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【資料】革命的女性解放闘争の創成のために(1973年 田島優子 著)

共産主義者24号(1973年1月1日発行)掲載論文

田島優子著『革命的女性解放闘争の創成のために』は1973年1月1日発行の革命的共産主義者同盟(以下、革共同)機関誌『共産主義者』24号に掲載された。
日本帝国主義の危機による差別・分断の激化と、運動の分岐・反動的組織化の時代に革命的共産主義運動の立場から女性解放の理論を打ち立て、体制内婦人運動やウーマンリブ運動を乗り越えたその内容は当時の世界最先端であり、今日においても全く通用する部分を多く含む。
資料として掲載・配布する。


第一章 われわれの基本的視点

第一節 侵略と内乱の時代と女性解放闘争の切迫性

 今日、戦後世界体制の解体的危機がいっそう深まり、日本帝国主義は政治的、経済的、体制的危機に突き動かされ絶望的泥沼的アジア侵略へ向かって突き進んでいる。日帝の侵略・侵略体制築の攻撃は、七二年五・一五沖縄「返還」とそれに繋がる沖縄政策を結節環的基軸にドラスティックに展開されており、労働者人民へのいっさいの犠牲の転化、暴虐な反動的支配の強化、排外主義イデオロギー・差別イデオロギー攻撃の激化を不可避とした矛盾の激成は、わが革命的左翼を先頭とする労働者階級人民大衆の闘いの大高揚、反撃の激発を呼び起こし、アジア人民の反日(帝)闘争の不可避的高まりを呼び起こし、一九七〇年代を侵略と内乱の時代、危機の革命的危機への転化の時代として幕明けさせている。
 日帝のアジア侵略、侵略体制構築の攻撃は、プロレタリア階級・人民大衆に一般的に加えられる政治・経済的圧迫が激化し、質的に変化するのはもちろんであるが、それに留まらず、帝国主義段階にあって独自な物質的基礎と構造とをもって加えられてきた在日アジア人民、沖縄県民、部落民、「障害者」、被爆者、女性への差別・分断・抑圧の攻撃が危機的・破壊的性格をもっていっそう厳しく質的にも変化した形で加えられるのである。
 侵略と内乱の時代において女性への支配・抑圧・分断・差別の攻撃は、次のような形をもって加えられる。

(1)政治・経済・社会的問題から見るならば、日帝の危機と侵略は女性の政治的・法的諸権利の剥奪、経済的・社会的地位のいっそうの差別分断的な劣悪化を必然とする。そして、それはよりいっそうの女性差別イデオロギーの強化の物質的基盤であると同時に、女性差別イデオロギーを動員しつつ押し進められるのである。

(2)政治的・イデオロギー的側面から見るならば、日本人民大衆の侵略・侵略体制に向かっての総動員が家族(制度・イデオロギー)の強化、中教審答申に見られる女子差別・分断教育の強化、中絶禁止法に見る性と生殖の国家管理、性抑圧、家族的紐帯の反動的強化、性抑圧、「女らしさ」の強要などを通した女性差別・分断・抑圧の強化を強力なテコとしており、それは歴史的にそうであったばかりではなく現在的にもまた深い関わりをもって相互に補完しあっているのである。
 このような客体的危機の深化の下での帝国主義の側からする攻撃の激化は主体の側からの闘いの革命的激発を不可避とする。六九年十、十一月決戦―七一年十一月大暴動を闘い抜き、本格的な革命派として登場したわが革命的左翼を軸とするいよいよ本格的な侵略と対決する階級闘争の内乱的、武装的、革命的発展は、日帝の沖縄政策、侵略路線と対決する政治的・結節環的闘いを軸としながらも同時に、日帝の侵略・侵略体制構築の攻撃として激化する独自の差別・分断・抑圧の攻撃、在日アジア人民、沖縄県民、部落民、被爆者、「障害者」、女性などの独自の闘いをいっそう爆発的様相を持って発展させている。
 そして、この両者の闘いが緊張を孕みながらも各々独自の発展と連帯・結合の方向を取りつつあり、政治的・結節環的闘いの質が、後者の闘いに学び肉迫することを通して、根底的、全人民的爆発の様相を深めさせている。
 こうした日帝の危機と侵略の時代における階級闘争のあらゆる独自的分野への拡大・深化、それを媒介とした全人民化は、真の意味での内乱的、革命的発展、民衆の末端に至るまでの革命と反革命への分裂の深化として、あらゆる女性を深刻で鋭角的な分裂、再編流動の中に叩き込まずにはおかない。
 それは、婦人警官、女子自衛官、町内婦人会などを通した女性の官民双方からする反動的反革命的組織化、テレビタレント、社会的諸事件をも動員した「良妻賢母」「女らしい女」のねつ造とキャンペーンなど敵の側から進められるとともに、反革命カクマルの公然たる反革命差別主義への転落、激動期の到来とともに必然化する既成婦人運動の破産と裏切り、そしてこのような状況に対決すべく、新たな問題提起と方向を模索しながらも、日帝の侵略・排外主義との対決、プロレタリア革命と女性解放闘争の根源的統一性の追求をアイマイにし、ブルジョア的家族(制度・イデオロギー)、性イデオロギーとの対決をも中間的に固定化してしまう右翼日和見主義リブ派の登場などに鋭く示されている。
 このような中にあって、わが革命的左翼の女性解放的課題への取り組みと、革命的女性解放闘争の創成が極めて切迫したものとして要求されていると言わねばならない。

第二節 われわれの取組みの前提

 われわれがこのように問題を提起しうる前提には、わが革命的共産主義運動の女性解放の課題の欠落、女性差別・抑圧の問題をプロレタリア革命の立場から捉え返し全組織的に対決することの回避、差別・抑圧の現実への無知・無自覚ということに関する自己批判的反省と痛苦の激烈な討論を経た自覚的取組みの開始ということがあったのである。
 問題は、ただ女性解放の闘いを思想的・政治的課題として提起しえなかったというに留まらず、革命的左翼の組織的実践と日常的生活の次元においても、すなわち、われわれの人間的・社会的活動の全領域において、女性差別・抑圧と対決しえず、自らの中にそれを厳存させてきたということなのである。それはすでに明らかにしたような客体的危機の深まりによって必然化してくる女性解放的課題への取り組みの切迫性、階級闘争の内乱的・武装的発展によって必然化してくる革命的女性解放闘争創成の切迫性に対する著しい立ち遅れをなしていたのであり、わが革命的共産主義運動の内側に亀裂と矛盾を内包させたのである。
 例えば、六九年十一月決戦の軍団組織化において、反戦派労働者が女性をも含めて本格的に決起した中で、「女は役にたたない」「女は信用できない」という言葉が指導部の一部から発せられ内部の女性もまたそのような言動と組織のあり方を敗北感と屈辱を抱きながら「許容」してきたのである。かかる恥ずべき現実との袂別(べいべつ)のための苦闘は、七〇年七・七の華青闘の告発以来の入管闘争への取り組みを思想的・主体的前提としながら、七一年十一月大暴動闘争に向かって、「第二の十一月」実現の主体的飛躍のための闘いとして、主として内部の女性による自らの自己批判に媒介された提起・糾弾によって開始された。
 ここで、いわゆる「七・七問題」に発したわれわれの思想的・主体的苦闘と女性解放闘争への政治課題的かつ主体的取り組みとは極めて関係が深いことを押さえておきたい。この両者の必然化する物質的・客体的条件の同一性については既に述べたが、その主体的根拠の連関性について簡単に見ておきたい。それは、第一に、在日アジア人民の歴史と現実、存在と闘いに学び肉迫し、自らの排外主義的堕落を日々の実践の中で点検しながら日帝百年のアジアへの侵略の歴史に対する血債の思想をもって、今日の日帝の侵略の政治的、経済的、軍事的、社会的、イデオロギー的構造を捉えようとする努力が、侵略・侵略体制構築と女性支配・差別・分断・抑圧との構造的連関を明らかにしうる主体的根拠を呈示した。第二に、危機と侵略、内乱と激動の時代にあっては、われわれの思想的・主体的・組織的強靭さ、とくに排外主義イデオロギー、差別主義イデオロギーに打ち勝つ思想的武装、全人民の人間的解放へ向けた人間的・革命的パトスの激しさと持続性が要求されており、入管問題、部落解放闘争、女性解放闘争の問題は、このような資質の獲得に深くかかわるものである。第三に、入管闘争への思想的かかわりの深化が、反帝・反スターリン主義世界革命論、プロレタリア自己解放論の本質的・網領的次元への反省、プロレタリア革命の全体性・根源性・意識性・国際性と入管問題との関連への反省をバネに、女性解放とプロレタリア革命との根源的統一性を把握する基礎をかちとったことにあるといえる。
 言い換えるならば、「七・七」の鉄火をくぐることによって、実現されるべき「第二の十一月」に向かっての主体的飛躍をかけて、女性解放闘争をプロレタリア革命の思想と戦略とにはっきりと据え切ることができたのである。当時においていかに不充分であり不明確であろうとも、女性解放は課題として自覚され闘いは開始されたのである。こうしてわれわれは七〇年八月、侵略=差別と闘うアジア婦人会議第一回大会への取り組み、七〇年十一月労基法改悪粉砕婦人集会、そして七一年七月全学連大会の過程を通して、また日常的・組織的討論を通じて、従来の女性解放闘争を革命的共産主義運動の中に据え切ることを成しえなかった現実を克服する闘いを一歩一歩進めてきた。
 七〇年八月アジア婦人会議への取り組みは、六九年十一月決戦の切り拓いた地平、とりわけ反戦派女子労働者が武装的決起の先頭に立った経験に踏まえ、既成婦人運動の改良主義的、平和主義的腐敗を乗り越え、日帝のアジア侵略・侵略体制構築と対決し粉砕する婦人運動の当面する課題が「七・七」の華青闘の告発を受け止め入管闘争の推進にあることを提起した。しかしわれわれの提起は、日帝のアジア侵略・侵略体制構築の本格的開始の下で、女性への差別・分断・抑圧の攻撃が質的変化をもって著しく強められ、矛盾と犠牲が女性へ集中され最早耐え難いものにまでなっていることの認識に立って、女性解放の課題として提起されている独自の領域の問題をプロレタリア革命の立場から捉えていくという点で不充分であったばかりでなく、入管闘争そのものにおいても抑圧民族の一員として侵略に加担していった日本の女性の問題を抉り出し闘っていくという主体的契機を曖昧にさせてしまった。
 このことの総括の上に立った七〇年十二月婦人集会は、女性解放に関わる独自的領域の問題に労基法改悪との闘いという個別的具体的課題を提起することによって取り組んだ。しかしなお、女性解放闘争の全体的・主体的把握、プロレタリア革命と女性解放闘争との関係の鮮明化を成しえず、プロレタリア革命によって女性解放が勝利しうることを確認するに留まったのである。
 このような問題は、その後の、七一年七月全学連大会における女子学生の提起と糾弾をもって開始され、党が自覚的闘いを開始することによって初めて全面的に明らかにされた。ここにおいて女性解放闘争が政治課題として重要であるのみならず、共産主義者がプロレタリア革命へむけて闘う日常的・組織的実践において、個人的生活において真に人間的体質を獲得し、真に強固な革命主体として自らを鍛え抜くために絶対不可欠であることを明らかにした。それは人間として生きようとすれば革命の中にしか自己の生きる道を見いだしえないことを自覚し決起した女性が、革命運動と革命組織そのものの内部で、革命の名によって女性が差別され蔑視され、自らもまた、その中で敗北的意識に甘んじてきたことへの自己批判を踏まえた糾弾の開始によって、決定的な変革が開始されたのである。

第三節 基本的視点と課題

 ここでまず、新たな女性解放闘争の創成と前進のために確認すべき基本的視点と課題を結論的に明らかにしておくならば、その第一は、女性が自らの手に政治を奪還し、暴力を奪還し、日本階級闘争の内乱的・武装的・革命的発展の主体として、日帝打倒へ向けた結節環的闘いと諸戦線的諸課題を自らの課題として闘い切ることなしには女性解放・日帝打倒に勝利しえないことをはっきりさせなければならない。女性が政治からも社会的諸活動からも疎外されてきた屈辱の歴史を覆し、民衆の未来を切り拓く政治と軍事を奪還する闘いを女性解放の立場から自覚的に捉え返し、意識的に遂行していかなければならない。女性の武装的決起を嘲笑する者、いっさいの敵対者、日和見主義者を粉砕し、自らの中に蓄積された敗北感を克服し、わが身で全存在かけた決起をもって勝利の鍵をわが手にしなければならない。
 六七年十・八の羽田以来日本階級闘争の革命的発展は、自衛のための端緒的武装を勝ち取ることによって、国家権力に独占されている武器と武装の権利を民衆の側に奪還し、全人民武装への巨大な一歩を切り拓いた。そして、六九年十一月決戦勝利の地平をさらに七二年―七〇年代階級闘争の内乱的武装的発展の勝利的進撃の時代へと押し上げ切り拓いた、あの昨秋十一・一〇~一四~一九の大衆的武装的闘争、東京大暴動闘争の最先頭に多くの女性が武装決起し、その怒りの深さと決意の強固さをもって敵権力を恐怖せしめ圧倒的進撃を勝ち取り、すべての女性に感動と勇気を与えずにおかなかったあの勝利の経験を大胆に確認しなければならない。北富士のお母さんの闘い、三里塚婦人行動隊の闘い、日本階級闘争は女性の武装的決起の強さを、あの米騒動における富山の漁村の主婦たちの闘いをはじめとして輝やかしく記しているのである。
 そして、またこの経験と教訓の中にこそ、女性が自己解放の闘いとして女性解放闘争を闘い抜く確信と、女性解放闘争における行動原理の絶対的基準を見いださねばならないのである。そして政治と暴力の奪還とは革命党の下での組織的・政治的実践として実現されるのであり、わが革共同―中核派の十・八以来の闘いの中に勝利の鍵と豊富な教訓が込められていることを確認しなければならない。党の下に強国に結集し、恐れることなく大胆に前へ突き進まねばならない。
 革命的女性解放闘争創成のために確認しなければならない第二の点は、階級闘争の内乱的武装的発展に相応しい階級的人間的資質の問題としてブルジョア的家族(制度・イデオロギー)・性イデオロギーとの主体的対決が重要な課題であり、女性のみならず革命的左翼総体に変革を迫るものであることを鮮明にさせなければならない。
 戦後世界体制の解体的危機のいっそうの深まりの下で体制的危機に突き動かされた日帝のアジア侵略・侵略体制構築は急進展を遂げており、階級闘争の内乱的武装的発展はわれわれが存在する限り不可避である。「侵略を内乱へ」の旗の下「二つの十一月」を打ち抜いたわれわれの前に危機と恐怖に駆られて立ちはだかったのは本格的に密集せる七〇年代反革命カクマルであり、国家権力の強大化した弾圧である。このような二重対時の下での党と運動の前進はかつてない鋭い新たな質の問題を党と運動の中に矛盾的に生み出している。いっさいの反革命を粉砕し七〇年代革命の戦略的勝利を目指し、大衆闘争の戦闘的高揚と党と革命勢力の圧倒的強化を闘い取るために、「第三、第四の十一月」の実現に向かって死力を尽くすその中から、この新たな問題とその解決の方向が見いだされる。いっさいを内乱・内戦―蜂起の視点から捉え、その一環として闘い、内乱的武装的発展を喜びをもって推進する決意と態勢を二四時間・全生活、全存在に渡って強固に打ち固めねばならない。
 政治的・組織的実践と個人的生活との矛盾——実体的に捉え返せば党(軍団)と家庭との矛盾——として内乱と革命の時代に立ち現れる問題を、前者による後者の切り捨てや、前者における個人と後者における個人との機械的分断によって「解決」するのではなくて、本源的には両者は解放された人間的・類的関係のなかで統一されるべきことを確認し、そのための今日的・端緒的形態を模索しながら、家族の問題・性の問題をも組織的に位置付け、真の革命的自己犠牲と英雄主義に基づく組織的規律を勝ち取っていくという、困難であるが重大な課題に、われわれはいま直面しているのである。共産主義者にとっての、共産主義者としての男と女の関係、親と子との関係をテコにして全人民の中に大胆な価値観の転倒を巨大な波として作り出さねばならないのである。
 革命的女性解放闘争創成のために確認すべき基本的視点と課題の第三は、女性解放の独自的領域に関わる闘い、女性差別・抑圧との政治的・思想的闘いを具体的に推し進めることである。この闘いは、第一、第二の課題と相互に規定しあっており、欠落させることのできない切迫した課題であることを確認しなければならない。
 日帝の侵略・侵略体制構築の攻撃は、女性への政治経済的犠牲の転嫁をいっそう強化する。そして国家権力による女性への差別・分断的支配の強化に留まらず、そのとき民衆内の女性差別・分断イデオロギーが動員され、女性は巨大な社会的重圧の下に屈辱と忍従を強要されていくのである。決起する女性への弾圧と迫害、圧力はますます強化されている。女性解放・日帝打倒の立場から女性への社会的、政治的、思想的攻撃に対して具体的に対決を開始する闘いは、具体的な攻撃の粉砕それ自体が重要であるばかりではなく、第一、第二の課題の実現、女性革命家の大量的形成、党と運動にとって女性解放的課題の重視という点からもまた決定的に重要だと言わねばならない。プロレタリア女性への中断再雇傭政策に基づく攻撃、搾取、抑圧、差別、分断攻撃の激化、女子差別分断教育と「女らしさ」の強要、中絶禁止法攻撃など、すべて、すぐれて階級的な課題であることをはっきりとさせなければならない。女性解放・日帝打倒の立場を貫き改良的課題を通して民衆の、とりわけ女性の巨大な怒りを日帝打倒の闘いへと組織しなければならない。
 第四に確認しなければならないことは、日帝打倒―プロレタリア自己解放にいたる道程での女性解放闘争の位置と役割、女性解放闘争それ独自の思想的理論的深化と、それを媒介にしたプロレタリア自己解放理論の深化と豊富化、総じて女性解放闘争の綱領的深化のために闘い、反帝・反スターリン主義プロレタリア革命網領の豊富化のために闘わねばならないということである。
 この課題は、(1)女性差別発生と発展の歴史を私有財産制の発生、社会的生産の精神労働と肉体労働への分裂、階級的・国家的支配の形成との関連で史的唯物論的・経済学的に明らかにし、(2)とりわけ現実の女性支配、抑圧、差別の実体構造とその根拠を、現代世界の「段階、過渡、変容、再編、危機」という展開に即して解明しながら、(3)プロレタリア革命と女性解放闘争の関連を、(イ)プロレタリア革命の勝利によってのみ、その勝利を女性が主体的に担ってのみ女性の解放が実現されること、(ロ)プロレタリア自己解放の主体の形成にとって女性差別・抑圧との政治的・組織的・日常生活的、すなわち全人間的対決による対象変革即自己変革の過程が不可欠であること、(ハ)共産主義社会における解放された性的関係―類的関係を共産主義思想を導きの糸とした歴史と現実の論理的否定を手がかりに今日的に基本的論理的に解明していくこと、の中に明らかにしていくものとなるであろう。
 この第四の課題については次節において基本的な諸点に関して独自に取り上げる。それは今日鋭く表れている既成婦人運動の破産と混迷が、改良主義と排外主義を政治的実践的根拠としながらも、女性解放闘争の綱領的問題におけるマルクス主義の放棄、ブルジョア性道徳・家族イデオロギーへの屈服を契機にしているがゆえに緊要な課題なのである。第一、第二、第三の課題については第三節の当面する任務において、政治・組織方針として明らかにしていく。

第二章 革命的女性解放闘争の立脚点形成のために

第一節 女性支配・抑圧・分断・差別の歴史と現実

1 私的所有の発生と(女のみに強要された)一夫一婦制の確立
 私有財産の発生とともに「女性の世界史的敗北」たる男による女の抑圧、親による子の抑圧としての一夫一婦制=父権制家族が歴史に登場した。そして、この女性の世界史的敗北の過程、母権の転覆と父権制家族の確立の過程は、私的所有に基づく階級支配の確立の過程と相互に規定し合いながらちょうど一致している。
 人間生活の永遠の条件を成す社会的生産は、労働における自己の生活の生産と、生殖における他人の生活の生産の二契機の統一としてあり、前者は自然に対する人間の支配力を、後者は前者を前提とした人間と人間との関係を根底的に基礎付ける。生産の客体的自然条件を成す土地および生産手段の、共同体社会における共有財産から私有財産への転化、したがって剰余生産物の生産者から他者への転化は自然に対する人間の支配力の個人的=家族的独占として現実化した。そのために特定の家族の他の家族への支配、家族関係の私有財産、権力維持機構への転化、家父長制と女性の従属的身分化などの生殖関係の疎外が必然化した。
 人類が自然と限られた関係しか持っていなかった段階では、社会的剰余労働がなく、階級支配が成立しえなかったばかりではなく、子どもを生み育てる女性は子の親としての確かさの内に威厳を持ち、共同体社会の指導的位置を占めこそすれ、従属的身分化された家父長制家族の下での女性のような屈辱は知らなかった。
 生産手段の私的所有に基づき、人間の類的本質を成す人間生活の社会的生産行為が肉体労働と精神労働に分裂する。この肉体労働と精神労働との分裂を根底にして社会的分業が成立し、そのことによって男と女の自然的「分業」が歪曲され疎外された形態を受け取り、同時にまた、男女の自然的「分業」の疎外は社会的分業を細分化し固定化する動力として作用した。またこの過程は、本来的に統一的な社会的生産における生産手段・生活手段の生産と、他人の生活の生産とを傾向的に分離する過程であり、共同体の崩壊に伴う「私的」なものと「公的」なものとの分裂の中で、他人の生活の生産、性=生殖関係を「私的」なものへと押し込め、卑しめた。そのことによって女性は「公的」なものとしての社会的生産一般から排除され「家内奴隷」化・「子生み道具」化されたのである。こうして人間の人間との関係における最も「直接的で自然的で必然的な関係」(マルクス)としての男と女、親と子の関係は支配、従属抑圧、差別の関係として作られる。支配階級にあっては女は私有財産の継承者である子を生むための道具と化し、被支配階級にあっては女は苦痛と苦役と犠牲を最も一身に受ける。基軸的社会的生産から排除された女性の重労働は私的労働、補助労働とされ、女は社会的「無能力者」とされた。こうして女を「劣った性」「弱い性」とする差別・抑圧のイデオロギーは千年の歴史の重みをもって形作られたのである。

2 資本主義社会における女性差別・抑圧
 こうした階級支配とともに始まる女性差別・抑圧と生殖関係の疎外は資本主義社会において最後の完成された姿をもって現れる。資本家階級による生産手段の一元的所有と労働力の商品化は、ブルジョア家族制度を一夫一婦制=家父長制家族の完成として単純化、純粋化し、一方では「性」そのものの商品化を生み出す。
 資本制社会においては、労働力商品化を基礎に、すべての生産物を予め商品として生産する。つまり商品生産がなんら偶然的に行なわれるのではなく必然的なものとして行われ、ここに初めて直接的生産過程を含む物質的生産=再生産過程を商品関係が把握する。つまり、資本(資本家)にとって生産過程・労働が意味を持つのは、価値(したがって剰余価値)を生み出すものとして、商品生産としてのみであり、このブルジョア的物神崇拝によって家庭労働は「無価値なもの」として切り捨てられ、他方、この家庭労働の過程、さらに家庭におけるプロレタリア男女の生活は資本によっては直接掌握しえぬものとして「私的」な次元に委ねられ、純化される。私有財産制に見合った女性の私有は、資本主義社会にあっては労働力商品化に対応した、性の商品化を生み、底しれぬ退廃を生む。
 そして、本源的類的行為としての社会的生産における生産手段・生活手段の生産の側面と、性=生殖による他人の生活の生産との分裂、自立化が深まる。資本家的大工業が、家内工業を打倒し去ったことと、ブルジョア公教育、サービス産業の成立のような形でのそれまでの家族的関係と未分化の労働の社会化によって女性の家内労働はいっそう一面的で部分的となり、したがって女性をより発展性を欠いた、より屈辱的な地位に陥れる。
 こうして、家庭労働はますます一面化され、女性の地位は卑しめられながら、にもかかわらず女性の労働負担はますます過重なものとなり、また「家」は、私有財産の相続の単位であり、生產過程のサイクルを終えた労働者を新たに活力ある労働力として労働市場に放出するための過程として、ブルジョア社会の「最小の経済的単位」となるのである。他方、プロレタリア女性は、基軸的社会的生産から排除されつつ、いわば「半人前」として差別的分断的に動員包摂され、ますます多く賃労働者化する。

3 帝国主義段階における差別・抑圧の強化、家庭への国家の介入
 資本主義の帝国主義段階への移行によって女性への差別、抑圧はいっそう耐え難いまでに激化し、家族(制度・イデオロギー)は反動的に強化される。自由主義段階にあっては、経済過程の自律的調整機能を物質的基礎として、国家(政治)は市民社会から相対的に分離し、家庭もまた、価値法則によって直接掌握されるものではないが「私的なもの」として国家からも放置され、私有財産の相続と労働力に新たな活力を与えて労働市場へ送り出すための「最小の経済的単位」へ純化する傾向をたどった。すなわち、封建社会にあって家族が、同職組合などの集団とともに経済的であるとともに政治的な単位であった状態から、その政治的性格が抽象され国家に一元的に集中していったのであった。しかし帝国主義段階にあっては、体制的危機の深まり、支配の危機に応じて国家の市民社会への政治的介入が不可避となり、家庭(家族)もまた、政治的・国家的支配の基礎たることを強制される。ここに国家の家庭への介入の必然性が存在するのである。
 日帝は、後進資本主義として出発し、資本主義としての確立が同時に帝国主義としての形成の過程であるという特異な発展をたどった。そのなかで封建的諸関係が根底的に破壊されることなく、温存され、近代的諸関係のなかにくみこまれ再編された。家父長制的家族制度もまた、そのようなものとして温存され、帝国主義の政治的支配の基礎として、帝国主義的な意味での「政治経済的単位」として再編された。すなわち、天皇制ボナパルティズムの支配を下から支えるものとなったのである。この日本における国家権力(の統治)と家族制度との関連は、「君に忠、親に孝」「忠孝一致」の言葉に端的に示されているのである。このように帝国主義段階における国家の家庭への介入、家族制度の強化は、女性への支配、差別、分断、抑圧を耐え難いまでに強化せずにはおかない。
 プロレタリアート内部にあっても、帝国主義段階にあっては、支配階級が帝国主義本国プロレタリアートの一部を植民地支配による超過利潤を物質的根拠に労働貴族として育成し、労働者内部に分裂と腐敗を持ち込み搾取を強め労働条件を悪化させ、闘う権利を奪い帝国主義本国プロレタリアートを屈服せしめ、侵略のための城内平和を得んとする政策を激しく加え、この攻撃をはね返さない限り女性差別をはじめとする分断・差別をプロレタリアートは許容してきたという歴史的弱点を持っている。このような労働者内部に分断差別を構造化する支配は職場支配に留まらず日常的に貫徹され、その中で女性差別が巧みに利用され動員される。女性労働者は男性労働者によってもまた差別・分断による屈辱を受けるのである。さらに、帝国主義の特有の矛盾は、プロレタリアートのみならず都市問題・住宅問題、物価勝貴、農村破壊等を解決不能な形で引き起こし、激発させ、非プロレタリア勤労大衆に矛盾を集中し出稼ぎ、共稼ぎという形をとって家庭の崩壊が進行し、その中で非プロレタリア女性への新たな差別・抑圧が生み出されるのである。

4 七〇年代日帝の危機・侵略への道と家族イデオロギーの強化
 戦後世界体制の解体的危機がいっそう深まり、体制的危機に突き動かされた日帝は絶望的泥沼的アジア侵略に向かって突き進んでいる。そして、それは同時に、侵略に向かっての国民総動員体制=侵略体制構築の攻撃を激化させ、既成指導部の屈服、腐敗、堕落にもかかわらず、労働者人民の激しい怒りと闘いの高揚に向かっての情勢を成熟させている。党と革命勢力の強化がいまこそ決定的に重要な時を迎えている。日帝は侵略・侵略体制構築のために労働者人民にいっさいの犠牲を転嫁し、反動的暴虐な支配を強化し大合理化、強搾取、物価高、生活破壊的攻撃を強化し、他方では、排外主義イデオロギー・差別イデオロギー攻勢を強化し、部落民、沖縄県民、「障害者」、被爆者、女性への差別と分断を著しく激化させている。帝国主義本国のプロレタリアート人民の内に歴史的に蓄積されてきたばかりでなく、日々の存在に根拠を持つ排外主義的腐敗、差別・分断イデオロギーとの主体的対決、自覚的闘いが党と革命勢力の強化にとって極めて重要な位置を占めていると言わねばならない。
 今日、日本帝国主義体制の危機と激動の時代において、女性解放は革命と反革命の激突における極めて重要な対決軸を形成している。危機の帝国主義は侵略と反動によってしか体制を支えられず、差別分断支配に民衆の腐敗を動員する。かつては「法的同権」を口にしながら反動的な暗黒の道を選ばざるをえない法的平等・ブルジョア民主主義が、それ自体、階級支配・差別・分断を前提にしているとは言え、女性解放の前提条件を創り出したが、今日、帝国主義の危機の時代にあっては、わずかな法的平等すらも公然と奪い、力の抑圧でもって女性を「入っては家内奴隷」「出ては低賃金奴隷」として屈服させ「体制を支える者」としようとしている。女性・子ども・家族制度・国家についての超反動的排外主義イデオロギーとして天皇制・家父長制イデオロギーが持ち出される。侵略体制構築のため国民結集のイデオロギーとして天皇制イデオロギーを公然と持ち出し、国家統治形態のボナパルティズム的改編を進めんとする攻撃とそれは軌を一にするものである。帝国主義の危機の深まりとともにますます一方では「プロレタリアにとっての強いられた無家庭」「小ブル家庭の崩壊」の危機が進行している。日帝は「家」の崩壊によってもたらされる支配の危機を直感し、一方で厖大なプチブル層の形成と没落・破産の繰り返しによるプチブル家庭崩壊の危機を物質的基盤にするところの家族制度護持の反動的イデオロギーを強化し公然と戦後民主主義の否定と家族制度の帝国主義的再編に迫られている。そうした中で侵略を内乱へ転化し、内乱の深化の内に革命勝利へ向かうわが革命派の進撃は、積年の怨みを込めて決起する被抑圧人民大衆の巨大な武装的決起と大きく連帯を勝ち取りつつある。侵略への加担を拒否し、アジア人民への血債の思想をもって敗けることのできない侵略阻止の闘いに立ち上がったわれわれは、「良妻賢母」「女子挺身隊」「大和なでしこ」として侵略の銃後を支えた百年来の日本の女の屈辱と恥ずべき歴史の清算をかけ、女性の革命的決起、武装的進撃を勝ち取らねばならない。

第二節 女性解放と共産主義革命

1 階級支配の廃絶によるブルジョア家族制度の解体
 女性差別・抑圧は、資本制社会の下で、一夫一婦制=ブルジョア家族と「性」の商品化として最後の完成された姿を取る。ブルジョア階級にとっての家族は「ブルジョア階級は、家族関係からその感動的―感傷的ヴェールを取り去ってそれを純粋な金銭関係に還元した」(マルクス『共産党宣言』)と看破しうるあり方を持つ。相続すべき財産を持たぬ、失うべき何ものをも持たぬプロレタリアートにとっては、既に歴史的意味での一夫一婦制は崩壊している。小ブルにとって家族イデオロギーはもっとも強固であり、すでに没落と破産の危機にあり、家族が崩壊しているがゆえの危機に根ざした反動的イデオロギーとして家族イデオロギーが厳しい道徳律を成す。プロレタリアートにとっては、ブルジョア家族(制度・イデオロギー)は既に基盤を失いながら幻想的に存在するに過ぎないものとなっている。
 資本制生産がその墓掘人たるプロレタリアートを世界史に登場させ、階級社会の廃絶の条件を創り出したことに対応して、女性解放闘争の最も主要で本質的な推進実体としてのプロレタリア女性を生み出した。女性解放関争は、プロレタリア女性の世界史的登場によって、その実現の主体的条件を獲得したのである。
 プロレタリアの階級としての形成、ブルジョア国家権力の打倒=プロレタリア階級による国家権力の奪取をテコに、自らの解放がすべての被抑圧人民の解放を条件とし、自らの解放がすべての被抑圧人民の解放をも意味するプロレタリアートの自己解放=共産主義革命の中でこそ、女性支配、抑圧、差別の数千年の歴史は終止符を打たれるであろう。プロレタリア独裁権力による資本家的私有財産の没収、過渡期の政治・経済・社会的諸方策の展開を通じて実現される、精神労働と肉体労働の分裂、公的産業と家庭労働の分裂の揚棄、この揚棄の実現された共産主義社会において、個別家族は「ブルジョア社会の最小の経済単位」であることをやめ、さらに人間の類的関係の最も直接的、自然的、必然的な姿としての男女の関係の疎外態であることをやめる。
 プロレタリア女性は、社会的生産の公的産業と家庭労働とへの分裂を前提に公的産業へ特殊な形で包摂された女性として、一方ではかかる包摂がそれ自体としてはなんら女性の解放を意味するものではないことを自らの身をもって経験し体現し、他方では、にもかかわらず(というよりもそれゆえ)かかる公的産業への「復帰」を通じて、家庭内に、閉じ込められることによる社会からの「隔絶」、言わば「強いられた、排他性」を克服し、プロレタリア革命へ、女性解放へと決起する条件を獲得する。つまり女性差別・抑圧の歴史は〈プロレタリア〉女性を生み出すことによってのみならず、プロレタリア〈女性〉を生み出すことによって自らを廃絶する主体的前提を創り出したのである。かかる意味において、プロレタリア女性は自らの存在の内にプロレタリア革命と女性解放の根源的統一性を実体化しているのである。

2 プロレタリア革命主体の形成と女性解放
 1では、女性解放にとってのプロレタリア革命の必然性、女性解放闘争の主体としてのプロレタリア女性、という問題について見てきた。さらに、プロレタリア革命にとって女性解放とは何か、という問題が明らかにされなければならない。そのことは別の表現で言えば、1では主要に「プロレタリアの解放は同時に全ての被抑圧人民の解放をも意味する」ということについて明らかにしたのであるが、逆に「プロレタリアの解放は、すべての被抑圧人民の解放を条件とする」とはどういうことなのか、ということである。
 それはまず第一に、女性の解放のない男性の解放などありえず、したがってまた人間の普通的解放も類としての関係の本来的姿の奪還もありえないという、自明の事柄によるのである(その具体的内容については3をみよ)。
そして第二に、プロレタリア革命の主体を形成するためには、さらにかかる人間の人間的解放を勝ち取り、本来的な意味での類的関係を回復するためには、その過程において女性解放闘争の課題との主体的対決、女性差別・抑圧との(他人との、また自分との)苦闘を経ることを条件とするということである。それは、プロレタリア革命の本質的性格、その目的意識性ということに深くかかわるものである。
 プロレタリア革命=ブルジョア国家権力の打倒そのものが、プロレタリア女性および非プロレタリア勤労(家庭の)女性の革命的決起なくして、またプロレタリア階級(革命)こそが女性解放を実現しうる主体であることを革命へ向けた具体的実践を通じて示してゆくことなしには、そしてまた、性差別・抑圧と対決するすべての女性の闘いを自らのものとすることなしには勝利することはできないのである。さらに、国家権力を奪取したプロレタリアートが、社会主義(共産主義)社会の実現へ向けて推進すべき過渡期の国内諸政策は、(一)自らの国家をコンミューン的原則で打ち固め、(二)資本家的私有財産の没収を物質的前提に、①生産の集団化、②生産手段の社会的配分、③生産物(生活手段)の社会的分配を、したがって生産(と分配)の社会的管理(その背後では、私的家政の社会的産業への転化)を、「各人は能力に応じて働き、労働(の量)に応じて受け取る」、さらには「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産制的経済原則へ向けて目的意識的に(民衆の主体的条件と世界革命の完遂の度合、生産力の発展などの客体的条件に応じて)展開することによって、国家と価値法則の廃絶を勝ち取ってゆかなければならない。そしてそのことによって、人間の人間的な解放を勝ち取ってゆくのである。
 しかしここで問題なのは、価値法則の廃絶ということが生産手段の国家的所有、生産の集団化、あるいはまた生産と分配の(機械的)水平主義化といった客体的条件のみによっては決してもたらされるものではなく、労働力商品化の廃絶、したがって労働主体の客体的生産関係への没主体的かかわりの根絶、社会的分業の中での労働の自己疎外を克服し、労働の全体性、技術的―目的意識的性格を奪還することを主体的根拠にして可能となるのだということである。このことは労働と生活におけるプロレタリアートの共産主義的自己犠牲、規律、目的意識性を核心に、全民衆がそれに学び主体化することによって実現されるのであるが、そのためにも、生産過程における相互の協働と、その他の社会的諸活動における人間的関係が意識的に創られてゆかねばならないのである。つまり、共産主義社会がいまだ実現されていない段階で、したがって部分的であり歪曲されたものであるにせよ、「共産主義的」な労働と生活の諸関係を意識的・先取り的に創り出してゆくという主体的契機なしに、共産主義社会の実現そのものが不可能だということである。そして、このような主体的契機の軸を成すものが、社会的労働の場におけるプロレタリアートの自己犠牲的かつ目的意識的労働であり、他方では、性=生殖の次元におけるプロレタリア男女の共産主義的かかわりであろう。どちらの次元においても、女性差別・抑圧(の残滓)との絶えざる苦闘を必要とする。
 もちろん、真に人間的な男女の関係は、エンゲルスの言う「新しい世代、すなわち一生の間一度も金やその他の社会的権力手段により女の肉体提供を買ったりする機会に遭わなかった男達と、真の愛情以外のなんらかの考慮から男に身を任せたり、経済的結果を恐れて恋人に身を捧げるのを拒んだりする機会に一度も遭ったことのない女達の世代」『家族、私有財産および国家の起源』)によって作り出されるものではあるが、そのような世代が登場するためにも、かかる主体的苦闘が必要なのである。

  • >以上1・2で原理的に確認されたプロレタリア革命と女性解放闘争の本源的統一性に関わる問題は、さらに資本制社会の「段階、過渡、変容、再編、危機」という推転に即して把握されなければならない。特に、1に関しては、帝国主義段階で不可避となる非プロレタリア勤労家庭の女性、小ブルジョア家庭の女性への攻撃の激化と帝国主義打倒との関連が、2については排外主義と対決するプロレタリア革命主体、その前衛党にとって女性差別・抑圧との闘いが不可欠であることが明らかにされなければならないが、第一章でも簡単に触れたので省略する。しかし、日帝の排外主義、天皇制イデオロギー攻撃に対する屈服と、女性差別・抑圧、家族制度(イデォロギー)への加担が相互に補完し合って、日本プロレタリアートの階級的腐敗の根拠を成していること、したがって女性差別・抑圧との対決によって侵略・排外主義、天皇制イデオロギーとの対決も鮮明で尖鋭なものとなることは、強調しても強調し過ぎることはない。

 したがって最後に確認しなければならないのは、女性解放闘争とプロレタリア革命の本源的統一性とは、今日的には(プロレタリア)女性の反帝・反スターリン主義革命党への結集として、党の下での政治的・組織的実践として実現されねばならない。女性の党とその周りへの圧倒的結集を勝ち取り、共産主義者としての女性の一歩の前進をテコに女性大衆の全人民的決起を闘い取らねばならない。

3 性の人間的奪還、性差別・抑圧からの解放
 数千年の階級支配の歴史の上に形作られた女性差別・抑圧は、人間が他の人間に対して持つ関係において、己が何者かを表現され実現するという意味において、男性をも性抑圧の内に非人間化してきた。女のみじめさは、男のみじめさである。マルクスは「人間の人間に対する直接的な自然な、必然的な関係は男性の女性に対する関係である。この自然的な類関係の中には人間にとってどの程度まで人間的本質が自然となったか、あるいは自然が人間的本質となったかが感性的に現われる」(『経哲草稿』)と言っている。男と女との関係の本質から、どの程度まで人間が類的存在として人間として自然になり、また自分を感性的に把握したかが結論される、と。
 階級社会は外的性イデオロギーを生み、道徳律と禁欲律と、一方での果てしない退廃と女性差別・抑圧を積み上げてきた。ブルジョア家族制度と家族(制度)イデオロギーは支配階級のイデオロギーとしてプロレタリアをも幻想的に包摂し、押し付けがましい道徳律によってようやく外的に保たれる灰色の関係を、男と女、親と子との関係において作り出し、人間の本質的類関係からますます疎外される。若者の性は「結婚外の性」として禁圧され退廃を生む。男にとっての客体化された「女」、「本能」として一人歩きする「性欲」は、腐敗せる階級社会の産物であり、歴史的社会的に形作られたものである。
 不正義の帝国主義軍隊にあっては慰安婦と陵辱が必然的であり、非人間化、女性への差別・抑圧の激化は、階級社会の腐敗性を表しているのである。危機の時代特有の退廃的風俗の氾濫は、それ自体として「反秩序」でも「反体制」でもありえず、時代の危機性と小ブルの絶望的不安を表現するに過ぎない。今日、日帝が治安弾圧の一環としてポルノ映画の取締りなど風俗にまで介入するに至っているのは、日帝の危機を表現しているのであり、それに対して革命的打倒を対置するのではなく、「風俗の自由」に留まるのは小ブル的反動的立場である。われわれは、いわゆる性風俗の氾濫が女性を客体化し、限りなく卑しめるものであることを怒りなくして語ることはできない。われわれは、階級支配のもとでの性=家族イデオロギーである道徳律と禁欲主義との意識的闘いを通して、類的関係の内に人間の直接的、自然的、必然的関係としての性の姿を、したがって、男女相互の内的自律性に裏打ちされた性を取り戻さねばならない。人間の自然な関係、必然的直接的類的関係としての男と女との関係は、人間的関係の内にその本質を取り戻さねばならない。
 しかし、その闘いは共産主義者としての男と女との関係が、革命の烈火の中で打ち鍛えられることをテコとして全人民的に闘い取られるのであり、階級社会の汚物から解放されるのであって、断じて密室的に可能なのではない。われわれは共産主義革命の未来に向かって全的な人間解放の内に性の解放を勝ち取っていく立場を鮮明にさせるとともに、今日的に可能な限り、人間的な交通形態の形成を革命運動の組織的実践と個人的生活と、その相互の関係の中で闘い取らねばならない。われわれは、いっさいの腐敗、堕落との闘いを通して新たな人間的感性を我が物とし、現在的に闘いの中に共産主義者として、共産主義者に向かっての自己変革即対象変革を闘い取っていくであろう。

第三節 既成婦人運動の破産とその根拠

1 ロシア革命とその変質、ソ連における家族制度の復活・強化
 ロシア革命はついに世界革命の突破口を切り拓いた。ロシア革命を突破口としてプロレタリア世界革命の過渡期の時代が開始されたのである。「帝国主義戦争を内乱へ」転化し、帝国主義国家権力を暴力的に打倒しプロレタリア権力を握ったロシアプロレタリアートは、引き続く国際帝国主義の干渉とそれによって激化された内戦に政治的・軍事的に打ち勝つ過程まで、その革命的英雄主義、自己犠牲をありうる限りの高さをもって実現した。その中で女性たちもまた、プロレタリア女性、農村婦人の多くがボルシュヴィキの下に政治的・軍事的に決起し、赤軍パルチザン女性兵士として闘い抜いた。
 内乱・内戦―蜂起の過程にあっては、奴隷的従属の鎖を断ち切り弱々しい抗議を力強い怒りに変えて多くの女性が革命の事業を担ったのである。そして革命ロシアは、その最初の処置の一つとして婦人の法的不平等を廃止し、女性の「台所と子ども部屋」からの解放、公的社会への参画をすべての女性に向かってよびかけたのである。法的不平等の廃止は女性解放の手がかりを成すに過ぎず、困難は家庭の雑用から、小経営農業から、孤立した家庭から女性を公的社会に主体的に引き出す闘いにあった(革命直後の選挙権行使において依然として用心深く保守的自衛的意識に囚われた女性の多くは「権利を行使」しようとはしなかった)。とは言え女性の自覚的決起は目覚ましかった。法的因習的ワクが取り払われたことと、内戦による家族の崩壊を基礎にした女性の離婚、中絶は驚くべき数字を記録した。性、家族をめぐる混乱を含む流動が開始されたのである。離婚がなんらの解決になりえないことが事実だとしても、さしあたり離婚は忍従と因習からの解放、革命的自覚と決意の表現であった。
 ところが一九三三年〜三五年の『プラウダ』の論説になると「よき家庭人のみがソヴェト市民である」と家族制度の反動的讃美が繰り返され、一九三六年スターリン憲法に至り、「祖国と家族」、家族制度が強固に打ち固められるに至る。なにが変わったのか。スターリン主義の発生と成立、世界革命完遂の事業の放棄と、自己目的化された一国における「社会主義建設」の反労働者的強行のために、またもや、階級社会の汚物が甦り、家族制度の讃美、女性の気の遠くなるような雑用の讃美、精神的萎縮が拡がったのである。
 ロシア革命の勝利と世界革命の過渡期の時代はロシアプロレタリアートに、世界革命完遂のための闘いとその一環としてのロシアにおける社会改造の遂行のための闘いを一個二重の闘いとして実現しなければならないという前人未踏の任務を課した。世界革命の達成の遅延と後進国ロシアのプロレタリア権力の孤立という極めて困難な条件のもとで、スターリン主義は、その困難に屈服し世界革命の基本路線を放棄し、一国社会主義論をイデオロギー的支柱とし一国における社会主義建設を絶対化して基本路線の放棄を隠蔽しつつ成立したが、この過程は、ボルシェヴィキ党内における〈マルクス主義的原則の貫徹の方途を求めたトロツキーを先頭とする左翼反対派〉との闘争におけるスターリン主義の勝利としてあった。そして、いわゆる左翼反対派の敗北の過程は、革命ロシアの偉大な達成物の破壊の過程であり、反動的汚物の一切合切の復活、強化の過程であった。
 婦人労働者の労働力の動員の必要性が優先され、女性の職場への「進出」は進んだが、党官僚にとっての反労働者性の陰蔽のための飾り物としての「女性解放」が語られるに過ぎなくなり、内乱・内戦期におけるあの偉大な精神の高揚と女性の決起は忘れ去られ、再び「劣った性」「抑圧され、差別された性」として女性への支配・抑圧・差別・分断が甦ったのである。

2 戦後日本の婦人運動とその破産の根拠
 戦後日本の婦人運動は、戦後革命の敗北と階級闘争のスターリン主義的歪曲によって裏切られ、排外主義イデオロギー、天皇制・家族イデオロギーとの対決を欠落させて混迷してきた。そして今日、日帝のアジア再侵略の現実の下で、帝国主義の攻撃の激化に対応できず、無力化し破産している。一方では、日帝のアジア侵略・侵略体制の危機的性格がもたらす、人民への凄まじい攻撃性によって憤激と闘いの激発は必至であり、女性の決起が目覚ましい高揚に向かっている。既成指導部社共は、婦人の怒りを「物価、公害、教育、保育」のワクの中に閉じ込め、それ自体帝国主義打倒へと方向付けられなければならない闘いを、日帝打倒と切り離して改良主義的平和主義的「婦人運動化」している。帝国主義の危機的延命に手を貸し、帝国主義の延命を前提とした、体制内の「婦人運動」のワクを大きく打破し、女性の怒りのエネルギーを日帝打倒へと向かって組織しなければならない。
 そもそも戦後、日共の「解放軍」規定の下で「米帝の占領」政策としての女性解放に屈服した婦人運動は、まずGHQ慰安婦政策と男女同権論によって、女性への政治的・社会的・経済的あらゆる抑圧・差別を容認した限られた改良主義的部分的運動に留まってきた。第二には、自らの抑圧民族の一員としての侵略戦争加担の責任を回避し、天皇制との対決、糾弾を放棄し、小ブル的平和擁護闘争に歪曲し、日帝打倒への方向性を見失い、女性解放闘争の根底性を押し留め、改良主義へと歪曲してきた。
 今日、日共スターリン主義者は、女性解放の自己解放性、戦闘性、根源性に敵対し、矮小化しブルジョア家族思想の帝国主義者同様の守護者、讃美者へと転落を遂げている。彼らは女性差別・抑圧の現実を見ようとしないのである。日共スターリン主義者は、「階級支配」の名をもって女性の現実をプロレタリア一般へ解消する。そして一方では、女性への屈辱の強要、差別的政策に手を貸し、日帝の育児休暇法、勤労婦人福祉法、優生保護法改悪などに屈服している。日共スターリン主義者党にあっては、女性党員はなんと「家事雑用の負担を考慮」されて、男性とは違って「月一回の会議」でよいとされている。凄まじい女性差別である。女性の手に政治と暴力を奪還していく闘いは、そんな「お上品な」ものではない。
 ブルジョア家族思想との対決を避け、それどころかブルジョア家族思想に屈服し、守護者、賛美者に転落している日共スターリン主義者の圧倒的影響力との真っ向からの対決、それは女性の怒りを根底的変革の意志、革命的熱情において取り戻すわれわれの手にかかっている。日共スターリン主義者が「要求の多様化」「貧困の新たな形態の拡大」として一面的に捉えている女性の置かれている現実にわれわれの側から肉迫し、諸課題、諸闘争をそれ自体として闘いながらわれわれは、女性の闘いを部分的補助的運動のワクに押し留めようとする者と闘い、女性解放闘争の根底性に踏まえた、女性解放に執着するがゆえの全体性、日帝打倒の展望を我が物としなければならない。

第三章 女性解放・日帝打倒の当面する任務

第一節 武装的決起の地平をさらに推し進めよ

 今日、革命的女性解放闘争の当面する第一の任務は、七〇年代階級闘争の内乱的武装的発展を、女性自らがその最先頭を担い、さらに推進することである。七〇年代内乱と革命の時代は、いっさいの人民に革命と反革命の分岐を問い、いっさいの人民を内乱の渦中へと叩き込まずにはおかない。六九年十一月決戦→七一年秋の大暴動闘争勝利は、七二-七〇年代の日本階級闘争の内乱的武装的発展がいかなる意味でも不可避であることを鮮明にさせ、〈三里塚、沖縄・入管〉を基軸に大爆発をとげた九・一六、十一・一〇、一四、一九の偉大な勝利の経験は、全人民に革命勝利の確信と勇気を与えずにはおかなかった。そして打ち続く十二月総決起、七〇年代の密集した反革命カクマル、K―K連合との死闘の展開を通して、われわれは内乱的死闘の深化を掴み取り、あらゆる戦線あらゆる闘いの日常的武装的推進と人民革命軍・武装遊撃隊の建軍の課題を鮮明にさせてきたのである。
 そして、七一年秋期大暴動闘争勝利は、革共同―中核派の党としての死活をかけた組織的決断とそれを貫徹した血と汗の革命的自己犠牲によって闘いとった勝利である。その中で女性もまた、第三〇回全学連大会の糾弾と批判を身をもって貫徹する決意を込めて、自らの自己変革をかけて、自ら暴力を奪還し、闘いの最先頭、最も困難な闘いを担い切ったのである。それはまた日帝のアジア再侵略の側に女性が動員されるのか、革命の側が女性を獲得するのかの熾烈な闘いであった。革命の側への女性の結集、獲得こそが、いま最大の任務である。それは言うまでもなく、女性解放闘争にとってそれ以外には勝利がないからなのだ。女性が武装的進撃をもって日帝のアジア再侵略・侵略体制構築の攻撃と真っ向から対決し、侵略を内乱へ沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の闘いに決起した七一年秋の闘いに、敵権力は言い知れぬ恐怖を剥き出しにして、とりわけ革命的女性の武装的決起に弾圧を集中したのである。日本帝国主義は暗黒と反動の内に人民を分断支配し、侵略への動員のテコとして女性への差別・抑圧を強化せんと攻撃を強化させている。ブルジョア的家族制度(イデオロギー)の帝国主義的再編・強化をもって女性の政治からの排除・暴力の剥奪を強化せんとしている時、女性の武装的進撃は、まさに日帝をして恐怖の淵に叩き込むものであったのである。
 このような闘いに恐怖した者は、権力とともにわが革命派への敵対を深め反革命派として純化をたどってきたカクマル反革命であった。憎むべき白色テロルを権力の内乱鎮圧型―組織絶滅型弾圧と一体となって警察とのK=K連合としてわが革命派へ襲い掛かったのである。七一年十二月四日、辻、正田両同志へのカクマル反革命の白色テロをわれわれは断じて忘れることはできない。必ずや復讐を遂げることを誓い、権力とカクマルとの内乱的二重対峙を勝利的に推し進め、反撃から逆襲へと堂々と革命勢力の武装を打ち固めなければならない。七〇年代階級闘争の偉大な高揚期の到来は、権力の内乱鎮圧型―組織絶滅型のまさに強大な暴力と、カクマル反革命の陰惨な白色襲撃、反革命と政治的軍事的に打ち勝つことを通して、わが革命派のヘゲモニーの貫徹をもって実現されるのである。党のもとに密集した力となって、いっさいの闘いを内乱・内戦、蜂起の計画的系統的準備の今日的貫徹として闘い抜かなければならない。強大化した国家権力の暴力的発動と反革命の前に対決を恐れ合理化する者、日和見主義者は、七〇年代階級闘争の内乱的武装的、革命的発展の中で反革命へと転落するであろう。

第二節 差別主義者、反革命カクマル殲滅を

 当面する第二の任務は、七〇年代階級闘争の内乱的、武装的、革命的発展の中で排外主義者・差別主義者=反革命カクマル殲滅の闘いを、とりわけ女性が、女性解放闘争にとってもまた最大の課題として担い切ることである。カクマルは、反革命として女性解放の問題がラジカルに提起される根拠・革命の現実性の時代に、共産主義プロレタリア革命が真に根底的な人間解放の内実を勝ち取っているか否かが鋭く問われるその問いを真っ向から拒否し敵対している。革命を語り、革命を裏切るカクマルは、日帝のアジア再侵略の開始にあって、抑圧民族プロレタリアートとして排外主義への転落を公然と開き直り、民族差別、部落差別、女性差別、「障害者」差別を深め、腐敗、堕落し、すべての被抑圧人民の闘いへの決起に公然と敵対している。
 反革命カクマルは、「女・子供」と伝統的差別言辞をふりまき、七一年秋期闘争の爆発に敵対し、女性解放に「階級的団結」一般を、「賃労働と資本の資本関係」を対置させて女性解放の課題を否定し女性解放に真っ向から敵対している。反革命カクマルは、リブ派を「リブ派など批判するのももったいない」と嘲笑しながら、リブ派への右翼的嫌悪、現状肯定的嫌悪を打ち明け、一方では、「リブ派の中核派全学連大会における党派闘争は評価できる」とわが全学連大会への反革命的期待と深刻な落胆を露骨にさせている。 リブ派に対する反革命カクマルの反発の言葉に「おしゃれな革命家がいてもいいじゃないか」と切り返している言葉があるが、これはカクマル反革命の心情的状況が日帝の腐敗、堕落、危機的不安に対してまったく現状肯定的に同化していることを示している。
 「家内奴隷を云々し賃労働と資本という資本関係を措定しない傾向」などと、マルクス主義の名を語りながら、実際には、賃労働と資本という関係を措定した所で女性の抑圧をどう捉えるのかを考えようともしない。「女子労働者の労働組合における地道な苦闘」「労働組合における権利闘争と反合理化闘争」を対置して社民的改良的運動に押し込め「団結、そして団結」と反革命カクマルは女性の革命的決起に敵対する。カクマルは、「入管闘争における被抑圧民族迎合主義と反差別主義」として女性解放を否定することによって排外主義イデオロギーと差別主義イデオロギーが危機の時代の帝国主義イデオロギーであり、その点において帝国主義に屈服していることを逆に告白している。
 七〇年代の密集せる反革命K=K連合粉砕を日本革命勝利の戦略的課題として捉え切ることによって、われわれは七〇年代内乱的死闘の時代への突入を極めて鮮明にさせてきた。革命的女性解放闘争の推進はカクマル反革命との日常的武装的死闘の展開を女性自らの武装せる進撃をもって闘い取ることによって初めて勝利しうるであろう。

第三節 差別・抑圧と闘い、日帝打倒へ

 当面する第三の任務は、七〇年代階級闘争の内乱的武装的発展の中で、危機の帝国主義がその延命をかけて激化させる女性への支配、抑圧、差別、分断攻撃のその一つひとつを粉砕する闘いを女性解放闘争独自の領域の強化として大衆的に闘い取ることである。
 その第一は、婦人労働者にかけられる攻撃との対決を革命的労働運動の課題としての反戦派女子労働者を主軸に闘い取ることである。そしてその闘いは、賃上げ闘争における賃金体系問題という形を取った女性への差別抑圧の強化、あるいは賃上げと引き換えの合理化への同意といった労働組合の帝国主義的労働運動化への道と鋭く対決するものでなければならない。
 今日、日帝は強搾取、大合理化をもって労働者への犠牲の転嫁をはかり、職場支配を強化し、その中で労働者内部の差別・分断を徹底的に利用している。賃金体系は民間大企業においては、たとえば、二万人の労働者に八千クラスのランクが付けられ、常に監視し合う体系を職場に作り出している。その中でも女子労働者への徹底的分断・差別は強固に固められ、男子労働者の多くも疑問にすら感じないところにまで体制化している。その上で日帝は、労働基準法改悪をもって婦人労働者の闘い取った権利、深夜労働制限と有害危険業務制限と時間外労働制限と生理休暇の撤廃を策動している。保護規定の積極的撤廃は、今日の労働者への合理化、労務管理の強化をさらに推し進め、労働者の肉体的抹殺・労働災害をもたらし、とりわけその攻撃の最先端に婦人労働者が立たされ、今までのようには働き続けることを不可能なところにまで追い込むのである。そして「女は家庭へ」のイデオロギー攻撃と併せて婦人労働者を孤立させ、結婚退職、若年退職、出産退職を強要し、一方では中高年婦人労働者を臨時パートとして低賃金単純作業に引き出し、無権利化しようとしている。
 今日、電機産業、事務部門、電通労働者の中に無気味に拡がる労働者の肉体的抹殺、「職業」病の激発は、危機の帝国主義が犠性を労働者に転嫁し、合理化、労務管理の殺人的強化をもって襲いかかっている結果であり、日本帝国主義打倒へまで連なる闘いである。と同時に労働者の肉体的抹殺という攻撃の性格そのものが婦人労働者の「使い捨て」政策によって支えられており、「職業」病・頸肩腕症候群にかかっている労働者を見ると婦人労働者がほとんどであるという明らかな事実の中に、攻撃がとりわけ婦人労働者に集中していることを見ないわけにはいかない。婦人労働者への攻撃を女性のみにかけられた攻撃として一面化してならないことはもとよりだが、攻撃の先端に立たされた婦人労働者が、闘いの最先頭を担い、戦闘的婦人労働者部隊として、既成社共指導部の裏切りを粉砕し打倒する勢力として立ち現れねばならない。
 日帝は、しかもこうした女子労働者への攻撃を、帝国主義の側からする欺瞞的な「出産、育児、家事と職業の両立」論をもってライフサイクル=中断型再雇用制度を導入し理論化しながらかけてきている。階級支配のもとで解決不能な本質的矛盾としてある、女性の公的社会からの排除を家族(制度とイデオロギー)の強化をもって、一方で固定化させながら、他方でプロレタリア女性の帝国主義の側への動員を図ろうとしているのである。こうした攻撃として教師の聖職化攻撃の一環としてある教師の育児休暇制度や勤労婦人福祉法を捉えねばならない。
 保護や福祉の名を語った攻撃の質を見抜き闘う労働者の反撃を大衆的戦闘的に実現しなければならない。
 その第二は、侵略・排外主義教育、中教審答申粉砕を闘い取ることである。四歳児義務教育政策などは幼児から「日の丸」の下への排外主義的教育をもって支配し、分断・差別の固定化の内に労働者人民総体を腐敗させる攻撃である。女子差別分断教育は、女性から適性の名によって「学問」をいっさい奪う攻撃である。公教育をもってブルジョア家族イデオロギーを強化し、女性を生まれながらに「劣った性」「弱い性」として屈服を強い、性差別、抑圧を強化する中教審路線を許すわけにはいかない(性差別抑圧の処女商品化=純潔教育をはじめとする貞操教育など性を教育の名で卑しめるものである)。
 教育基本体系における侵略体制づくりの中教審答申を、女性解放闘争の視点からもまた排外主義、差別教育との全面的対決として闘い取らねばならない。
 とりくみの第三は、性と生殖、家庭の国家管理、中絶禁止法制定攻撃を粉砕する闘いである。今日、日帝は優生保護法を活用しつつ、その上に中絶禁止をもって人口政策を手にして、一方で「障害者」抹殺攻撃と「障害者」抹殺イデオロギーを強化し、性と生殖、家庭の国家管理を再編・強化し、侵略体制の一環としようとしている。
 日帝の侵略に向かっての国民総動員体制構築攻撃は、帝国主義の危機に突き動かされた民衆の危機感、不安感を反革命の側に組織し、排外主義イデオロギー、天皇制イデオロギー、血のイデオロギーの下に動員せんとあらゆる方向から襲いかかっている。三〇年代ドイツにあってナチスは「ドイツ民族の優秀性、血統、人種」なるまったく非合理的、絶望的破滅的イデオロギーをもってユダヤ人を大量虐殺し、「障害者」を抹殺し、ドイツ人民を侵略に動員した。ヒットラーは、「不治の病に慈悲死を」なる法律をもって医師を動員し、一見「合理主義」「科学的判断」の装いをもって「障害者」をガス室に送り、ユダヤ人を大量虐殺し、まさに人類の類としての危機を意味する破滅的泥沼へと道を拓いたのであった。ナチスの「民族国家の利益や安楽死の思想」は、いままさにわれわれの前に日帝のアジア侵略・侵略体制構築攻撃として絶望的に展開されようとしているのである。
 日帝のアジア侵略の下で戦時立法として作られた国民優生法はドイツ・ナチスに学んだ優生イデオロギーの法的表現であり、「大和民族の優秀性」にかけての「障害者」抹殺と性と生殖の国家管理の法制化にほかならなかった。「国の宝である未来の帝国主義軍隊の兵士健児の母」としてのみ生きることを強要された女性は、“生めよ殖やせよ”"の攻撃に甘んじ「良妻賢母」「忠孝思想」に屈服し、アジア侵略に加担したのである。戦後日帝は、国民優生法を受け継ぎ、一九四八年に優生保護法を制定した。今春国会において上程された優生保護法改悪は主要に三点にわたる理由を付されている。第一に、「功利主義的家族計画はまずい」、第二に、「人命尊重に反する中絶は秩序の乱れ、セックスの乱れ、犯罪の原因となる」、第三に、「生まれたら不幸になる人は生まれてはならぬ」。そして説明の中では「日本国家一億のバイタリティ」などと膨張=侵略イデオロギーを公然とふりかざしているのである。
 このような破滅的・非合理主義的攻撃が迫られているところに今日の日帝の危機性が表現されていると言わねばならない。
 狭山差別裁判の強行における公然たる部落差別の攻撃は、日帝・田中体制の、日中、四次防、治安政策、列島改造論等の諸反動攻撃の最頂点を成すものとして捉えられなければならないが、この攻撃との対決を最前線とし、軸として侵略体制構築の攻撃との内乱的闘いが、いまこそ切迫性をもって階級的に要請されているのである。

第四節 内乱的死闘を貫徹し自己解放の主体へ

 革命的女性解放闘争創成の当面する第四の任務は、七〇年代階級闘争の内乱的武装的発展の中で、自己の歴史と現実に絡み付いている汚物と徹底的に対決し自己変革即対象変革を革命闘争の烈火の只中で勝ち取っていくことである。内乱と革命の時代は、二四時間の日常的総武装をもっていっさいの曖昧さを許さない。組織的実践と個人生活のいっさいとその相互の関係においてわれわれは個人生活、男と女、親と子との関係をも革命の内側に勝ち取り、いっさいを内乱・内戦―蜂起の視点において変革しなければならない。
二・九革共同政治集会以来、集会の度にわれわれが設けてきた集会託児所は、K=K連合を撃退し集会そのものを闘いとり防衛するための武装が課題となる中で、子どもを集団内部に守り抜く質をもって闘いの場に設けられた。子どもの育児を個人の私的責任として、ブルジョア的親子の関係との対決を曖昧にさせ、女性の活動を困難にさせてきたわれわれが、女性の政治と暴力の奪還の闘いとして、直接的には子どもからの、育児からの「解放」として新たな親と子の関係を創り出す手がかりの一つとして集会託児所への取り組みを開始したのである。子どものための、女性のための集団保育所、地域保育拠点をわが革命派の地域制圧を前提に闘い取っていく課題を打ち出しながら、現実的取り組みを開始し、圧倒的女性たちの政治活動への決起をよびかけ、そればかりではなく、親と子、子と子、との関係を未来に向かって闘い取る切り口としなければならない。
 極めて苦渋にみちた闘いとして、共産主義者としての思想性をかけて全人格をかけて闘いとられる性差別・抑圧との対決は、未来に向かって、ブルジョア家族制度(イデオロギー)を粉砕していく闘いの一歩一歩であり、性の人間的奪還に向かっての一歩一歩である。われわれは、七〇年代階級闘争の内乱的武装的発展のルツボの中で勝利へ向かっての確信を打ち固めるであろう。軍事的要請、革命的要請に対して、女性解放、子ども解放は、全面的に応え切っていく質を獲得しなければならない。と同時に、軍事的強さは、女性解放、子ども解放をも含み込んで真の強さを獲得するのである。

第五節 闘う女性との革命的連帯を

 当面する第五の任務は、部落解放闘争を推進する部落大衆、とりわけ部落女性の闘い、三里塚軍事空港粉砕の先頭を担う農村農人、公害との住民の闘い、北富士忍草母の会の闘いに学び、連帯し、ともに闘うことである。さらに、既成婦人運動崩壊の中で、孤立しつつ、根底的女性解放を目指し闘う婦人活動家の闘いの歴史に学び、伝統を革命的に継承する立場から、連帯してゆかねばならない。革命的女性解放闘争の深化と強化の糧としなければならない。

第六節 日和見主義粉砕し、革命的女性解放闘争を

 最後に、「女性解放」をかかげ新左翼の一翼にいるリブ派の右翼日和見主義的傾向と闘い、右翼日和見主義党派との闘いを推進し革命的女性解放闘争の飛躍的強化を勝ち取らなければならない。われわれ革命的左翼の組織内部の女性差別を糾弾・批判し、女性差別・抑圧の現実を革命的共産主義がいかに受け止めるかを迫り、自らブルジョア家族制度解体・女性解放を闘い抜かんとした日本におけるリブ派は、その出発において革命的左翼運動内部の党派闘争からの脱落者として誕生【アメリカにおける党の未成熟に規定された「分離と統一」の方針との区別性】したが、今日ますます右翼日和見主義への純化を遂げている。リブ派の右翼日和見主義を徹底的に批判・粉砕しなければならない。リブ派は、七一年秋の闘いから脱落し、階級闘争の結節環を成す政治闘争から逃亡、プロレタリア革命の内に女性解放を根底的に闘い取ることに反対し、対立させ、自らは絶望的反抗へと転落している。そればかりか、自らが女として被抑圧者であることを一面的に強調し、帝国主義的族の一員としての自己の歴史的階級的責務を捉えようとせず、日帝のアジア再侵略の現実の下で、排外主義的堕落を遂げている。さらに、プロレタリアートを労働貴族と同一視し、プロレタリ党の今日的建設・強化を拒絶し、一部には、わが革共同の党への飛躍に恐怖し、解体を願うという腐敗を示してさえいる。
 われわれは、かかる右翼日和見主義者、敗北主義者との党派闘争を断固として推進し、女性解放・日帝打倒を自ら闘い取る革命的女性解放闘争の戦列の圧倒的強化を勝ち取らなければならない。敗北主義、日和見主義を許さず、七〇年代内乱的階級闘争を勝利へと担い抜き、女性の根底的解放を勝ち取る決死の闘いを力強くここに踏み出さなければならない。

(1973年1月1日)


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