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Parallels のばら

光村図書の昭和64年度版(H01~H03)小学六年生用の教科書に採択された、小川未明の『のばら』。

これ。昭和の50年代いずれかの教科書に採択されていて(光村図書では該当年のものにはみあたらず)。あれは小学六年の時のものだったのかどうか…。

そうであったか、なかったか。ひょっとして、どこかのタイミングでパラレルワールドを越えていたのかも。(ないな)いずれかのタイミングでこれを教科書で読んだ記憶が蘇るのです。

小学校の国語の時間。教壇ですすめられる授業なんぞ上の空、さっさと読み進めるのが常。そんな中、40年強経ってから。バラ園訪れて生け垣のバラを眺めていると…その授業中内職で読んだ「のばら」が思い浮かぶんです。

大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合あっていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。
ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守まもっていました。
大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。

《 小川未明 作『のばら』青空文庫より 》

二人は、石碑の建っている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見みられなかったのです。

はじめ、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。

二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。

ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。

その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞きこえました。

「どれ、もう起きようか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ出ると、はたして、太陽は木のこずえの上に元気よく輝いていました。

二人は、岩間からわき出る清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。

「やあ、おはよう。いい天気でございますな。」

「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持がせいせいします。」

二人は、そこでこんな立ち話をしました。たがいに、頭を上あげて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを見る度に心に与えるものです。

青年は最初、将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向かい合って将棋を差していました。

初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。
この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。

二人は一生懸命で、将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。

「やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん。」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。

青年は、また勝目があるのでうれしそうな顔つきをして、一生懸命に目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。

小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送ってきました。

冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方を恋しがりました。その方には、せがれや、孫が住すんでいました。「早く、暇をもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。

「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。

やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮らしていた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。

「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持もってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と、老人はいいました。

これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方ほうで開かれています。私は、そこへいって戦います。」と、青年はいい残して、去ってしまいました。

国境には、ただ一人老人だけが残されました。

青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送おくりました。野ばらの花が咲さいて、みつばちは、日が上がると、暮れるころまで群がっています。

いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞きこえなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人はその日から、青年の身の上を案じていました。

日はこうしてたちました。

ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終ったということを告げました。

老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。

そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。

見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。

それはまったく夢であったのです。

それから一月ばかりしますと、野ばらが枯れてしまいました。その年の秋、老人は南の方ほうへ暇をもらって帰りました。

『赤い蝋燭と人魚』も読んだ記憶があるんだけど(教科書で)『のばら』はおそらく、西欧の作家作品だと勝手に思い込んでいたフシあり。「小川未明じゃ、あるまい」的な。

日本の作家さんだったのね。

余談ですが。
アンデルセンやグリムの如く、基幹にある寓話や民話が存在するのかどうか考えるのは…世俗にまみれた50男のする無粋行為。夢オチで締めくくるのは上田秋声の『雨月物語』一篇にも見えてきて…。

余談さておき。
小川未明センセイ作『のばら』に見る世界観で想起されるのは…現況繰り広げられている侵奪戦争のことですな。

「まだ、やってんのか。オマエら。。」ということで。
本日ここまで。(合掌)