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『悪魔の詩』殺人事件の真相

『悪魔の詩』殺人事件の真相がわかった。前段階として『悪魔の詩』殺人事件の紹介です。知らない人も多いのではないかな?5363文字

報道が全部そろっている。詳しい。

下の2つは良い短い要約、すぐわかる。


『一番くわしいサイトの文を短く縮めたもの』


五十嵐一さんは、中東・イスラム教の研究をしていた筑波大学の助教授。サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を翻訳したために、1991年7月11日に筑波大学のキャンパス内で、首などを切られて殺害された。

五十嵐一さん
左:サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』
右:五十嵐一さんの翻訳本

悪魔の詩の翻訳&記者会見で暴行を受ける

1990年2月、日本外国特派員協会で出版記念記者会見が行われたが、この時パキスタン人男性が乱入し、五十嵐一さんと出版者のジャンニ・パルマが暴行されるという事件も起きてた。

また、在日パキスタン協のライース・スィビキ会長が、ジャンニ・パルマに対して「死刑」を宣告。また、イスラム関係団体から出版見送りの要請が行われたこともあった。

五十嵐一さんは『悪魔の詩』を翻訳した後、身の危険が迫っていた。周囲もそのように感じていたようです。しかし、五十嵐一さん自身は死刑宣告などを本気にせず、ただの脅しと思っていたようです。

つくば中央署が五十嵐さんに身辺警護を打診しているが、「心配ないから」と断っている。

また、大学の講義では冗談交じりで「死刑宣告されて危ないんだ」と話していた。

さらに、悪魔の詩訳者殺人事件後には、事件数週間前に書かれたと思われる四行詩が大学の五十嵐さんの机から発見された。

その四行詩は日本語とフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の節に対し、フランス語では「階段の裏で殺される」と書かれていたといいます。

・だんのうらでころされる
・かいだんのうらでころされる

ひらがなだと2文字しか変わりません。「壇ノ浦」は地名ですから、フランス語でもそのまま「壇ノ浦」になるはずです。

イスラム式で殺害

1991年7月12日早朝、筑波大学の筑波キャンパス内にある文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで、五十嵐一さんが何者かに刺殺されて倒れているところを清掃の女性が発見しました。

・首の左に2ヶ所の傷
・首の右に1ヶ所の傷
・右胸や腹部に3ヶ所の傷

首の計3ヶ所の傷は全部頸動脈を切断するほどの深さで、胸腹部の傷は一部肝臓に達していました。五十嵐一さんは犯人に襲われた時に、必死に抵抗したようだ。

事件当日、襲ってきた犯人に対して、五十嵐氏はとっさに茶色い革のバッグで防御したようだ。バッグの表面には鋭利な刃物で切られた跡がいくつも残っていた。カフスボタンは引きちぎられ、壊れていた。愛用していた黒ぶちメガネは両方のレンズとも、点々と血痕がついていた。

 引用:「悪魔の詩」殺人事件 27年目の真実 スケジュール帳に記された〈週刊朝日〉 | AERA.

また、犯人のものと思われるO型の血液も現場に残されていた。さらに、犯人のものと思われる中国製カンフーシューズの足跡(27.5cm)も残されていた。

五十嵐一さんが殺害された方法は、イスラム式の殺害方法と言われている。

“処刑”であることは殺され方を見れば歴然ですよ。日本人なら短刀でひと突きという方法をとるのに、この場合はノド首を切られてるでしょ。イスラム式の殺し方ですね」(同年7月28日号の「週刊読売」)

 引用:迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント | デイリー新潮


首を切って殺害するというのは、イスラム式の殺害方法・・・。

五十嵐一さんは『悪魔の詩』を翻訳した後にホメイニ師から死刑宣告を受けていた・・・。

ホメイニ師

15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し未解決事件となった。外国人犯人説が存在するこの事件では、実行犯が国外に居続けたと仮定した場合は公訴時効は成立していないことになるが、警察は証拠品として保管していた被害者の遺品を遺族に返還している。

イランの日刊紙サラームは、五十嵐の死を「全世界のイスラム教徒にとって朗報」と歓迎した。

1991年7月11日死去(享年44)


バングラデシュ留学生犯人説

五十嵐一さんを殺害したのは、当時筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人という見方が強くなっています。

平成10年4月30日号の『週刊文春』には、東京入国管理局が作成した「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」の内容が掲載された。

そこでは犯人はバングラディシュ人学生で、さらにその学生は五十嵐一さんの遺体が発見された7月12日の昼過ぎに、成田空港から母国に戻っていることが明らかになった。

事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人を容疑者として捜査していたと報じている。なお、このバングラデシュ人とA(五十嵐一)さんに何らかの接点があったかは判明していないようだ。
※記事は伏せ字にしていた

 引用:「悪魔の詩」を訳し惨殺された大学助教授、自分の死を予言?意外な犯人の噂【未解決事件ファイル】 (2019年6月1日) – エキサイトニュース

ここまで怪しいバングラデシュ人の留学生がいるなら、なぜバングラデシュやIPOに捜査協力を求めないのか?それは、国際情勢を考慮したからという理由のようです。

つまり、悪魔の詩訳者殺人事件の実行犯を逮捕してしまうと日本はイスラム世界と対立することになり、テロなどのリスクもあるため、日本政府は積極的な事件解決は望まなかったようです。


五十嵐一さんは、なぜ殺された?

『悪魔の詩』はイスラム教を揶揄する表現・内容が非常に多かったと言われている。

特に、飛行機が爆発して、主人公がファリシュタの夢(妄想)シーンである2章には、イスラム教のタブーとされる内容・表現がある。

◉ムハンマドのような預言者が悪魔のささやきに魅入られて多神教を容認する預言をする
◉預言者の2番目の妻アーイーシャが娼婦としてハーレムにいた
◉ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場

◉大天使ジブリールから啓示を受けていると主張するインドの農民の少女アーイシャ。彼女は、アラビア海を歩いて渡ることができると言って、村のコミュニティ全員をメッカへの徒歩巡礼に誘う。この巡礼は破滅的なクライマックスで終わり、信者はみな海に入って消えてしまう。(なんて迷惑なw)

◉預言者の2番目の妻アーイーシャが娼婦としてハーレムにいた。
◉夢のシークエンスで、20世紀末を舞台に、海外からやってきた狂信的な宗教指導者 "イマーム "の姿が描かれる(これは明らかにホメイニ自身を風刺している)。

そもそも、この『悪魔の詩』は、イスラム教の預言者であるムハンマドの生涯から着想を得て作られたもので、ムハンマドを彷彿とさせる「マハウンド」という人物が出てくる。

イスラム教は唯一神「アラー」を信じる一神教であり、婚前交渉を厳しく禁止していて、売春は重罪です。これがタブー・問題点を理解する上での大前提です。

それなのに、イスラム教の預言者であるムハンマドをモデルとした人物が、悪魔のささやきで多神教を容認する預言をしています。

これだけで、イスラム教徒にとっては馬鹿にされた、自分の宗教・自分の根本を否定された、冒涜されたと感じるのでしょう。

また、イスラム教では禁止されている豚肉を食い散らかすような表現も出てきます。

Amazonに次のような感想がありました。

あるイスラム教に改宗した友人は「自分の母をレイプし女性蔑視しまくった奴の本を読まされた気分だ」とこの本の感想を言っていた。

引用:悪魔の詩 上 | サルマン・ラシュディ, 五十嵐 一, Salman Rushdie |本 | 通販 | Amazon


『悪魔の詩』は1988年9月にイギリスで出版された。

しかし、出版直後からイスラム教徒から反発があり、翌月にはインドで発禁処分、さらにイギリスでも8,000人のイスラム教徒がこの悪魔の詩の発禁を求めるデモを行いました。

1989年2月14日にはイランの最高指導者・ホメイニ師(ルーホッラー・ホメイニー)が、『悪魔の詩』の著者・ラシュディ氏や出版に関わった者を死刑とする「ファトワー」を宣告します。

ホメイニ師

ファトワーとは、イスラム教に基づいて発令される勧告です。つまり、ホメイニ師は「『悪魔の詩』に関わった人、みんな死刑ね!」と全世界のイスラム教徒に告げた

このホメイニ師の死刑宣告の翌日には、イランの財団がファトワーの実行、死刑を執行した人には、日本円で3億7千万円を出すことが発表された。

1989年3月7日 - イランがイギリスと国交断絶!(イギリスで出版されたから)

このホメイニ師の死刑宣告で、『悪魔の詩』が一気に注目を集めることにった。ちなみに、ホメイニ師は1989年6月に心臓発作で死亡。以後『死刑』は永久に撤回できなくなった。( ̄▽ ̄;)

1990年2月9日 - ホメイニーの後継者アリー・ハーメネイーが、演説の中で「ラシュディに対する「死刑」宣告は有効であり、執行されるべきである」と改めて強調。

アリー・ハーメネイー
イラン・イスラム共和国 第2代 最高指導者 第3代 大統領
元首 ルーホッラー・ホメイニー最高指導者

五十嵐一さんの『悪魔の詩』の認識のズレ

「一読者として興味を覚え、かつ一イスラーム研究者としても、同宗教に対する冒涜の書ではないと判断したからこそ、翻訳を引きうけたのであって、何も言論出版の自由、表現の自由のためにひと肌脱いだわけではないのである」

 引用:迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】 | デイリー新潮

また、警察が身辺警護を打診した時には、「本を読んでもらえば、誤解されるようなことはないから心配ない」と言って警護を断ったというエピソードもあります。

もしかしたら、五十嵐一さんはイスラム教を学問として研究していてその本質を理解していたからこそ、本当のイスラム教徒が死刑宣告に従うはずがないと思っていたのかも知れません。

その証拠に、インタビューで次のように話しています。

「ホメイニー師の死刑宣告は勇み足であった。(中略)イスラームこそ元来は、もっともっと大きくて健康的な宗教ではなかったか」

引用:(2ページ目)迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】 | デイリー新潮

ワシ:

イスラームこそ元来は、もっともっとお尻の穴が小さくて短気な宗教なんだよ。(怖がって、またイスラムに聞いて欲しくてこういったのかな?)


『悪魔の詩』作者サルマン・ラシュディ氏も被害者

作家のサルマン・ラシュディ
インド生まれのイギリス系アメリカ人の小説家

『悪魔の詩』を翻訳しただけで殺害されてしまった五十嵐一さん。では、『悪魔の詩』を書いた作家のサルマン・ラシュディ氏はどうなった?

実は、サルマン・ラシュディ氏は『悪魔の詩』を出版して、ホメイニ師の死刑宣告を受けた後、イギリス警察に厳重に保護されながら、潜伏することになりました。

その後も、警備をつけながら生活してたが、ここ数年はほとぼりが冷めたと思ったのか、警備なしで普通の生活をするようになっていた。

そんな2022年8月12日、アメリカのニューヨーク州シャトークアで講演を行っていたラシュディ氏は、ニュージャージー州に住む24歳の男に襲われ、重体となった。


ラシュディ氏は腹部に4ヶ所、右首前部に3ヶ所、右目に1ヶ所、胸に1ヶ所、右太ももに1ヶ所の傷を負った。ラシュディはすぐにヘリコプターで病院に搬送されて、人工呼吸器をつけられ、緊急手術。

一命は取り留めたものの、右目は失明し、片腕が不自由になるという後遺症が残っています。

ラシュディ氏の襲撃事件の後、イランの保守的なメディアはこの襲撃を称賛しています。

反イスラム小説「悪魔の詩」を執筆した作家、サルマン・ラシュディ氏が米ニューヨークで襲撃された事件で、イランの保守派各紙は13日、襲撃を称賛する記事を掲載した。

引用:イラン保守派各紙、ラシュディ氏襲撃を称賛 – 産経ニュース

イランのケイハン紙は犯人のハディ・マタールを「アッラーの敵を刺した勇敢な男」と評価した。

生きていたぁ〜〜〜!(^_^;)


ワシ:「悪魔の詩」関係者殺人命令事件の真相

これはな〜〜、作家サルマン・ラシュディ「悪魔の詩」の前に、初期のイスラームのコーランの注釈書であるタフシールや、イブン・イスハークはじめムハンマドの伝記に「サタンの詩」があるんだよ。

➡     ➡     ➡

イブン・イスハーク704年頃 - 767年)として知られる、8世紀のイスラム教徒の歴史家および聖人伝学者。イスラムの預言者ムハンマドの重要な伝記の基礎を形成する口頭伝承を収集した。

怒った理由はこれだ。

これは、「ムハンマドがサタンに騙されて多神教の女神を容認した」
記述があるのだ!

由緒正しい記録で否定出来なく、イスラムのお偉いさんたちが1000年間、気が狂いそうで認められない大問題がある!ヽ(`Д´)ノプンプン

つづく

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