3月拝観法話『鮭(サケ)と鱒(マス)の成長の違いは、厳しい環境なり』
3月となり少しずつ春の訪れを感じる時が多くなってきました。
泰勝寺へお参り下さり、有難うございます。
私には辛い時や苦しい時に励みにしている禅語があります。
「刻苦(こっく)光明(こうみょう)必ず盛大(せいだい)なり」という禅語です。
「刻」には、骨身を削るような苦しみという意味があり、骨身を削るような苦労をしてこそ、光り輝くものが得られるという意味がある禅語です。
「辛」という字に「一」を足すと「幸」になります。今の辛い状況が、
幸につながると信じて、乗り越えることができるように精進します。
人生を振り返れば辛い状況が私を大きく成長させてくれました。
またその経験は今にして思えば、想い出深い時間となりました。
「今」の刻苦の捉え方や取り組み方が、豊かな未来を創造していくのではないでしょうか。
魚の鮭(サケ)と鱒(マス)の違いはご存知でしょうか。
鮭は川で産卵をします。
稚魚は海に出るものと川に残るものでわかれるそうです。
海に出ないものは川に残り海に出ないまま生涯を終えるのは「鱒」で、海に出たもの だけを「鮭」と呼びます。
大海原であらゆる試練と困難に打ち勝ち、生まれた川にかえってきた鮭は、川だけで育った鱒より、体の大きさにして十倍以上も大きさに違いが生じます。
井の中の蛙と大海に出て、荒波に揉まれたものとでは、稚魚は同じでもこれだけの違いが生じます。
「優しい」や「優れた」などで用いられる「優」という字は、人偏に憂うと書きます。人は憂うことを通じて優れたり、優しくなったりしていくのではないでしょうか。
南天の実は、冬が寒いほど綺麗に色がつくそうです。桜もまた、冬の寒さが厳しければ厳しいほど美しい花を咲かせます。
私たち人も同じように、悩みや苦しみを体験しなければ、人は大きく伸びないし、本当の幸福をつかむことはできないのではないでしょうか。
できることは日日是好日、今を精一杯に生きることです。
お互いに過去に捉われず、未来を憂えずに、今の目の前のことに全力で取り組んでいきたいものです。 合掌
令和五年 弥生吉日