11月拝観法話「取り返せないもの」
今年もはやいもので、年内最後の拝観日となりました。
泰勝寺へお参り下さり、有難うございます。
禅の修行道場には写真のような板木(はんぎ)が掛けてあります。
年末になると、板木に記された言葉を実感します。
生死(しょうじ)事大(じだい) 光陰可惜(こういんおしむべし) 無常(むじょう)迅速(じんそく) 時(とき)不待人(ひとをまたず)
板木は時間を知らせたり、何かの動作に入るための準備を知らせたりする度に打ち方も変え、一日に何回も鳴らされます。
板木で何度も戒める必要があるほど私達は、いたずらに時を過ごしがちです。
特に現代社会は時間を搾取しようとする様々な誘惑があります。
また、相対的に判断をしがちです。
その時に一旦立ち止まり今していることや、これからしようとしていることが、明日死ぬとしたら本当にするのか、見つめてみてはいかがでしょうか。
死をふまえ今を生きることで時間を無駄にすることを減らせ、また他人の価値に生きるのではなく、自分にとって何が大切か見えてくるのではないでしょうか。
そして死ぬつもり、つまり本気で物事に取り組めば様々なことを成しえることができるのではないでしょうか。
お金は失ったとしても取り返すことはできます。
一方で命、つまり時間は確実になくなります。
以上を踏まえ禅は「生死事大」と捉えます。
「光陰(時間)惜しむ可し」 時間はあっという間に過ぎ去って行きます。
一月に、年が明けたと思ったら、もう年末です。
一寸、一刻を大切にしなければ時間はあっという間に過ぎ去ります。
「無常迅速 時不待人」 この世はING、諸行無常です。
常住、常に存在するものは、何ひとつありません。
形あるものは壊れ、命あるものは亡んでいきます。
人生も長いと思っていても、確実に終わりに近づいていきます。
先日、元気だった母親が急に危篤の状態になった男性と話をする機会がありました。
いつも周りを笑顔にし、元気な方が、母親の状態を踏まえ落ち込み、元気な時にもっと母親と会話をしたかった、様々な後悔があると仰っていました。
しかし残酷にも時は戻りません。
その真理を踏まえ、私達にできることは必ず訪れる死をふまえ、一期一会、感謝の気持ちで今を存分に味わいながら精一杯に、日日是好日として生きていくことではないでしょうか。
その様な生き方が過ぎ去る時間や、人生に対する後悔の想いを少なくすることにつながるとのではないでしょうか。合掌
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