言葉が通じないことで感じるストレスと言葉の重要性
今日は先日、日本語が話せるカンボジア人のガイドさんを雇って感じたことを話そうと思います。僕はこの4ヶ月くらい、基本ずっと1人で行動してきました。現地に行って、翻訳機使ってカンボジア人に伝えることしかできない。翻訳機でカンボジア語を日本語に変換できるけど正確に翻訳できないことも多々ありました。
途中で学生君と出会ったりして第三者役になってもらったりしましたが今思うとめちゃ大変なことを俺はやってたんだなーと思います。言葉が通じない事によるストレスって本当に半端じゃないです。そう思ったのは先日、日本語で僕が話してそれをカンボジア語で現地のカンボジア人にサクッと伝えてくれるガイドさんと一緒に首都の街を車でまわったからです。
もうね、めちゃラク!言葉が通じるってめちゃくちゃ大切なことなんだなと実感しました。しかも、僕がお願いしてるガイドさんはその辺の自分の知らない人に声をかけることにもめちゃ慣れてます。
彼は知らない人にサクッと声をかけて「彼は日本人で学校に行けない子どもたちに対して活動をしてるんだ、この写真の子どもたちを知らないか?」って感じで話したり伝えたりしてくれるのでそれだけで現地のカンボジア人は僕のことを信用してくれます。やっぱり第三者がいるかいないかでもこんなに変わるんだなと思いました。
先日怪しまれた回数は0です。むしろ協力してくれる人がほとんどでした。僕は今まで1人でやってたので怪しまれることが実は結構あったんです。その度にやっぱり精神的にはキツいものがありました。難しさを感じてました。中には信用してくれる人もいるんだけどガイドさんがいるだけでこんなにスムーズに仕事が進むのかってことを先日実感して本当に感動したというか、ガイドさんに感謝でしかないです。
僕がこれまでに雇った学生君は英語とカンボジア語しか話せないし学生君は知らない人に話しかけることに慣れてないので、僕が見てて思ったのは話しかける前の段階でもう負けてるよねってことが何回もあったんです。
ビクビクしたり、緊張してるとそれだけで怪しまれるので。もっとこうして欲しいって僕が思うことも英語だったらまだうまく伝えられないんですよね。そういったところにストレスを俺は感じてたんだなーって先日ガイドさんと一緒になって初めて気づいたというか。笑
で、僕が今日話したいことはここからなんですよね。国によっては日本で例えたら兵庫県、大阪府、京都府の地域ごとに言葉が違う国が世の中にはたくさん存在するんですよね。アフリカとかにあるんだけど。インドも言語が多いことで有名です。国によっては100以上の言語があってそれぞれが全然違う言葉なんてこともあるんです。
例えば、兵庫県で使われてる言葉しか知らなかったら兵庫県でしか行動もできないし兵庫県にしか溶け込むこともできません。こんな感じでカンボジアには言葉は話せて聞けるけど読み書きができない子どもがたくさんいます。
すると、道路標識が読めない、バス停の文字やバスに表示されてる文字が分からないから行き先がわからない、詐欺に遭う可能性がある、病気になった時に薬に書いてる文字が読めないことで正しく薬を飲めない、将来就ける仕事が肉体労働など限られるって感じで言葉を話す、聞く、読む、書くができなければできないほど社会に溶け込めなくなっていくんですよね。
できないってことは今僕が感じてるようなストレスをずっと抱えて生きていくことになるんです。これ経験してみたらわかると思いますがめちゃキツいですから。めちゃだるいしやる気奪われるんで。だから先日ガイドさんとまわって思ったのはまずは子どもたちが母国語をしっかりマスターする、その次に子どもたちが興味があると言ってた英語や日本語を覚えていけばいいなって強く思いました。僕も子どもたちと一緒にカンボジア語を学ぼうと思ってます。
僕らが当たり前にやってる話す、聞く、書く、読むができないことで起こる不便やストレスは半端じゃない。でもそれができない人たちが世の中にはまだまだたくさんいるってことです。そこにまずはこれから貢献していこうと思います。以上です。