
「それ僕の意見が必要?」実写版アラジンと天秤座
実写版アラジンで、ジャスミンが「私はもう黙らない」と歌うシーンで涙が溢れて、自分でもそこまで?と驚いた。
現実世界で特に嫌な目にあった訳ではないはずなのに、涙が溢れるほど胸を打つなんて。なんでしょう。これは前世でなにかがあったねきっと。
私はなぜかずっとジェンダー意識に敏感な子どもで、周囲を見渡しても、お話に描かれているステレオタイプな設定についても、いろいろ気になって仕方なかった。
でも女友達に語っても全然同意してもらえなくて、女の子ってお得じゃない?と言われたりすると、なぜ私はそう思えないんだろうって思ってた。
ジブリについては、男の子がみんな好きになれなくて。
主人公の女の子が自分の置かれた状況(家の問題など)に正面から立ち向かおうと頑張っているところに、出会ったばかりの男の子が当たり前のように前に立とうとするのがまず不愉快で「あんた誰よ。出会ったばかりでなんなのさ。」といいたくなる。
呼び捨てにして、「こっちだ!」とか。
アスベルしかり、パズーしかり、カンタしかり…
そして女の子も女の子で、突然お母さん口調でお料理とか身の回りのお世話を焼き始める様子にも、こんな子どもなのになぜ…と。
街はずれのほのぼのした共学県立高校を経て、大学に入ったら、男の子たちが急に男性意識に目覚めてて、「女の子は(支払い)いいよ」などと急に女の子扱いされることに、アスベルが登場した時のような違和感と不愉快感が拭えず、心の中でずっと逃げ惑って戦ってたなぁ。
男の子にもいろいろいて、ナチュラルに生き生きとそうである子もいれば、そういうのしんどいよなぁ、でも男に生まれたからそうやって前に立っていかなきゃなのかなぁと葛藤してる感じの子もいて、前者は全く話通じないと思ったけど、後者の感じ(いわゆる負け犬的と本人は思ってそうだけど)を愛おしく思う気持ちがあり、男の子ってみんな嫌!というわけではなく、普通に楽にいようよっていう気持ちで仲良くなれる。
ジブリの話を人にしたら、「そんなこと考えたこともなかった。」「そんなとこ着目してない」と言われて、そうか…と。 作ってる人もそこんところ大事と思ってないから、適当に普段の意識でキャラ設定してるんだろうなぁ。下駄はかされてる方にはそうでない人がどう感じているのか分からない。ということかな。
ディズニーはすごく意識を持ってその辺りが作られていて、近年のはどれを見ても私の男の子、女の子に対する違和感が発動しなくて、アニメで発動しないのは珍しいから気持ち良すぎて「すごい!大好き!」とその姿勢に感動してしまう。
ディズニー映画が好きだなぁ。
アラジンは、アニメも意思のハッキリしたお姫様だったけど、実写になったらもっと丁寧に描かれていて、
アニメ→国王の決めた王子と結婚するのは嫌、自分で相手を決めたい
実写→国のこといろいろ考えて勉強もしてきて愛してるから、自分が国王になりたい
でもそう思ってるのに、周りの誰もそんなのはなから聞いてくれない。政局についての意見も女の出る幕なんてとうていもらえない。
アラジンと出会って、
「私は国王になりたいの」
「君ならなれるよ」
「(驚いて)本当にそう思う?」
「それ僕の意見が必要?」
ここ最高のシーンだと思う。
アラジンは素敵な男の子だと感じる。具体的に日本のアニメの男の子とどこがどう違うのかうまく言葉にできないけど。
今、私は自分に合うパートナーと一緒になって、自分のこのジェンダー感のままで、お互い楽しく幸せにいられる人がいるんだなぁと、この出会いのかけがえなさを幸せに思ってます。
星で言うと、私の月天秤座が「平等にこだわる」というのがあるとすると、最初から当たり前にその感覚があり、そうでない社会になんで?と思えることはそこから来てるのかな?
そして、冥王星も天秤座。冥王星は世代で(1971年から1984年生まれ)、氷河期世代がここに当てはまるとされています。
氷河期世代は正規雇用が難しかったこともあり、伝統的な「家庭を持つ」という価値観が揺らがざるを得なくなってる世代と言われています。
天秤座を「対人」「結婚」そして「平等」「穏やかさ」「美しさ」と考えると、パートナーシップ、結婚のあり方について、この世代が選んでいってるそれぞれのあり方というのも納得という気がしてきます。関係性のあり方を大切に思うからこそ、形は自分達に合うように様々になる。独身も含めて。
そんなことを感じました。
実写版アラジンは私の中の映画ベスト10入りしました!歌も踊りもジーニーも、いろいろいろいろ最高です。