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メキシコサブカルと虚構 映画Ya no estoy aqui

 メキシコ映画第2段、これもメキシコのNetflixで出てます。日本でも上映されることを願ってます。これ、この前紹介した「Chicualotes(チクアロテス)」より個人的に好きです。

好きな要素は私の大好きなCunbia(クンビア)が挿入歌で終始かかっていること。これ、民族音楽好きな人には必見です。まずは、トレーラーからどうぞ。


こちらも大筋の話は明るくありません。なんせ時代背景が2000年代はメキシコカルテルの抗争が激化し始めた頃。それをベースに、クンビアを愛する一人の17歳の少年ウリセスの話。

Wikipediaのあらすじによると

ウリセスはヌエボレオン州モンテレイの貧困地区に住む17歳の少年である。友コロンビア のアーバンカルチャーを表現するダンスミュージック「クンビア・レバハーダ」(コロンビア とメキシコのクンビアカルチャーをモンテレイ流に変換した音楽)の熱狂的なファンであり、人のチャパラ、ネグラ、ペケシージョ、スダデラと共に、Los Terkosというグループを結成していた。しかし、その頃というのは、メキシコのカルテル(麻薬組織)による麻薬戦争の真っ只中で、彼らのいるヌエボレオン州、特に貧困地域でのカルテルたちの抗争が横行していた。彼らLos Terkosが住んでいるエリアも例外でなく、カルテル「F」とライバルカルテルの「Los pelones」の抗争がそこで行われていた。たまたま、その抗争に居合わせたウリセスはカルテルから目をつけられ、家族と共に命を狙われてしまう。そこで、ウリセスはこの地区を去らないといけない状況になり、アメリカへ違法で国境越えし、ニューヨークのジャクソンハイツへたどり着く。

という話ですが、注目すべきは実際に存在するKolombiaカルチャーをベースにしたファッションと音楽。

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©︎Netflix

髪型といい、結構ファッショナブル。
こういうところに注目しつつ、ネタバレしないようにおすすめポイントを書いていきます。


メキシコのサブカル

まず、低所得者を背景にした映画ですが、そんなに暗くなる必要はなく、見出しにも書いた通り、注目はメキシコのサブカルについて。

実はメキシコ、2019年の16歳から64歳までの21か国(日本も入ってます)を対象にした調査(全世界レコーディング協会なるもの)によると、世界で一番音楽を聴く国ということがわかりました。

今メキシコにいる中で、随所にわかることが、どんな人でも音楽を聴いていて、尚且つ詳しいんですね。そして、無料ライブも至る所で、しかも結構大御所、開催されていたりします。

メキシコ人の音楽に対する教養はかなり高いなと感じでいます。

今回メインとなるKolombia(コロンビア)、またはCumbia Rebajada(クンビア・レバハーダ)はヌエボレオン州が発祥のサブカルチャー的な音楽ジャンル。(実際著者も結構好きです)

ColombiaでなくKolombiaで、普通のクンビアでもない。Wikipediaによると、

Kolombia、lo kolombia、los colombias、またはcholombiano(Choloというのは野郎とかオラオラした奴のこと。それとコロンビアを掛け合わせた造語だと)はメキシコ麻薬戦争が横行していた2000年を絶頂に、ヌエボレオン州モンテレイで栄えたサブカルチャー。  クンビアレバハーダとバジェナート(コロンビアカリブ海発祥音楽)と、Cholo(以下の動画を見てください。こんな感じです)コンセプトをミックスさせている。

いつか、Choloについても解説します。。。


音楽の誕生背景が、富裕層発信でなく、主人公のような低所得者層であり、音楽自体がこの映画を物語っているということです。
なので自然とストーリーは理解できます。それより、私は麻薬戦争下にも関わらず、平和に踊り続ける主人公とLos Terkosのメンバーたちの様子を見て欲しいと思います。明らかに背景は治安悪そうです。でもそんな中でも楽しそうに、一つのジャンルの音楽を徹底的に愛しているんですね。


モダンとトラディショナルの対比

今でさえ、このKolombiaというジャンルは、私が知っているくらい大衆に広がっていますが、前述したとおり、低所得者層から生まれました。

前の映画紹介記事Chicualotesでも書いた通り、メキシコには小さな村が存在し、究極は村八分ですが、村内での連帯感は非常に強いのです。映画でも一つの描写sとして、村の祭事毎にこのKolombiaが流れているという、トラディショナルな側面も持ち合わせています。

この映画ではモンテレイがトラディショナルな側面、ニューヨークがモダンな側面として描かれています。モンテレイは麻薬戦争下、ニューヨークは何事もないような日常、まさに現実と虚構です。

映画の中では、半分以上ニューヨークでの生活が描かれていますが、所々でモンテレイでの日々の彷彿させるようなシーンが出てきます。

まずは、コロンビア人風俗嬢。ウリセスと彼の友人たちでラテンアメリカ系の風俗へ行きます。さすがジャクソンハイツ、多民族な地域です。
店で流れている音楽は、「ノルテーニャ」というメキシコアメリカで流行っているアコーディオンなどで構成された音楽。クンビアが大好きなウリセスにとっては、飽き飽きした様子です。

そこで接待として、コロンビア人風俗嬢がやってきて、ウリセスが「ノルテーニョはつれない。クンビアが聞きたい」と言って、彼女に彼のオーディオからクンビアを聞かせます。
これ、私が小さい頃に聴いたやつだわ!」と懐かしそうに話します。
それから、ウリセスは彼女のことを母親というか親近者のように慕っていきます。

他のキーポイントは中華系の女の子リンとの出会い
彼女とはバイト先で出会うわけですが、彼女はバイト先のオーナーの娘。
仲間と喧嘩し、住むところがなくなってしまったウリセスが見つけた場所が、バイト先の屋上にある小さな小屋。こっそり忍び込み、そこで暮らしを始めますが、リンに見つかってしまいます。

ここで補足情報、ウリセスは全く英語が話せません。NYに実際私も住みましたが、英語使わなくても、スペイン語でどうにかなるって日もありました。

しかし、リンは逆にスペイン語は話せません。彼のスタイル(特に最初は髪型から興味を持った)に惹かれていき、スペイン語を頑張って覚えようとします。(中でも面白かったのが、変なスペイン語、俗に言うスラング a la verga(ア・ラ・ベルガ 英語でgo to hellみたいなニュアンス)を教えて、リンが意味も分からず、連発する)

リンの妙な積極的な態度に徐々にウリセスは心を開けていき、彼が所属していたLos Terkosのビデオを彼女に見せます。やはり、どんな先進国に住んでいようと、メキシコが恋しいということですね。

リンはウリセスに対して、踊るべき!と促し、彼女自体も彼に近づくために、Chola風の格好をして、できるだけ知ろうと試みます。

そして、高架下や地下鉄でダンスをしますが、なんだかうまくいきません。ますます自分の故郷と音楽が恋しくなってしまいます。

都会の中で生きていようと、故郷を想う描写がいくつも表現されていて、全く違う世界(超都会のNYと麻薬戦争下の故郷)の違いと彼の故郷のいいところが絶妙に見て取れます。



カルチャーの背後にある闇

冒頭にも書いたとおり、2000年代のメキシコは麻薬戦争の真っ只中で、本当につい最近まで力を持った麻薬カルテルが牛耳ってました。

詳しくはNetflixのナルコスのメキシコ編を。

ウリセスがメキシコを去らないといけなくなったのも、元はと言えばカルテルのせい。たまたま関わっていた兄ちゃんたちが、地域を牛耳るカルテルのメンバーだったことはあらすじでも書きましたよね。

運が悪い、とかそういう話で済まされない、いつの間にか自分もカルテルのメンバーになってる、目をつけられている、ということがあるんですね。

映画の中でも、ウリセスがメキシコにいる時にLos Terkosとしてつるんでいた仲間の一人がカルテルにリクルートされ、大きな銃を抱えて笑ってる、という描写も描かれています。

まるで、ニューヨークの生活が嘘みたい、と。




音楽について

長々となってしまったので、サクッとSpotifyで誰かが作ったプレイリストを載せておきます。


はい、長々と書いてきましたが、日本版がないのが悲しい!英語名はI'm No Longer Here (もうここには自分はいない)です。日本語版リリースされるのを待ちましょう!




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