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「セックスワーク・イズ・ワーク」論に対するマルクス主義からの批判

※2024年全学連大会議案より抜粋・加筆し、掲載します。


「セックスワークとは、対価を得てお客さんに性的サービスを提供するサービス業の一種であり、立派な仕事の一種です。」「店からの被害も、性感染症の感染も、被害が起こりやすくなる社会的/法的/政策的条件があるだけで、元来セックスワークそのものが被害を受ける仕事ではないのだということ…(中略)。ほかの産業や職業と同じく、セックスワークにおける労働者としての権利を保障することによってのみ、悪事を正すことができます。」

『セックスワーク・スタディーズ SWASH編』


 国際的人権団体アムネスティ・インターナショナルや日本のセックスワーカー団体SWASHが唱えている通り、セックスワーク・イズ・ワーク論(以下、セックスワーク論)とは、「売春はサービス業の一種であり」、他の仕事と同じように自由化・非犯罪化することで、セックスワーカーの安全が守られ、偏見が取り除かれ、権利が向上するとする論である。

●賃労働とは何か、売買春とは何か。

 この問題について考えるときに、そもそも賃労働とは何なのかということから問題を見ていかなければならない。セックスワーク論への賛否にかかわらず、よく「セックスワークが他の賃労働と同じならば、搾取的ではない/尊厳がある」という前提に立ち、「労働か、人身売買か」という軸での議論がなされている。しかし、資本主義社会において、労働者は自分と切り離すことのできない労働力を商品すなわち「モノ」として資本家に売り、人生の処分権を雇い主に委ねる以外に生きていく術を持たない。そして資本家は労働者を搾取することによって富を得ている。現実にも資本家と労働者は全く対等な存在ではなく支配・被支配の関係におかれ、搾取され尊厳を奪われている。すべての賃労働は搾取であり、資本主義とは賃金奴隷制である。賃労働と資本の関係を「公正」なものだという前提に立って容認するセックスワーク論は、そもそもにして度し難い資本主義美化論であると同時に、その延長で「性の商品化」としての女性の性産業への従事を美化するものだ。

 そのうえで、むき出しの売買春であろうと一定の法的規制のもとでの性産業であろうと、「性の商品化」は労働力商品化と同じ次元で語ることはできない問題である。
 売買春は私有財産制のもとでの家族制度の補完物としての役割を持っている。有史以来、支配階級にとって一夫一婦制家族制度の唯一の目的とは、父親の富を相続させるために父の子であることが間違いない子を生ませることであり、そのために女性の性的自由を制限した。しかし「一夫一婦制」とは、実際には女性にだけ強制され、男性の不倫や買春は公然と行われてきた。それは家族制度が私有財産の継承のための手段であって、人間の性愛や愛情の制度的表現ではないことの裏返しの表現であり実証である。女性を「家内奴隷」「子産み道具」として抑圧するためのこの一夫一婦制の補完物として、男性(夫)の性的自由を継続させるために売買春はつねに存在してきたのである。

 賃労働と資本の関係を基礎に成り立つ資本主義社会のもとでは、セックスワークは一方においてはプロレタリア女性の極限的な貧困と無権利状態を前提とし、絶えず再生産されていくものとしてある。ふかふかのソファの上に安住するリベラリストがいくら「セックスワークは本屋でアルバイトするのと何も変わらない」と言おうと、私たち労働者階級はどのような人々がセックスワーカーに「ならざるを得ない」かに、現実の生活の中で日々直面している。シングルマザーの女性が福祉課に生活保護の相談をしても何度も断られ、「ソープランドで働け」と職員に追い返されている。貧困女性や障害者女性、移民、シングルマザー、あるいは性虐待や親の女児差別によって「不必要な存在」として教育の機会や自己肯定感を奪われてきた女性たちが性産業に従事させられているのだ。生活費や学費、子どもを養育するための費用を得るためにセックスワークをすることがあたかも女性の「セーフティーネット」や貧困の「解決策」、果てには「楽に稼げる」「特権」かのように語られている。そしてそれは「スカウト」など斡旋業者の男性を仲介して、「高収入」というきらびやかな粉飾や騙し、脅迫、暴力によって誘導・強制され、「客」の支払う金銭の半分近くがこうした斡旋業者や風俗店経営者に搾取される。
 さらに女性に対してはホストや整形業界が、女性差別によって幼少期から自己肯定感を破壊されてきた女性たちに襲い掛かり、徹底的に金銭を巻き上げ、性産業に引きずり込みつづけるのである。「労働者が賃金を現金でうけとって工場主による搾取がひと段落すると、こんどはブルジョアジーの他の部分、すなわち家主、小売商人、質屋等々が労働者に襲い掛かる」(共産党宣言)と表現された所の極限的なものが女性には襲い掛かっている。
 セックスワークは、資本主義のもとでの経済的強制と直接的な暴力による強制の両面をもって、女性の肉体と精神を絶えず破壊し続ける。女性への差別・抑圧を拡大し、彼女たちの社会を変革する主体としての自覚と能力を踏みにじり、また買い手たる男性の腐敗をも再生産し続けるのである。この現実を怒りなくして語ることはできない。このような現実を粉砕すること以外に解放はない。

●国家と売買春

  繰り返しになるが有史以来、国家も権力者も、売買春を社会に必要なものとして位置付け、公然・非公然/合法・非合法の売買春に対して一定の介入こそすれ決して撤廃しようなどとはして来なかった。とりわけ金融資本が国家を支配するまでに至った帝国主義段階の資本主義においては、国家による売買春(ひいては家族制度、性規範など性・生殖に関する全領域)への意識的介入が強まる。日本において風俗業は全て警察権力の管轄下にある。ドイツなどでは合法化によって、性産業が一大産業となり(市場規模は145億ユーロ=2兆円であり日本の美容業界と同規模)税収の面からも国家の中に一つの公的な産業として組み込まれている。とりわけ「観光産業」として大きな影響力を議会で持つに至り、性産業資本から強力な支援を受けている国会議員まで登場し、性産業を巡る国策に対して直接に介入するような事態にまで発展している。
 平時におけるあらゆる形態での「性の商品化」(ポルノ業界、風俗業界、公娼制度等々)から戦時における「軍隊慰安婦制度」≒植民地の女性への強姦にいたるまで、支配階級とその国家権力は、自らがつくりだし激化させている社会の荒廃、そのもとで人民大衆の不満や鬱憤を「発散」させるためにも女性を(一部の男性や子ども、トランスジェンダーも含めて)「身売り」へと追いやっているのである。
 性産業の肥大化にみられる「性の商品化」の極限的な拡大は、階級社会の矛盾と腐敗の表現であるばかりでなく、その階級支配の存続がもはや最末期的状態に到達していることの表現でもある。何より戦場となり故郷を追われたウクライナの女性たちに狙いを付けて性産業に囲い込むという事態が欧州のみならず世界的に進行していることが報じられている。戦争と女性差別を生み出し続け極限化していくのが資本主義である。

●いわゆる「自己決定権」について

 リベラル勢力は女性の「自己決定権」を強調することで、女性が性を「自由に」扱うことによって、あたかも女性解放が実現していくかのように主張している。だが、新自由主義と戦争による直接の政治的・経済的圧迫によって自らの性や身体そのものを差し出さなければならない人々が大量に生み出されている現実から切り離した形で「自己決定権」を強調することは、階級社会の搾取・抑圧・差別や帝国主義戦争の現実を隠蔽する役割を果たす。真の意味での「自己決定権」や性差別・抑圧からの解放は、家族制度=私有財産制度が存続している限り、資本主義・帝国主義を打倒しない限り、実現することはできない。その変革抜きの「自己決定権」の追求は観念論と自己合理化への転落の道である。女性の解放は、セックスワーク論はもちろん、小ブル急進主義が唱えるようなフリー・セックス論、ポリアモリー思想などによって進むことはない。それは階級社会に存在し続けてきた買売春や女性共有制のリベラル風な表現に過ぎない。むしろ「男性にとってもっとも都合のよい反動的小ブルのユートピアなのであり、女性差別・抑圧の最高形態ですらある」(津久井良策『内乱と武装の論理』)。
 こう言うと、人間の主体性・尊厳を否定する主張であり差別思想であると批判されることが容易に予想されるが、視点を変えて見れば決して難しい話ではないことがわかる。果たして我々は資本主義・帝国主義打倒抜きに労働者の解放や自己決定などというものが可能であると言うことができるだろうか。それ抜きには労働者はいくら考え方を変えたところで賃金奴隷として生きるほかにはないのである。これと同様に、性・女性に対する資本主義的な抑圧からの解放とは、その唯物論的根拠である社会制度=私有財産制度を廃絶すること抜きには真の意味では絶対に実現されえないのである。

セックスワーク論は、このような「性の商品化」の本質的な問題性ばかりか、その女性差別の極限的形態としての実態すらまともに見ようとはせず、むしろこれを「労働」の一形態として、あるいは「誇るべき職業」として美化するものである。それは女性解放になんら結びつかないばかりか、彼女たちの苦しみと屈辱をますます拡大するものである。この解決の道は女性の被抑圧的地位と、それを必然化する社会体制を根底から粉砕する以外にない。それは労働力が商品化される社会の廃絶であり、それは同時に売買春を象徴とする性の商品化を廃絶するものである。


 極限的な女性差別を生み出している張本人でありながら、「性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」(売春防止法)などと言い、セックスワーカーを「ふしだら」な存在として扱い公然と差別している国家権力・資本家階級は万死に値する。ここまで述べてきたことからも明らかな通り、自らが直接に売買春を行うことになるかどうか、という現実と機会に圧倒的多数の女性は不断に接している。性産業に従事しているか否か、売買春の経験があるか否かで、女性たちを差別することはもちろん、区別することも全くのナンセンスである。女性が女性であることによって差別を受けてはならないのと同様に、売買春の現実に曝されていること女性が差別を受けてはならない。弾劾されるべきは売買春そのものであり、それを必然とする社会、女性差別を絶えず再生産する社会であって、女性たち自身ではない。我々は「セックスワーカー」たちに対して、ともに団結して闘うことを呼びかける。女性解放の道、女性が自己決定権を獲得する真の道は、労働者階級が資本家階級から権力を奪い取り、個人的・社会的・政治的決定権を自ら勝ち取ることと一体で切り拓かれる。11・3全国労働者総決起集会(日比谷野外音楽堂)に集まり、すべての女性は反戦闘争の主体としてともに声を上げよう!

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