20200109 故郷の味
就業時刻は過ぎて22時、僕は事業所傍の暗がりに立ち竦んでいた。寒々の空の下で、さめざめ泣きそうになる程に風は冷たい。僕が煙草に火を点けると、そいつは石油ストーブになり、洋燈の代わりをして、切れたニコチンを補給する。現代において、こいつはスイスアーミーナイフより役立つに違いないと考えた。ダニエル・ラドクリフの水死体には敵わない。あいつは放屁で海を渡ってみせた。
一服を済ませた僕を猛烈な食い気が襲い、凄絶な惨敗を喫した。友人を、「この後……どうだい?」なんて意味ありげな文句で誘致をすると、「……奇遇だね」なんて含みのある応答が返ってくる。僕らは贔屓の台湾飯店での夕餉を具に決定した。確定までは瞬く間もなかった。目と目で通じ合うのだ。言葉は要らない。MUGO・んで十分だった。
件の台湾飯店には一月近く足を踏み入れていなかった。久闊を叙し、新年の挨拶をせねばなるまい。旧暦での正月はまだのようだけれど、大日本国に住う以上こちらの文化に合わせていただく。そこの看板淑女とは昵懇で莫逆の仲である。彼女を僕の二人目の母と呼んでも過言ではないだろう。台湾は心の故郷だ。一度も訪れたことはないが。
そこで食らう「じゃがいもの細切り炒め」は風味絶佳で、欠かすことができない。あまりにも注文し過ぎるものだから、第二の母は、「今日ハ、芋食ベル?」と着席するや否や僕に尋ねるのが常だった。彼女は来店した僕らを目に止めると、「イラッシャーイ」と柔和な笑顔で手を振った。
「久しぶり、明けましておめでとう」と、僕が言う。
「オメデトー! 今年モ、ヨロシクネ! 芋食ベル?」と、笑いながら母は言った。
例日通り、「芋」に併せてレタス炒飯を所望した。それから間もなく届いたレタス炒飯は、「れたす大盛リネ!」の言葉に違わず、殆ど真緑だった。
いつまでも変わることのない美食に、ヴェルタースオリジナルと同じくらいの安心を噛み締めた。野口英世ひとりで愉悦を味わえる「ちょい飲みセット」も乙なものだ。次に訪れたら所望せねばなるまい。
腹ぎしになった僕らは、煙草で口腔の油を胃袋まで綺麗さっぱりと洗い流すと席を立った。
「ご馳走様」と、僕。
「アリガトゴザイマシター! マタ来テネ!」と、台湾の母。
僕は、「バイバイ」と彼女へ手を振り、店を立ち去った。
外灯の少ない人口河川沿いの道路には風がよく通る。外套の隙間から滑り入る冷気は、折角得た熱量を奪い去った。
故郷の味が既に恋しい。