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【紀行】徳佐八幡宮(山口市)
徳山東ICからR315経由のR375•R9へのスイッチを経て山口市阿東徳佐の集落に入ります。R9…ということはですね。やったことはないので分かりませんが…まーっすぐ行けば、京都まで行けちゃいます。
山口県は瀬戸内側の二号線と山陰側の九号線の両方が走っております。高速道路も中国道と山陽道が束ねられて下関に向かいます。
歴代総理大臣にも山口出身の方が多いのが、関係してるのか関係してないのか…。道路事情、山口県内はすこぶる宜しい。とりわけR375は直線が多いんですよ。列島最西端の県、充実度合いが広島と較べると、正直妬けます。
統一教会は…かんけーないですな。(苦笑)
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御朱印帳を抱え込んで神社を巡るほどの神社フリークではございません。それでも、年に一度か二度。なぜか訪れる神社というものがあり。こちら徳佐八幡宮もそういう神社の内の一宮。
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夏は青葉桜がとても美しいとは聞いておりましたが、夏に訪れるのは初めてでございます。通常は「桜」の花時期が一番の推しでもあり、売店なんかも出て夜桜見物含め、賑々しい時が参拝のピークだと思います。
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以前訪れた時も、しだれ桜七分咲きの頃であったかと…うろ覚え。
当時、周防の豪族であった大内満盛公が寿永元年(1182年)08月17日。本宮、宇佐八幡宮から丸山(阿東町徳佐丸山地区)に勧請。
中殿に八幡大神(応神天皇)、右殿に宗像三神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)、左殿に祓神(瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売)と医薬神を奉鎮。
中世火災により小南(阿東町徳佐小南地区)に遷座。延宝七年(1679年)社殿全焼。翌年、当処に遷座し社殿造営。天明八年(1788年)再改築造営。過去二度の被災に遭うも御神像は焼けず今に至り御鎮座されています。
毛利氏歴代藩主の崇敬、殊の外厚く。社殿の造営、御神輿の奉納をその都度受けております(神輿三体現存)
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由緒書きにある「大内満盛 公」とは、
周防大内氏の第18代当主先代の「大内弘盛」の子。「大内介」を称する。満盛以後は「周防権介」を称する。建永元年(1206年)に山口白石の宝珠山瑞雲寺を創建した。これが後年に激しくなる大内家の山口盆地への進出の端緒となった。満盛の死後、家督は子の弘成が継いだ。
「守」・「介」・「丞」・「主典」と歴史の時間には習った記憶がよみがえりますが…。満盛の時までは「大内介」で、満盛後代は「周防権介(すおうごんのすけ)」へと称号を一本化の由。
父親である大内弘盛の頃迄は在庁官人ゆえに、京都に居られたわけです。
大内弘盛公。平氏討伐に際しては「源 範頼」に協力して、周防地域から平氏勢力を駆逐する為の前哨地提供などの労を執ったとあります。子どもであった満盛公の身代襲職以降、京都→周防地区への移動があったのかもしれません。
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例えば、手紙やら官符やら発書・発給する時。中央なら「大内の某」でも通りますが、現場に着任して治政を敷くとなれば「周防の某」となる方が自然。
まぁ、そうやって「土豪化」してゆくわけです。(守護大名への端緒…とも云えますがね)
大正九年(1920年)県社に列格。参道(370m)のしだれ桜は、文政八年(1825年)の植樹で大阪より各種を取り寄せた樹々で、春の開花時・夏季の深緑・冬の樹氷は美観で人々を魅了します。
昭和48年(1973年)名勝徳佐桜として阿東町教育委員会より文化財に指定。旧国道九号参道入り口に往年、文部省指定の名勝天然記念物の石碑があります。
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明治期の社格制定から「県社」扱いとなった徳佐八幡宮。
今では地元の皆さんから尊崇・愛される氏神様としてのお役目と…年に一度、桜の時期に全県下・近隣諸地域からのお花見場所として脚光を浴びる場所となっております。
焼き鳥のパック、買ったんですよね前回。これが美味いのなんの…。流行性疾患の騒擾も収まり、来年はマスクなしで赴きたいものです。
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