距離感って、むずかしい(後)
ここ1年の家族との関わり方によって、私の人との距離感についての考え方は変わってきた。
私は大学を卒業するまでずっと、大阪の実家で暮らしていた。
新卒で就職した配属先が東京になり、大学卒業とともに実家を出て、関東での一人暮らしを始めた。
その時の私は、実家を出ることに特別何かを感じることもなく、親と離れて寂しいなども、全く思わなかった。
というのも、書くと長くなるので省略するが、その昔、実家は冷戦状態のように殺伐としていたのだ。
そのために、自分の中で、「家族大好き!」という自認があまりなかった。
私が大学生の頃には実家の冷戦は終結し、和やかな空気にはなっていたが、それでも私は「実家」に特別な愛着を持っていたわけではない。
ところがどっこい、関東での一人暮らしでは、実家が恋しくてたまらなかった。
特に社会人2年目の冬は、しょっちゅう家族にラインをし、「帰りたい」「みんなでご飯を食べたい」とよく泣いていたものだ。
仕事や人間関係のストレスが溜まっていたのだ。
当時は職場の最寄り駅で一回戻してから出勤していたし、生理もよく止まっていた。
その時の仕事は土日出勤のため、基本的に平日休みで、連休はほぼなかった。
しかし、ちょっとでも休みができようものなら、私はすぐ実家に帰った。
親は、私が帰る日には有給を取ってくれた。
いつもより料理を張り切る母。
色んなところを連れ出そうとしてくれる父。
ある冬の日に、水炊きの鍋をつつきながら
「実家に帰りたい」
と話したら、「帰っておいで」と言ってくれた。
そして2020年の春に、私は仕事を辞めて、大阪の実家に戻ったのだった。
そんなこんなで実家に戻った私は、親からの惜しみない愛情を知ることとなる。
母はいつもお弁当を作ってくれる。
食器洗いや洗濯物などを手伝うと、必ず、ありがとうと言ってくれる。
私が見た面白かったYouTubeの動画を伝えると、ほとんど見てくれる。
面白かったものとか、感動したものとか、日々の話を聞いてくれる。
私が納豆大好きなもので、「今日の晩御飯何?」と聞くと、「なっとう〜♪♬」とテンション高めに教えてくれる
父は私を色んな所に連れ出してくれる。
インスタを使いこなす父は、私と愛犬の写真をよく投稿する。
関東出張の際、私がかつて住んでいた地域を通った時には、必ず写真や動画を撮って送ってくれる。
父は知り合いに、嬉々として私のことを紹介する。
「気圧で頭が痛いわ」と言えば、
湯船に有馬温泉の入浴剤を入れてるから、さあ有馬温泉に行っておいで!!!と言ってくれる。
ふとした瞬間に、自分を最優先にしてくれていることに気がつく。
それでも、個人的な都合には介入しすぎず、ちょうど良い距離感で接してくれる。
「いつかはまた家を出る」
と言った時にも、優しく受け入れてくれた。
今の家族との距離感は本当に心地よい。
愛されてる、大切にしてもらっていると、心の奥底からじんわり感じる。
でも、ちょうどよく、距離感をあけてもらってる心地よさ。
私がやっている、ちょっとアレなバイトのことはもちろん秘密にしてるが、そういったことも全く詮索して来ない、ありがたさ。
介入しすぎず、でも、ちゃんと見守ってくれている。
これが、愛以外に何と言うのだろうか?
この、じんわりとした暖かさを感じられるようになってから、
「近くにいることが愛ではない」
と気がつくことが出来た。
近い距離にいたり、いつも連絡を取り合うことが、愛しているというわけではない。
離れていてもずっと想っていて、困ったことがあれば必ず助ける。相手が不快に思うところまでは踏み込まないように意識する。
踏み込んでしまったら、反省する。
これこそが、愛ではないか。
私はやっと自分が、承認欲求のための恋愛をしていることに気がついた。
近い距離で自分のことを何でもわかってくれる、受け入れてくれる人を探すための恋愛ばかりしていた。
でも、そうじゃなくて、離れていたって想い合えるのが愛なのだろう。
相手の考えてることが100%わからなくても、ちょっとムッと思うところはあれど、それでも「その人だからOK」と思える。
家族って、本当に宝物だ。
私は実家に戻り、改めてこのことに気がつくことができた。
今、本当に実家に戻れたこと、受け入れてくれた家族に感謝している。
距離感って、むずかしいよね。
私は今回たまたま実家に戻れて、愛情の形に気が付けたが、そうはいかない家庭だってたくさんあるはずだ。
近づきたいけど、近づいて拒絶されるのが怖い。だって、その人は親程の絶対的な愛情をくれる存在ではないから。
仕方ない。合わないことだってある。
自分の求める距離感も、他の人の求める距離感も、みんなを尊重したいが、出来ない時だってきっとあるし、手探りで失敗してしまうこともある。
でも、それでも誰かと愛情のある関係を築いていけるように、いっぱい失敗しながらも、人と関わっていくしかない。