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【読録】小桜姫物語
出張時。
新幹線でiphonをいじくっていたら…青空文庫を入れていた事を思い出した。
「何でも良いから東京まで時間潰せたら御の字」と思いつつ。
著者名検索『あ』の欄を眺める。浅野和三郎という著者名。『小桜姫物語(現代仮名遣い)』とあるのでそれを無作為に選ぶ。
本との出合いとは…かくもセレンディピティなもの。
行き当たりばったりで出会えるのは、まさに巡り合わせだと思うのです。行き当たりばったり…皆さんも大事にして下さい。
著者、浅野和三郎さんは元々英文学者、というより翻訳者。横須賀に海軍兵学校があったときの教官でした(後任は芥川龍之介さんだったりします)。
その浅野先生。お子さんの疾病罹患で、いわゆる霊能者(拝み屋ですな)の指示に従って祈念・祈祷を受けたらお子さんの病気が快方に向かったことを契機に、本業と並行して心霊研究に没頭します。
ここで、すこし脇道に話は逸れます。(口絵:七合目までとばしてもらっても問題ありません)
明治年間、それまでの面妖な拝み屋家業、修験者といった人々は、西洋の文物を導入して先進国の仲間入りを命題としていた国家的な宗教政策から「正しくない宗教」として埒外に置かれます。
しかし、西洋にもスピリチュアルに関わるアプローチは存在し。我が国に導入される瞬間から「心霊科学」という分野として受け容れられます。
「心霊」という単語、明治期の西洋文化流入からしきりと使われるんですよね。科学とセットで「心霊科学」。こういえば、それまでの怨霊だの生き霊だのの憑きもの落としの類から一線を画した感がしたのでしょうか。
浅野先生、英語に通じる能力を生かし。西洋における「心霊科学」文献の翻訳に勤しみます。
明治期以降、キリスト教信仰の解禁など。信教の自由は保障するものの…国が宗教の管理に乗り出します。
内務省社寺局を通じ、津和野藩学統の大国隆正や福羽美静他の起用で、大教宣布運動を展開。神社を国家の宗祠とする上で、神社は個別の信仰を布教することが憚られ。
伊勢・出雲を始めとして教派神道の特立(教団設立)が神社の個別信仰延命措置としてとられるのですが…
裏を返せば、教団として設立できない信仰に関しては正規・本道のものではないという主観を生み出します。
枠にはめて管理するという社会的な施策と、信仰の形というものはまた別で。
明治年間。民間(大都会から村落地域の因襲・迷信・禁忌)においてはまだまだ、というか、ごく普通に易占を生業とする人もおりますし。祝詞も上げればお経も唱える類の「拝み屋」さんも存在します。
信仰の系譜が諸般ある中。浅野先生は心霊に関する実験的なアプローチを教義の中に持つ大本教(「おほもと」と呼称していた時期もありますがここでは便宜的に大本教とします)に関わりを強めていきます。
綾部・亀岡を本拠とする大本教は草莽の信仰教団として正規に認可はされない段階から多くの熱狂的な信徒を集めて行きます。
教派神道や神社が、オカルトとは教義として一線を画する(部分的な内包はあるものの)のに対して大本教は「口寄せ」や除霊、「神おろし」に対して意欲的に関わって行きます。
この部分が心霊科学の説く「霊」に関する問題の切り口に他教他宗とは異なり。開かれた信仰団体というイメージに結びついたのでしょう。
「守護霊」とか「霊言」「降霊」という方法概念を事象の読み解き方に取り入れることは一面に於いては有為ですが、他方危険な発想・信仰であるとも云えます。
例えば…。
「ワタシに降りてきたアマテラスさまは…」と述べる人間がいても、それを認めなければならないわけです。
でも、上達者が下位の者に「オマエに降りてきたアマテラス」と「ワタシに降りてきたアマテラス」は同じものなのか違うものなのか。語った内容は違ってていいのか、違っているのはおかしいのか。という問題を生み出します。
アマテラスが出てくるからおかしいことになるんでしょうな。
これを「龍神」とか「不動様」とか「艮の金神」等。特異限定されない対象にしとけば、問題ないんでしょうけど。
ともあれ。教団内のヒエラルキーが、降神者の言説の正誤に反映されるアンビバレンツを、信仰や宗教的な有無を言わせぬ同調圧力で抑えつける様。
傍目にはインチキ臭く映るでしょうし。「あぁ、だから正規の宗教団体として認められないのか」といった価値基準にカテゴライズされてしまいます。
教義神学の中にそうした矛盾を内包しつつ、「恐怖預言(○月○日に世界は滅ぶ…的な)」など耳目を引きつける預言や霊言というものが、沢山のヒトを集める目的で宣揚され。
大本教の信仰団体としての行き過ぎは、後々国家による二度の弾圧素因として醸成されて行くのですが…。それはまた別のお話。
浅野先生に話は戻ります。
浅野先生はヒトに降霊してくる、ヒトならぬモノの語る此の世ではない世界の話。「霊界」の諸相を尋ね、記録するスタイルに惹かれて大本教に入信します。
大本教では教学主幹としての活動を経、大正期に行われた初回の弾圧以降。大本教離脱されます。(自分が関わったのが社会的に「是」とされない教団なのだ、という自覚から)
ただ、心霊科学に関しての希求すべき命題。
「此の世ならぬ世界の仕組みと、霊界と顕界における正しいあり方」を自分なりの実証的方法で研究し続けます。
本作「小桜姫」とは浅野和三郎氏の妻、多慶子女史の守護霊です。
大本教への関わりから、霊言(トランストーク)の手法を引き続き心霊研究の一環として続ける中。
妻、浅野多慶子女史における降霊対象として、小桜姫が語る「此の世ならぬ」あの世の話をとりまとめたのが、本作ということになります。
小桜姫が守護霊となった経緯。
死後、霊性を高める為の修練と高次な神霊との結びつきを通した「霊界」の諸相。また、さらなる「神界」の存在について。小桜姫が言及する様が説き起こされていきます。
生前、夫であったヒトとあの世における再会。ヒトならぬモノの赴くべきあの世について。あるいは不幸にして生まれることなく亡くなった水子と呼ばれる魂のあの世における処遇修練。
どこかで見た、どこかで聞いた、そんな話が次々と出てきます。
浅野先生。前後して多慶子女史の次男、浅野新樹(あらき)氏(若くして逝去)も降霊対象として語る内容を著しておられます。
『新樹の通信』が昭和4年、『小桜姫物語』が昭和11年に脱稿。小桜姫を通した「あの世」観と、新樹氏の語る「あの世」は同一霊媒(多慶子女史)からのトランストーク(霊言)なので…一応統一されている感がします。
平易な文体で書かれているので…戦前の著作ではありますけど、スラスラと読めちゃうのがまたね。面白くもあります。
少しコミカルな表現手法もあるので、この辺りは浅野和三郎氏がかつて小説家を志していた…というのもあるんでしょうね。
浅野氏、この小桜姫物語を脱稿した翌年02月に急性肺炎にてご逝去でした。
読後感としては…「ヒト一人一人に結びつきのある『あの世』。ワタシからみれば『あの世』はこうなってて、別のヒトからみるとまた違う『あの世』があるということかなぁ」といったカンジでしょうか。
我々はPCなり携帯型端末なりを持って、ネットを通じて様々な情報に触れることが出来るわけですが、OSは共通でもHDDやSSDの中身に記録される画像、テキストの数々は。まるっと、同じではないわけです。(クローンとかの手法で同一にはできますが、それは技術的なこと)
そうあって欲しいものが、そのまま世界として現実になるのだとしたら。それでもままならぬ事は沢山あって。実際、私たちは夜見る夢ですら「見たい夢」を「見たい様に見る」能力を持ち合わせておりません。
それと同じく、あの世もまた我々の思う通りの世界では決してないんじゃないかという事です。
いや、仮に「あの世」があったとして…なんですよね。
『全国霊能・心霊家名鑑』のところでも出てきましたが、霊能者と呼ばれるヒトは数多世の中にはおられるわけですけど。
霊能者曰くの「あの世」。いやぁ…千差万別。「同じだな」というものがホントございません。
括れるとしたら。結局のところ、個々人が信奉する信仰だとか宗教的に説く「あの世」をこそ「あの世」と思う気持ち次第。ぐらいのものじゃなかろうか、と考えます。
余談ですが、今回の口絵…九州韓国岳からお送りしました(笑)
長文御披見お疲れ様でした。(^^)