ぼったくり感とお得感〜取引効用〜
このシリーズはわたしが学んだヒトの行動について、行動変容と経済学と絡めて(それを行動経済学という)勉強したことをアウトプットをこのnoteで共有していくものです。
「思ったより安かったね!」という感覚、ありませんか?
今回はそんな感覚に関連する取引効用について。
取引効用とは?
💡ある財を購入するときに実際に支払った価値と、通常支払うと予想される価格(参照価格 reference price)の差のこと。
こんなイメージで、「思ったより安かった」「思ったより高かった」という感覚です。
消費者が取引した価格と想定していた価格のギャップを認識することで得られる幸福感(もしくは不幸感)を表す言葉です。
さて、この理論は愛読していた『行動経済学の逆襲』の著者リチャード・セイラー氏によって提唱されました。
この取引効用と対になって用いられる理論が獲得効用(Acquisiiton utility)。
💡財を消費して得られる効用から、その財を消費するために諦めなければならないモノの機会費用を差し引いた残り。
要はものを買う時に得られる高揚感を獲得する代わりに、お金を払わないといけない(消費するために諦めなければならないもの)痛みのギャップのことです。
☝️酷く喉が乾いているとしましょう。
その時のあなたは水を飲むことができればいくらでも払うと思っています。
さて、水の入ったボトルが500円で売られていて、他に売っているところはなさそうです。
渋々その500円の水を買って、喉を潤します。
が、500円を払ったことの懐が痛んでしまいます。
500円を払うという痛みを代償として、喉の渇きを潤す。
このことが獲得効用です。
しかし現実世界では、そんな痛みを代償にして、欲求を満たす、という風には考えません。
状況によってはその500円の水は安く感じるし、そもそも痛みとも思わないかもしれません。
本にてセイラー氏は「経済学者が考えがちなこと」と揶揄しています。
そこで取引効用を提唱しました。
同じ話でも以下のように解釈できます。
☝️500円の水を喉の渇きを潤すために購入
🐫(自分が砂漠にいて、周りに売店も何もない)
→500円で水が買えるなんて。安いくらいかも。
🏠(ただ家に水がなく、近所の売店に買いに行く)
→500円ってぼったくり。他の売店の方が安いかも。
身の回りの取引効用
わたしたち人間は、経済学者が想定するようには行動しません。
経済学では需要と供給をベースに考えているので、上記の水の例だと、500円という痛みを渡す代わりに水を手に入れるという獲得効用を提唱していました。
その効用は不変的で、それが400円でも100円でも「痛み」は「痛み」。
しかし人間の場合は、人間が置かれている状況によってその効用は変わってしまうんです。
画像: [デスノート ©大場つぐみ・小畑健/集英社] より拝借
また水の例を使ってみます。
(『行動経済学の逆襲』でも水の例が用いられていました)
以下の状況を考えてみてください。
☝️日本では500mlの水が150円で売られている
(コロナでなかなか厳しいですが)海外旅行へ行くとしましょう。あなたは成田空港にいます。
長距離線だと足がパンパンにむくんでしまうので、水分補給は必須です。
☝️成田空港では500mlの水が300円で売られていた。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
さて、あなたはどのように感じるでしょうか?
↓
↓
↓
↓
↓
さて、行き先はベトナムです。
☝️ホーチミン のコンビニには500mlの水が日本円で50円で売られていました。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
さて、あなたはどのように感じるでしょうか?
↓
↓
↓
↓
↓
おそらく「お得!」と感じるでしょう。
元々持っている500mlの水の参照価格が150円として、実際の取引価格が50円だったので、そこに100円の差異が生まれています。
この「お得!」と感じる効用を取引効用と言います。
その後にニャチャンというリゾート地に行くことにしました。
ビーチでパラソルを借りて、のんびりくつろいでいます。
しかしあまりにも暑いので水が飲みたくなりました。
暑いので、動く気にもなりません。
するとパラソル貸しの青年が水を買ってきてやると言います。
☝️その青年はあなたに500mlの水を買うのに、日本円200円を要求します。
(ベトナムの平均的な水の4倍としましょう)
↓
↓
↓
↓
↓
↓
さて、あなたはどのように感じるでしょうか?
↓
↓
↓
↓
↓
高いと感じますか?
それとも安いと感じますか?
単純に見ると高いと感じると思いますが、以下の情報が追加されると見方が変わるでしょう。
☝️水を買いに行くのに、周りにはコンビニはなく、バイクで10分走ったところに売店がある。
(徒歩だともちろん…もっと時間はかかりますね。しかも炎天下)
定価50円の水を買いに行くのに、その青年にお駄賃なしはあまりにもあなたは薄情ものです。
なので、200円という価格は妥当という風に考えることができます。
(むしろあなたはその青年にとても感謝するでしょう)
では次の情報だとどうなるでしょうか?
☝️徒歩1分の場所にコンビニがある。
200円の水は高いですよね?
なぜなら自分でも苦労をせずに50円の水を手に入れることができるし、買いに行ってもらうにしても、4倍は高すぎる、と感じるでしょう。
(そして「ぼったくられた!」という気持ちにもなってしまいます)
内的参照価格と感情
わたしたちは、何かを購入する時に、過去の記憶や経験などから基準価格を頭の中に記憶されています。
それを内的参照価格といいます。冒頭でいうと「想定していた金額」のことです。
購入したことがあるもの、値段をみたことがあるもの、経験値から推測できるものから内的参照価格が形成され、人によって異なった価格になります。
先ほどの500mlの水のボトルで考えてみましょう。
☝️元々知っている価格
→150円
しかし、これは日本人だけに言える価格です。他の国の人からすると「高い!」か「安い!」と思われるかもしれません。
☝️ベトナムでは50円の水
→しかし、買いに行くコストは、灼熱下を20分歩かないと売店にたどり着かない
この状況がプラスされると、内的参照価格は上がってしまいますよね。
さらに、あなたが日本人であれば「日本だと150円だけど、ベトナムでは50円が基本。でも今ここには売店がないから、今目の前で水を売ってくれたら倍で買い取るなぁ。」
そうすると、あなたの内的参照価格は100円に上がります。
さて、この状況ではどうでしょうか?
灼熱下20分歩く代わりに、青年がバイクで買いに行ってくれる。
「この青年に買いに行ってもらう。暑いし、ガソリン代諸々を入れたら、500mlの水の(内的参照)価格は200円かもしれない。」と考えるでしょう。
なぜなら、灼熱であることを理解しているあなたは、青年の苦労がわかるからこそ、内的参照価格を200円までにあげることができるんです。
しかし、あなたが極悪非道で冷徹な人だったら、そんなことは思わないかもしれません。(笑)
「ここの水は50円なんだから、50円で良いだろ」と。
そうです、人によって内的参照価格は変わるし、結局取引効用もそれに伴って変化します。
あなたが置かれている状況、感情によって左右されてしまう、ということです。
さて、面白いことに、人間が考える価値は「これだ!」と一概には定義できないことがわかりました。
例え水の値段が決まっていたとしても、あなたが置かれている状況や感情によって、値段は不変であっても、あなたにとっての水の価値は大きく変わってしまいます。
これが取引効用。
「お得!」と思うか、「ぼったくり!」と思うかは、状況や感情次第。
参考資料
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?