[ヒト口キロク] 違う年齢と友情
何かを書く余力が出来てきたので、ヒト口キロクを再開したいと思う。
散歩しているときに聴いていたポッドキャスト。ながらで考えていたことを綴る。
年齢の異なる人々の友情について。
わたしは大いにあり得ると思うし、わたしにも自分の年齢や世代と異なる友だちを持ってきた(わたしがそう一方的に思っているパターンかもしれない)。
出会いはこんな感じだった。
バイト先や職場
旅行先
メキシコ在住時
大学時代に参加したイベント
友人の紹介
SNS
話が合う合わないは関係なくて、居心地がいいとか、そんな感じで付き合っていた。一緒にご飯食べたり、飲みに行ったり、映画観に行ったり、旅行したり。それはひと時の仲だったり、今もずっと続いていたり。
一番年上で70歳、年下で20歳。
とあるイベントをグランフロントで行うのでボランティアを募集します、とSNSで見かけて参加した。わたしは大学生だった。
そこで出会った社会人のお姉さんと仲良くなり、そこからそのお姉さんとプライベートで会うようになった。「夏実ちゃんに合いそうな人がいるから、今度ご飯行こう」と誘われて会った人がいる。その人を友人Aとする。
大学生のわたしからすると、友人Aは大人だった。でも、話は合うし、一緒にいて居心地が良かった。
数年後、わたしはグアテマラにいた。そこで出会った同い年くらいの女の子と仲良くなった。その子を友人Bとする。
そしてまた数年後。何がきっかけかわからないけど、友人Aと友人Bと3人でタイスキを食べに行っていた。
友人Aと友人Bは全くの知り合いではない。明らかにわたしが引き合わせたのだ。理由はわからないけど、今も3人でやり取りは続いている。たまにビデオ通話もするくらいの仲。
ちなみに、友人Aはメキシコまで遊びに来てくれた。
20歳の友人は、自分が28歳だったから、そこまで年齢差はない。ベトナムのカフェでコーヒーを飲んでたら、彼女はわたしに突然話しかけてきた。
どちらも英語がそこまで得意ではないものの、共通言語は英語。持てる限りのボキャブラリを駆使してたくさん話した。その街には4日間いたが、毎日彼女と遊んでいた。バイクの後ろに乗せてもらい、カフェに行ったり、買い物に行ったり。
その街を去った後、毎日連絡をとり、電話までしていた。わたしがメキシコに帰ったあたりから、連絡は次第になくなっていった。時差のせいだ。
どんな話をしたか、あんまり覚えていないのだけど、とにかく8歳離れていても毎日会うほど楽しかったのは間違いない。
どうしても、自分の生きている世界だと、見れることや触れられることには限界がある。自分の認知に限界があることを意識しているわけではないものの、年齢の異なる友人と話していると発見がある。それがたとえ知っていることだとしても、「こう考えるのか」と視点の異なりにも気づく。
発見を与え合う関係は、わたしにとって居心地がいいのかもしれない。与え続けるのは疲れるし、与えられ続けるのは、脳が追いつかない。年齢が上でも下でも、何を持っているか関係ない。期待が少しでもあると、ゲームオーバー。
結論、年齢はただの個人情報であって、数字であって、意味はあんまりないもの、だと思う。