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自分の声を好きになれるまで

先日、タロットセッションを受けてくださった方が

 「ステキな声ですね。ずっと聴いていたくなります」

と褒めてくださった。

いやっほう♪と小躍りして喜んではいるが、実は、わりと最近まで自分の声が嫌いだったのだ。

 コンプレックスのはじまり

小学校2年生くらいの頃、親戚の家で、カセットレコーダーにみんなの会話を吹き込んで遊んだ。

 「私の声って、こんなに変だったんだ…」

 すごく甲高くて、耳障りで。

 一瞬にして、自分の声が嫌いになった。 

もっとかわいい声、美しい声に生まれたかったなあ、と何度思ったかわからない。

なんだかんだで便利な声

そんな声でも、中学・高校の部活では役に立った。

地声が大きいこともあり、とにかくよく通るから。

 後に司会やアナウンスをするようになったときにも、この声量を活かすことができた。

 ただ、趣味でゴスペルを歌っていたときは、金属質な声が悪目立ちして、録音を聞くたびに悶えていた。

 それも、周りの人の声量がついてくると、徐々に解決していくのだが。

 声質はともかく、なんだかんだで地声が大きいって便利だなと思ったものである。 

リモートワークで変声期がやってきた!?

年齢とともに、金属質だった声も、いい感じに角が取れてきた。

そして、この4月から5月、完全リモートワーク生活に突入し、ライブ配信や動画撮影などをしたときに気がついたんだが。

 「え!?私、こんなに声低かったっけ??」

オンライン会議ツールだと、遠くに響かせるより、近くの人に語りかける感じになる。

それに慣れて、いつの間にかオンラインに合った声の使い方をするようになっていたらしい。

自粛生活の始まりとともに、変声期っぽいものがやってきたようだ。

おかげで、今はこの声も悪くないなと思えている。

いや、むしろ味があって好きかも。

自分の声を好きになったら褒められた  

で、冒頭の話である。

自分の声が嫌いなままだったら、きっと人から褒められることもなかったろう。

一生つきあっていく自分の一部だし、何より講師業や占い師は、声を使ってナンボ。

好きになれなかったとしても、受け入れて活かしていけるほうがおトクだ。

と、やっと思えるようになった、アラフィフの初夏。

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