夜勤前の電車内

重い足取りでバイト先に向かう22時半。
楽しかった飲み会終わりで向かう夜勤の"嫌"を初めて感じている。
夜勤をはじめるまではこんなに辛い気持ちになったことがなかったな、と思うと同時に、私が居なくなったあとも飲み会が続くのであれば、私が失言していたとしてもあまりに気留められないのかという安心感もある。

同期のライブがあった。
同期と言っても実質は半年ほど後輩なのだが、その辺はあまり言及しなくてもいいだろう。

私は周囲の人間に比べて劣等感というものを感じやすい体質らしく、今日のこのライブにおいてもそもそもは手伝いで呼ばれていたことから"蚊帳の外"である自覚はかなりあった。
が、前日唐突に「時間的な問題でネタを1本披露して欲しい」とのことだったので、断る理由もなく受け入れた。
ネタ自体は悪くなかったと思うし、そのライブが第一回目ということもあってかなり探り探りなものだったが、「面白かった」というより「楽しいライブだったな」と思えるような出来だったと思う。

ライブの終わりで軽くお酒を飲もうと誘われ、夜勤までならと了承した。
ライブよりもこちらでの出来事が私的には印象強い。


自分のことをあまり好きでは無いと思っていた同期から「君はさ、ちょっと前まで面白くないしだれる発言ばかりしていたけど、今日はすごくちょうどよくてありがたかったよ」と言われた。
それに同調する形で「君がいて助かった」「あれは良かった」と褒められていく。
すごく、すごく嬉しかった。
恥ずかしくて変な言い訳をしてしまったけれど、ほんとに泣いてしまうほど嬉しかった。
自己肯定感と自己評価は違うもので、私は前者に全振りしてしまったお陰で後者があまりにも低い。人と比べては落ち込み、全てを投げ出すほどに。
だが今日は。今日だけは。私は間違いなく、対面で、私を、褒めて貰えた。

嬉しい、という気持ち。
それに対抗するように必要の無い感情、疑心暗鬼が出てくる。
この場だからそう言うしかないのだろうか。
私が帰ったあとに「でもさあ」と嫌な事を言われているかもしれない。
心の底ではそんなこと思っていないのでは?

悔しい。
なぜ私は人の好意を真っ直ぐ受け入れることが出来ないのだろう。
こんなにも嬉しいのに、嬉しいと思ってしまうのはお門違いなんじゃないかと考えてしまう。
こういう時、自分が本当に嫌になる。でも今日だけは、嬉しい気持ちと相殺してもいいかなと、少しだけ思った。


この数週間、本当に色々あった。
だがそんなこと一旦全て忘れてもいいんじゃないかと思ってしまう程に、嬉しかった。
私って、お笑い好きなんだなって。ちゃんと確認できた。

何が私を褒められる程に成長させたのだろう。
わからない。でもなんだか、まだ私はこうやってひねくれてても良いんじゃないか?と思った。
ひねくれているからこそ、向上心は削がれたりしないし、競争によって伸びた部分もあるかもれしないから。

ひねくれてるならひねくれてる也にプライドを捨てられるし、何でもかんでもやってみようと思えた。「どうせ99%は売れない芸人なんだったら、辞める時後悔なく辞めたいよね」と言っていた同期は貪欲で、確かに挑戦心の強いやつだった。
先輩との繋がりばかりを気にしていたが、同期ってこんなにも大切にしなければならないのかと思った。私は、同期という存在がとても好きになってしまった。


兎に角、この夜勤に行くまでの電車の中で今日の気持ちを書き綴っておこうと思い殴り打ち(殴り書きのインターネット版)をした訳だが、きっと私は今後この嬉しさを忘れてまた途方に暮れる日々に戻っていくだろうなとも感じる。

でも、それでいいんじゃない?
自分の言動で落ち込めるというからには、自分への反省・改善点が溢れているということかもしれないから。


ああ、夜勤面倒臭いなあ。
あと、すごくいい日だったけど、飲み会代5000円はちゃんと高いよなあ。

でもまあなんか。
今日も明日も、また頑張ろう。

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