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【紀行】入鹿明神社(旧沖美町)

嘉慶元年(1387年)藤右馬守忠正が創建したといわれ、ご祭神は海の神(表津綿津見神ほか二柱)です。

これについて「その昔鹿などを射て暮らす善久という人がいて、或る夜老翁が夢枕に現れ、『この沖に頭に榊葉をいただき幣帛をつけた鹿が上がる。これは、筑前(福岡県)入鹿大明神の分身なり』」と告げます。

夢からさめた善久が沖に出てみると、一匹の鹿が浜辺に身震いして立ち、その背に白木の弓を肩に横たえた天人が降りてきて。『ここに社を建てて入鹿明神を崇めよ、我は本地大日如来なり』と、告げた。と云うような伝説があります。
《 from 現地掲示板 》

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海外神社についての論文だか著作だかに目を通したことがあり。

南洋…サイパンとかパラオが日本の統治下にあったとき、こういう植生とのロケーションなのかなぁ…と思ったことがあった。まぁ、でも神道は基本自然崇拝から端を発してるので、見た目アリって云えばアリか。

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「能美島誌」には入鹿明神社のご神体は1寸8分の金の仏像であり。その仏像をある日子供が持ち出して、海に浸けた。するとたちどころに子供は歩けなくなり…息を引き取った。という説話も有るそうな。

日に焼けた掲示板。以前はここまでの判読不能具合ではなかったんだけどなぁ…と、思わせるもので。やがては読むことも出来なくなっちゃうのかねぇ。

今はかろうじて読めるのでUPできたけど、地元教育委員会の方、掲示板再建、宜しくお願い致します。

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Gopro絵…とひそかに名付けておりますが。広角の歪曲…ここまでくると潔い。出目金レンズ(超広角)つけて撮るより、ポケットからの一発でこれなら…レンズ交換の手間暇いらず、何も言うことはございません。

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入鹿明神社の右脇手が一時期荒れてて。(平成20年初頭)事業所ゴミにコンパネが放棄され。そちらにはスプレーの落書きやら、ありましたね。誰ともワカラナイ方が生活をしておられたのかしらん。。

近寄りがたい雰囲気になってたのを覚えておりますが。今はキレイに一掃されてました。(^^)

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10月なんですけどね…💦 日差しは夏。

虚弱なワタクシ。「バイクで来なくてつくづく良かった」と、胸をなで下ろす昼下がりでございます。