世界線
Youtubeにて、ほがら朗読堂さんの番組。
『知っていようと知っていまいと』を聞きながら…寝るわけですけど。寝物語に聞いているので、そのハナシがどの回だったか思い出せないのが玉にキズ。今日はそんなハナシの中で語られたのがお題の「世界線」。
とある予言者がおりまして。
その予言、1960年代だか50年代だかまではビシっと当たってたワケです。ところがある時を境に…だんだんズレて来る。例えば予言した事がズレて実際に起こったり。時としてまったく見当違いの予言になったり。
とうとう、全然当たらなくなるんです。
或る人が予言者にその理由を問うと…予言者はこう答えたそうです。
『あの時から、世界は私の知る(予言できる)世界ではなくなったということです』との事。
60年代…ならキューバ危機。50年代なら…なんだろ。朝鮮戦争?世界的に大きな舵取りを迫られる選択の瞬間。
TYPE-AなのかTYPE-Bなのか。選んだ先にある未来は、世界ごと大きな変化を遂げ。本来あるべき出来事が起きず、起きてはならない出来事が起きるとしたら。思いつくところで何があるかしらん。
東北の震災。
911の貿易センタービル。。辺りかしらん。
これら規模の大小は別として、現象とその影響が、相当数の人々と社会や国家、世界的な規模での変動を起こした事象だと思えます。
人間のチカラや能力では揺るがせにできない出来事が、世界全体の運命を少しずつ変えてしまうことで。色んな影響が、歴史的事件にも波及するとしたら。さしずめ、昨年からの流行性疾患なんぞも大きく世界線を動かした…ってことになる気がするわけです。
時制(もし、こっちにしてたらそうはならなかった)不可逆な出来事で、世界全体がたどる事象を「世界線」と規定するなら。規模を小さくして、世界は変わらなくても、不可逆な事象が原因で。個人的にたどる結果が変わるのは「個人線」とか云わないのかしらん。(笑)
バタフライ・エフェクトは、あくまで個人や地域的な出来事の影響力が世界全体に及ぶことを指し示してるのよね。(それゆえドラマやエンターテイメントの大きな主題にして採り上げられます)
ニンゲン半世紀もやってると…。
結構「(仮称)個人線」を動かした選択や出来事。いくつか思い浮かべることができます。「する」「しない」の選択で、「これ、ずいぶんこれからのコト。変わっちゃうんだろーなぁ」という瞬間のことね。
たちの悪いのは。まさに「あ、(仮称)個人線動いたな…」と、自覚できる選択の瞬間がそうそうない所です。大半が、その時は大した選択だと思ってない。もしくは「とーぜん、こっち選ぶでしょーよ」みたいな事でね。
さて。「世界線が変わったのだ…」と云った、予言の外れる予言者はどうなったんでしょう。何かを失うワケでもなく、ごくごく普通にタダの人になるだけだったのかしらん。
いずれにしても、もう故人でしょうな。。(合掌)