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【紀行】二重亀甲有神紋
《神魂神社:松江市大庭》
出雲國造の祖、天穂日命が降臨し創建したと伝えられる神社である。現在の本殿は正平元年(1346年)の再建とされ。柱からは墨書もみつかっている。現存する最古の大社造りで、国宝に指定されている。
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出雲國風土記編纂は720年と学校では習う。
島根県松江市大庭にある『神魂神社』は出雲國造の元在所。いわば、出雲国風土記が編纂された時は國造在世中の本拠地となる。ちなみに出雲国風土記編纂者は第二十五代国造、出雲臣広嶋。
天穂日命末裔が出雲國造となるわけだけど。幾代かの國造霊継神事・神火相続の神事はご当地神魂神社にて行われたことが、神社掲示板には記してある。
ので。
現今、近隣の熊野大社にて行われる國造家霊継神事がかつてはこちら神魂神社にて行われていた歴史もある…ここがミソ。
720年以降、國造は出雲大社の鎮座する出雲市大社町へと移動をする。為政者としての意宇郡郡司職よりは信仰継承の為に國造職名の継承に重きを置き。移動したという説もあるが、その真意は不明という事になっている。
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中央集権化に伴い、地方自治は氏姓制度では「國造」に任されていたモノを「国司・郡司・里長」へと律令制度に成り代わる中で変更されていく。
風土記が編纂された時代はいうなれば「國造」が「郡司」に降格補名されていった時代とも云える。「國造」が郡司にはならず、地元の神々を奉斎する…いわば宗教性を受け持つことで「國造」名を継承する運びになるのが一般的。
阿蘇國造…紀伊國造…それらもまた出雲國造と同じく著名諸社の祠職世襲をすることで命脈を保つ(宗教的な権威と並立して)ことになる。世襲を重ねる中で、心ならずもそうならなかった場所だって沢山あるんだけどね。
桜並木のある参道の果てる所。
そこがかつての國造館であったと聞かされるわけだけど。今はもう民家も建っており…当時の面影というものを求めるのには時間経ちすぎ。
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なんせ…西暦720年でしょ?
今から換算してどーなるのよ。(1302年前っす)面影を明治だか大正だか、あるいは昭和期に建てられた社家やら他人の家にもとめても、そりゃ無理ってもんです。
現存する無関係な建物から…歴史を「投射・投影」できるほど、ロマンチストではございません。
強い片思いの感情を抱いている人物が自らの一方的な感情を受け入れることができない場合に、片思いしている相手の何気ない言動や細やかな仕草の一つ一つに自分自身の愛情を「投射」してしまうことによって、相手の方が自分のことを好きになっているに違いないという錯覚を勝手に抱いてしまうようなケース。
神話の時代から奈良・平安・鎌倉・南北朝・戦国・江戸期を経て近代の波に洗われた現世の有様から、原典の時代(720年は奈良期)いざこざの理由なんて…サラい様がないでしょ。(笑)
佇まいとして…そこにある「国宝」を眺めながら。「少なくとも、この地で出雲國造の末裔が出雲国風土記を編纂させたのか」という点に、思いをはせるのみ。
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間違っても、出雲大社のある杵築の地で出雲国風土記は編纂されたわけではないということを改めて思い知る必要があるんですな。
で。
風土記の編纂された時代から顧みても…神話の時代は遙か昔のこと。まして、「其処此処にある古墳の遺跡をどう受け止めるのか」という、目線に立つと。
御朱印収集のために神社を巡るヒトにとってみれば…ソコに建ってる神社から。なんとなーく神話的なモノとか神様的なモノに思いを重ねて「ここは大事な場所なんだ」ぐらいのことを思う。
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その、「ぐらいなこと」がとても大切。
時代が後代に移る中でも、そこは大切な場所として礼拝施設が建ち、その地のみならず出雲一国はじめとする地域一円に対して大いなる神威をほどこし続けたことの意味。
言葉に出来なくても畏怖する心持ちと、尊重する姿勢があればこそ。今風に言えば、パワースポットという言葉で維持され続けております。
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旧暦、10月は全国的には神無月として。日本全国の神々が出雲の地に集まり「縁」に関わる会議をお開きになる…んですが。ご当地に建立される「神魂神社」にあっては「二重亀甲有神紋」をもつ意味。
神は常にソコにあるという意味での有神紋。(神無月であってもなくても)
あるいは…。日本全国の神々が集われる場所の祠祭者であるが故に「有神紋」を掲げてる、とか。
結局、いろんな考え方があって良いと思うのです。
今更その理由を知ることになにか意味があるのかないのか…それぐらい、神代の昔から現代は遠い。
そーいうことを(色んな考えあってヨシ)、現存する最古の大社造りとなる国宝の御本殿を眺めながら。ご祭神でもある伊邪那岐・伊邪那美両神は望んでおられるのではないかと、勝手に思う…。
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そんな。GWでも閑散とした…『神魂神社』でございます。(合掌)