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巡察番長
雲霓橋(うんげいきょう)から石段を降りて左手に進めば、市中随一「まんが図書館」を経て。広島現代美術館の威容が見えてきます。
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まんが図書館横の大きな広場。かつて明治帝が広島を臨時帝都として、日清戦争の折から政務をお取りになる議事堂側、執務施設「御便殿」を、戦後(日清戦争後)移築した建物がありました。
やがて、大東亜戦争末期に原爆投下。程なくして、すぐに終戦となる中。比治山移築の御便殿は爆風に曝され、見る影もなく荒れ果てていたところ。進駐軍に併せて原子爆弾の被害状況を医学的に研究するための施設が同地区南端に建てられることになりました。
米国主導のもと、地元自治体に建築指示が発令。作業に雇われたのは、戦後まもなく復員をしてきた元兵士達だといいます。彼らはまぎれもない、広島市民の皆さんでした。
原爆の傷跡生々しい、比治山山上には大々的に重機が投入され。国営陸軍墓地として整備されていた御便殿含む御墓所一帯を、文字通り蹂躙するがごとき仕業にて。墓碑を寄せ集めては、山上より急峻な崖下に遺棄するという所業をおこなっていたといいます。
英霊の碑。
折りしも大戦末期。国営陸軍墓地の合葬プランが企図され、墓碑が集積埋納され始めた頃の原爆投下・終戦でもあったことから。遺棄されず4500余基の墓碑が後に掘出された、という経緯もあります。
しかしながら、1000基に及ぶ墓碑は不明のままであることから。
かつて徴兵され、敗戦となって後の糊口を凌ぐために、元兵士たちの碑に対して所業が人口に膾炙する結果となります。
ABCC建設造成のため。数多の墓碑がかつての黄幡谷と呼ばれた谷合から、崖下に蹴り落とされる光景を、復興された同墓所管理の古老より伺い聞いた記憶があります。
胸中去来するのは、帝国時代に上官から受けた暴行への腹いせか。世界初の原子爆弾が投下された後の街で。食うや食わずの兵隊あがりな身の上の不遇、呪いながらの仕業だったのか。
いずれ悲しき因果応報です。
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事態を憂いた被葬者親族ならびに地元在野の一般民間人からの提唱を受け。散逸遺棄された墓石から原型を止めるものを掘り起こして墨入れを施し。一所に集め、旧陸軍墓地として祀り直して、現在のABCC脇手に設けられた御墓所になりました。(昭和35年再建・再奉斎)
幾星霜を経て。山のふもとには市民の生活があり。身近な憩いの場所として、当該山上は散策の人。樹木を絵に描くヒト。小さなお子さんたちを連れて遊ばせるお母さんたち。そういう人々がのどかに過ごす場所となっております。
思うに、ここが桜の名所となったのは。かつて国のためや家族のために、尊い命を捧げた人々への、英霊鎮魂の意味合いもあったのかなぁ…などと考えます。九段にも桜はありますが。ここにも桜は沢山咲きます。
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また。
野良猫も多く暮らしており。夜間、車両の立ち入りも規制されることから、身の危険を感じることも少ないのかね。割合に猫に遭遇することが多いのです。
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番長といっても差し支えない、堂々とした体躯のこの方とは。雲霓橋手前の石段を降り、元首相の銅像台座前で一休みした後に接遇したのでございます。
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振り向きざま、鋭い一瞥をくれる番長殿。
「じゅ、巡察ご苦労様です、番長」とお声をかけてから、車に乗り込む。
すまんね。
カリカリもチュールもツナ缶も本日は持参はしておりませぬゆえ。また、今度。
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「何もないんなら、来んなっ」と、言いたげな顔で。どこへともなく番長はナワバリ巡察の続きに戻られました。(合掌)
さて。
由緒来歴を紐解けば、ここも相当な心霊スポットということになるんでしょうけど。その実、抱ける印象。悲しい歴史を悼みつつ、樹間を漂う優しい風が心地よい、憩いの場所になっているのです。
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