり、日本書紀にも登場する。元は教えによって邪悪な天皇(聖王)・朝廷に取っての都合の良い善に転化させることであった。
儒教では徳の中でも仁が最高の徳とされ、天皇の名前に最も付く字。
明治:睦仁(むつまじい仁)
大正:嘉仁(よい仁)
昭和:裕仁(ひろくゆたかに仁)
平成:明仁(あきらかな仁)
令和:徳仁(徳で仁)
おわり
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