ひとくず
タイトル通り、“クズ人間”がたくさん登場する映画。
構図がどうとか、セリフがいけてるとか、この伏線がこうなってああなってとかまったく考えなくて済む、どストレートでドメスティックな作品。
テーマは、虐待と貧困の連鎖で、それに少しだけ児童福祉の話も絡んでくる。監督の上西雄大自身が主演も務め、社会の仕組みからあぶれたアウトローの不器用な生きざまを、これでもかと見せつける。
刑務所を出たり入ったりの金田匡郎(カネマサ)は、空き巣のために押し入った部屋で一人の少女(マリ)と出会う。マリは部屋の外から鍵をかけられ、監禁状態の中で放置されていた。まともな食事を何日も与えてもらえず、風呂にも入っていない、極度のネグレクト状態。自らも虐待を受けていた経験を持つカネマサは、マリと幼少期の自分を重ね合わせ、図らずもマリの救出を試みる。
マリの現在の状況と、カネマサの少年時代が交互にオーバーラップ。カネマサの歩んできた人生の披瀝は、マリの救助に一刻の猶予もないことを警告してくる。程なくしてカネマサは、マリへの暴力を常態化させていた張本人、ヒロと対峙。半グレなのかヤクザなのか判然としないヒロだが、カネマサの壮絶な生い立ちからすれば相手になるはずもなく、敢えなく勝負は決する。ここから、マリの実の母親で、ヒロの交際相手でもあったリンも交えた3人による、疑似家族の再生物語が幕を開ける。
母親の内縁の夫から受けつづけた理不尽な暴力は、カネマサから人間としての尊厳を奪っていった。社会に対する憎悪と苛立ちは、彼の口の悪さで直接的に表現されている。自分以外を敵とみなし、他人を排斥していく行動原理は、“ヤマアラシのジレンマ”を想起させる。カネマサが持っている針は、どんなヤマアラシよりも太くて鋭い。マリを救うことで、カネマサの尖った針は抜け落ちてくれるのだろうか?
本作における演出手法は、『万引き家族』(2017年)や『MOTHER マザー』(2020年)よりもストレートでわかりやすい分、児童虐待防止や里親制度啓蒙のための教材としては適している気がした。ただ、上記2作品は掛け値なしの圧倒的なエンタメだが、『ひとくず』は荒削りな上に監督の想いが強すぎて少々暑苦しい。数年後を描いたラストシーンや、必要以上にアイスクリームに関する件を繰り返すなど、蛇足やダレ場があるのも事実。
しかし、『ひとくず』が提示してくれた問題は、極めて深刻で急を要するものだ。映画を観ても観なくても、児童相談所虐待対応ダイヤル「189(イチハヤク)」だけは、絶対に覚えておかなければならない。救いの手を待ちつづけている、幼いカネマサやマリのような存在をいち早く見つけ出すために。