【紀行】古鷹山(江田島)
古鷹山の由来は、その昔一葉の小舟が荒れくるう暴風雨のため難破寸前にせまった時、いづこよりか一羽の大鷹があらわれ、波静かな入江に導きたる後、この山中に姿を消したので、この鷹の霊を祭るため山上の大松の下に一宇の堂を建立し、鷹宮大明神と称し、旧暦09月19日には盛大な祭りが行われていた(現在は八幡宮に合併)その祭神に因んで古鷹山という。
《 from 現地掲示板》
祖母山に登る前、体力調整の為に古鷹山に登ることにした。
呉鎮守府が隣にある関係上…明治02年築地に置かれた海軍操練所が名称変更を経て、海軍兵学校として江田島に移動したのが明治21年。以降、海軍におけるエリート養成の学校として。昭和20年の戦後、しばらくしてから海上自衛隊の術科学校として現今に至る。
教育参考館の説明をしていただいた折から、講師の方。背面の古鷹山を眺めつつ『学校からあの山頂迄、生徒諸君(海上自衛隊術科学校)約一時間で登って下りてきます』と語っておられた。
片道どうやっても一時間少々はかかる道のり。
なるべく軽装で山道を駆け抜けるトレイル・ランニングは、ずいぶん昔から行われていたことをうかがい知るわけです。
山稜、稜線にでてからは視界が広がります。目立つから…というわけではないんですが、海軍兵学校跡・術科学校にどうしても目線は移動するのです。
校庭中央に設置されているのは先頃訪れた山口県屋代大島東端にある『陸奥記念館』にてふれられていた、戦艦陸奥の復元砲塔です
稜線を歩いては、後ろを振り返り瀬戸の島々を眺めます。
ロープや鎖の設置された岩場を経て、山頂に至るわけですが。この日は先客がおられ…山頂向こう側でyoutube向けとおぼしき動画の撮影中(説明録画の途中で声が聞こえてまいります)
旗持参…なんちゅーか。。いや、ご苦労様っす。
山頂には冒頭説明掲示板の横に、五省訓の掲示板もありました。
【五省訓の由来】
東郷平八郎元帥の謹書を標榜し昭和07年から旧海軍兵学校・海上自衛隊の生徒は自習が終わると五省を黙読し一日の行為を反省しています
《 from 山頂掲示板》
CV:榊原良子で朗読していただくと…艦これファンの皆さんは大喜び。(笑)
この日はNikonのZ7とアクションカムKeymission80での山行でした。思えばZ7の利用頻度が、手持ちのカメラ(入替分含め)では最も少なかったんじゃなかったでしょうか。
鳴り物入りで発売されたZ7。キットでついてきた24-70mm F4はほとんど使わずFTZ経由の28-300mmか、後に発売された24-200mmでの撮影が多かった様に思います。
肥大化するミラーレス用レンズの傾向を鑑みるに…NikonのZシリーズは機能性もさることながらOLYMPUS機材にイチバン近い位置にあると思います。
取り戻してまでNikonのZシリーズを極める気持ちにはなれないのですけど。やっぱりきちんとした物作りに於いて一筋通ったものを感じるカメラメーカーというイメージ。今でも健在です。
でも。Zfc…気になるんだよねぇ。(笑)