死ってエンタメ
そんなわけはないのだけど、「死」は昨今、
いや、ずっとか、エンタメ化されている気がする
生まれた分だけ死があるのと同時に
命の分だけ、感性がある
よく死についてふと考えてしまうのだけど
(これは死にたいという意味ではなく)
「◯◯が死んだって」
「◯◯は自殺した」
「◯◯病気だったみたい」
感想や報告とはまた違った、
「死」に関する言葉を聞いた時
心の底を冷たいスプーンで剥がすように、
ぬるりと掬われたような気持ちになる
芸能でも自分のいる世間でも
死というものは想像以上に広まるのが早い
エンタメって言い方酷いのかな、
私は思っていなくても世の中はそうでしょ
じゃないとそんなに話盛り上がらないでしょ
私は話したくないよ人の死、なんか嫌
大事な人がいなくなった時の「死」と
顔見知りがいなくなった時の「死」、
会話の質量に差を感じちゃうから嫌なのかも
なんとなく死んだらどこに行くのかなと
思うこともあったけど無になるのかなって
大人になるほど思うようになってきた
それか、またどこかから同じ人生を繰り返すか。
死ぬとか、死にたいとか、死に方とか、
若い時調べてしまってたあの時間は何だったのか
死んだからその先解放されるとは限らないし
実は尋常じゃないほどにキツい可能性もある、死後
どうにでもなあれ、とおもう日々を過ごして
どうにかなんとかなってしまった経験を重ねて
大人になって行ってるんだろうな
「図太くなっていくからね」と
言われた言葉信じて生きてきてるのだけど
年齢とともに心が鈍感になっているのではないかと
じんわり思ったりした、1:13。
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