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初めて自ら料理をしようと思ったのは19歳の時だった
母が料理好きだったこともあって、いわゆる「創作料理」「家庭料理」みたいなものがずっと近くにあった
特に記憶に残ってるのは、カレー味のキャベツとウインナーの春巻き、豚の角煮、あとは白米にバターと醤油を垂らすだけでめちゃくちゃ美味しいってこと
余った餃子の皮に、プロセスチーズを包んで揚げるだけのおやつもすごく好きだった
自分が大人になって料理をするようになってから、久しぶりに実家に泊まったときにイタリアン素麺を作ったことを今でも覚えるいる
トマトとオリーブオイル、レモン、塩胡椒と生ハム、それと素麺とフレッシュバジル
夏だったから、さっぱりしたものをと振る舞ったが、父と弟の舌には合わなかったらしい
母だけが、美味しい!新しい!と言ってパクパク食べた
今思えば、母はいかにして家族のみんなが好きな味を追求して料理をしていたかってこと
今も私は自分が好きな味を自分の手で作れることの喜びをいちばんに感じながら料理をする
もちろん、誰かに作るときはその誰かのことも考えるけれど、やっぱり自分が美味しいと思うものを自分で作れることのしあわせには勝てない
「自分の手で何かを作り出す」
「作り出したもので自分と、誰かが同等にしあわせになる」
この二つの基準をしっかり満たすものが、はっきりと私は料理なんだと思う
いつまで経っても、私と貴方で完結する世界のことを考える
料理を生業にはしていないけれど、表現者としてはほとほと傲慢なのだと思う
より広く、より人に届ける世界の端っこに生きている我々は、やはりいつかはどうにかなろうと思ってしまう生き物
それでもなお、私と貴方の話をしたいんだってことはずっと変わらないんだろうね
今日、5月にやる写真の展示のクラファンのお返しで、支援してくださった方に手料理を振舞った
1ヶ月くらい料理をしていなかったので、美味しいものを作れるかどうかがずっと不安で、当日まで何を作るか決められなかった
朝、何を作ろうか考えながらスーパーに行って、春を食べようと思った
季節の食材を食べることが好きだ
旬の食材はやっぱりエネルギーが全然違うと思っている
菜の花、ホタルイカ、インゲン、春って名前がついてるキャベツ
チューリップみたいなピンクや黄色があると嬉しいから卵と桜エビ
食材を見た瞬間、食べたいものや作りたいもののアイデアがグングン湧いてきて、ああ私料理が好きなんだ!って何回目かの気づき
いざ食材を目の前にして料理をしようって思ったときも、こういう風にしようとか、こうしたらもっといいかなとか、いろんな気持ちが生まれてくる
食べた人が、美味しいって言って笑う
よかった〜って私も笑う
全然料理をしなくても、感覚はしばらく消えないことを知った
昔、精神的な理由でご飯を全然食べられなくなったときがあった
自分が何を食べたいかがわからず、自発的に物を食べることができなくなって、それでも料理はできた
療法として、料理は幅広い分野に使われているらしい
特化型で、一つのことしかできない自分が、料理をできているのなんかいまだに不思議で仕方ないけど、それでも自分と誰かのためになることがやっぱり好きなんだと思う
自分のためだけでも、誰かのためだけでも意味がなくて、同等にってところに意味があるんだと思う
でも自分1人のためにやっても最高って思える
貴重
いち早く、料理をできる環境を整えたら、もっと自分が前に進むって、そう思った