菊理媛考
菊理媛が白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山比咩神社の祭神については、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が『扶桑明月集』の中で書いたのが最初と言われている。
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菊理媛が神話に顕れるのは日本書紀、注釈一文中のみ。
黄泉国をおとなう(訪れる)伊弉諾尊が妻伊弉冉の変わり果てた姿を見。黄泉国より顕界との境にまで逃げ果せる。そして、千曳岩を両界の境に押し立ててのち、神問いの場面。
《現代語訳》
伊弉冉尊と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
このとき泉守道者(よもつもりみちびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
《 from Wikipedia 》
白山に登る上で、少しくお勉強をした。
白山比咩神社ご祭神は白山比咩大神。かつては伊弉諾・伊弉冉を主祭神としたものが白山比咩大神を主神とする様になったのは白山をご神体としてお祀りする関係上、修験道との関わりが外せない。
養老元年(717年)修験行者「泰澄」により白山は修行霊場として開山する。当節、十一面観音菩薩が白山権現(白山媛大神)として垂迹顕現したものとした。後に、白山妙理大権現とも呼ばれる様になる上から、全国の白山権現社への奉斎が行われる。
菊理媛は古事記・日本書紀本文には現れず、先述、日本書紀のト書き(注釈)一文に曰くとしてのみ現れる。
参詣前。
白山祭神は白山比咩(菊理媛)であること。伊弉諾に耳打ちをしたことで伊弉諾は菊理媛をほめ、ヨモツヒラサカを後にしたということを知識として知ってはいた。
ここでイザナギに菊理媛がなんと話したものか。。気になるよねぇ。
(1)
「PS5の抽選…当たったらしいで」
(2)
「LINEのパスコード、伊弉冉に教えたのはウチやねん」
(3)
「もう帰ろ。このままやと、何もかもを失う事になるんやで」
そんなところか。。(こら)
菊理媛には一説、伊弉諾・伊弉冉二神の間に生成した神であるというものもある。広い世界天地と海洋その中に於いて葦原中津国を生み成し給うた事績から、数多ある神の内の一柱という位置づけは…「あぁそうなの?」と思えなくもない。
そこからいけばこういう感じかねぇ…。
【 Model answer 】
「父さま。早く帰りましょう。父様を大好きな様に母様を大好きな皆が、父様を待っております(現代語訳)」
うへぇ…鈴木三重吉みてぇ。(笑)
>by 古事記物語
菊理媛は漫画『つぐもも(作・浜田よしかづ)』にも「くくり」として幼少女神のテイで現れます。漫画は偉大。親しみやすさが倍加します。(笑)漫画のストーリー・プロットはしっかりしており、十分楽しめました。
ただ、アレ(「つぐもも」のくくり)とアレ(白山比咩大神)が同じ…。とは思えないけどねぇ。
さて。
不信心なワタクシめども。白山比咩大神のお陰を戴いて翌日の登山は見事に雨に祟られるんですが、無事に下山できました。
白山、象意一白水星。水の星の山だけに雨三昧とは…出来過ぎの観もございますが、本日これまで。
長文、御披見感謝致します。(おじぎ)