【紀行】佛通寺(三原)
臨済宗佛通寺派の本山。山号は御許山。本尊は釈迦如来。1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。《 from Wikipedia 》
禅宗僧侶には四文字熟語みたいな開祖の名前が多い。当寺も愚中周及の開山。禅宗なので「山」が付く。こちらは御許山(おもとさん)。山名からは宇佐神宮奥宮、大元山がそのベースにあるのかと思う。
宇佐神宮は道教神託事件で、道教が天皇即位を謀(はかりごと)せんとする処を、和気清麻呂により差し止められた一件よりも…。
高木彬光先生の神津京介「邪馬台国の秘密」にて、宇佐八幡宮本殿前大石の下(?)にこそ卑弥呼の為政を裏付ける証拠があると語らせた事の方が印象に深い。
「どこにあるか分からないから…アレは良い(邪馬台国ね)」という話。
で。
佛通寺、何度か訪れるんですが、本堂に入ったことはございません。
本尊:宝冠釈迦坐像
脇侍:文殊菩薩・普賢菩薩
天井:雲龍図( 菅南山筆 )
臨済宗の中で、西日本中数少ない「本山」を名乗り、威勢を誇った佛通寺。末寺だけで3000を越えた時代もありましたが。明治年間に至るまで、その威勢も縮小。明治09年には(臨済宗)天竜寺派に属すわけです。
その後、浅野家(広島藩主家)からの援助もあり。境内堂宇の整備を経て明治38年に再び本山として天竜寺派から独立。「臨済宗佛通寺派」を称し、その本山となりました。
さて。
観光ナビによると…。「禅界随一の秘境として知られ、企業や学校等の研修の場として多くの人が訪れます。堂塔伽藍が古い杉木立に囲まれて立ち並び、特に夏の新緑、秋の紅葉の時期はたいへん素晴らしく、多くの観光客で賑わいます」
青紅葉。
京都の料亭のおっちゃんが話してたけど。「ウチら京都のもんは、観光で沢山の方がお越しになる秋の紅葉よりかは、春から夏にかけての青紅葉にネ。惹かれるんです」みたいな話。
あの話を聞いてから、人混みを避ける青紅葉派にジブンも転向したんどす。(ぷ)
実際、綺麗です。(^^)
来月終わり辺りに来ると…いや、まだ早いか。ライトアップも例年しておりましたが、例の病気のせいで今年はあるかねぇ…。期待しながら秋の紅葉を待つことと致します。(青紅葉派…ちゃうんかい!)
御披見ありがとうございました。(合掌)