振り返り4/27.28
4/27
仕事終わりに友人の自主公演を観に行った
屋上にある風通しのよい劇場
数年前に私もその劇場で演劇を行ったことがあり、久しぶりに行ってみたかったというのもある
やっぱりとんでもなく気がいい場所
淀みが一切ない
建物全体が薄水色で、なんとなく透けている
中に入るとふんわりあたたかい
「あたたかみのある室内」みたいなのって何度も何度も表現されている言葉なんだと思うんだけど、それ以外なんて表現したらいいのかわからないくらい的確
最初に部屋の雰囲気を「あたたかい」といってくれた人、どうもありがとう
夏になると暑すぎるから、公演を中止してビアガーデンをやっているらしい、そちらにもぜひ行ってみたい
今回観に行ったのはリーディング公演で、演出も出演もどちらも友人というものだった
私にとっては割と珍しいこと
息子を自死でなくした母と、もうすでにいない息子の、半ば口論に近いような会話で進んでいく物語
著者の実体験を元にかかれた小説を2人芝居に落とし込んだ作品だった
作品の中に名詞と形容詞についての会話があった
身の回りのものは全て名詞で構成されているんだけれど、自分の状態を表現するのに大切なものは実は形容詞なのでは?という2人の会話
なにが名詞でなにが形容詞なのかみたいなことを意識して使ったことってそういえばそんなに多くはないなと気づく
言葉ってものを扱うのは難しい
難しいと思っていた方が、扱いやすいのかも
誰かとこんなふうに話すことができたらいいのになと、2人のことを見つめた
舞台にはさまざまなものが置いてあったのだが、お風呂に浮かべて遊ぶ音の鳴るあひるのおもちゃが床に転がっていた
息子が踏んづけるたびにアヒルが鳴く
演出されているわけではなくてたまたまなのだけど、そのアヒルが鳴くのを、待っている私がいた
4/28
友人がバンドを脱退することになった
東京でのラストワンマンライブを観に行く
会場は満員で、共通の友人もたくさん集まっていた
演奏する曲全てが知っている曲のバンドって中々ない
好きな人がやっている音楽と、好きな音楽をやっている人っていうのは全然違うことのように思うのだけれど、何が違うんだろう
友人はめちゃくちゃ輝いていた
自分の意思とは関係なく、他者の受け取り方っていうものが存在していることがどうしようもなく苦しいときと、うれしいときのどっちともあるなとか、演奏する友人の顔を観ながら考えていた
終わったあと、馴染みの店までみんなで1時間ほど歩いた
ライブを観終わったあと過ごす時間がとても好きだ
みんなが待つ店に遅れて来た主役は、ありがとうと言って笑いながら泣いていた
この人はなんて綺麗なんだろうと思った
友人を抱きしめて、店を出た
いつか綺麗だと言いたい
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