人が「シンプル」に惹かれる理由とは?
シンプルに生きたいという願いを持っている人は多いですが、つい複雑になってしまうものです。
シンプルな生き方を始めるには、まず複雑にしないことが大事です。
複雑にしないためのポイントは「もの」と「人間関係」にあります。
「もの」が増えると複雑になる
たとえば服を選ぶのは、面倒に感じることがある反面、楽しみでもあります。服以外にも時計、アクセサリー、部屋に置く雑貨など、さまざまな「もの」は、生活を彩ってくれます。
あなたの生活で増えすぎているものはありませんか。捨てたいけど捨てられない。整理整頓が面倒。これは複雑になっている状態です。
ものは、最初は彩りやちょっとした楽しみであっても、どこかで執着になっていくのです。
「あー、あんな服があったらいいのに」と思うくらいが、丁度いいのです。不足を感じているぐらいが、複雑になっていない状態です。
これは食欲も同じですよね。「もう少し食べたいな」と感じているくらいが、身体には優しいもの。お腹いっぱい食べたときには、身体は苦しいのです。
不足が実は優しい。
満足が実は苦しい。
物を増やさないことは、「断捨離」などでよく紹介されていますよね。
これは人間関係も同じです。
会えないときほど、寂しく愛おしい。
これも不足感から生まれる豊かな感情です。
さらにシンプルを深めていきたいと思います。
人間関係を複雑にしない
「もの」より難しいのは、人間関係ではないでしょうか。人間関係が複雑になると重く暗くなり、シンプルになっていくと、人生は明るく軽やかになっていきます。
人間関係には、もちろん人数が影響します。多すぎると、周りからの影響によって振り回されたりします。ただ、糸が絡まるかどうかが左右されるのは、人数よりも、自分のあり方です。
あなたは、損得で考えていませんか。自分が得したい。あるいは損したくないというのは、相手の欲の琴線に触れます。普段はいい関係でも、欲というご縁でつながってしまうと、物事をややこしくしていきます。欲の駆け引きで、どれだけのエネルギーを浪費しているでしょうか。
ほとんどの場合、相手の欲得は批判しても、自分の欲得には気づいていないのです。自分は損していると感じているくらいが、いい塩梅です。欲から一定の距離をとるのは、相手との関係を複雑にしない秘訣です。
しかし、周りを見ても、自分が損していることは許せない人が多いです。特にお金や評価が絡んでいることで自分が一歩引くことには、かなりの人間力が必要です。
以前、禅の師匠から、「負けることが禅の修行」だと言われました。勝とうとはしていなくても、負けることは受け入れ難いかもしれません。
禅の修行を通して気づかされたのは、ここでの「負ける」は、相手に負けるということではありません。一番難しいのは、相手に負けることではなく、自分の中にある「勝つ」というエゴを手放すことです。
自分の中にある「勝たなければ許せない」というエゴから自由になることで、勝ち負けで複雑になっているご縁から離れるのです。
損得や勝ち負けから離れた人間関係は、非常にシンプルです。
複雑ではないから、いつでもその関係を終わらせられます。
人間関係がいつまでも続くというのは幻想です。「友情を続けたい」と思うのは人情ですが、状況も変わるし、人の心は「とき」とともに移り変わります。だから、いつでも終われるような状態であるかどうか、適度な距離がとれているかどうかを大切にしています。
ここまで読んで、あまりにも味気ないではないかと感じる方もいらっしゃると思います。
でも、それがシンプルということなのです。
「シンプル」は、どこかよいこと、気持ちよいことのように捉えられていますが、残念ながら、それは都合のよい解釈です。
楽してシンプルになりたいという考えでは、シンプルにはなれません。
シンプルになりたいというのも、ものを求めるのと同じ「欲」だからです。求めると、そこには期待が生まれ、必ず複雑になります。
シンプルへの道は、きれい事ではありません。複雑にしないという、欲や執着から離れる、決然とした覚悟がいるのです。これは、求めることとは真逆の方向です。
シンプルにするのは、自分の欲に逆行することです。欲のまま求めて生きる方が、相手のせいにできて表面的には楽かもしれません。
欲や執着から離れようとすると、いやがうえにも自分のエゴに向き合わされます。不快感や寂しさ、葛藤を通って、はじめてシンプルという境地が見えてきます。
あなたの中のドロドロした世界を通過するのは、結構、大変です。
ドロドロした複雑な世界を生きるのも人の道です。どっぷり漬かってみるのもいい体験です。私もずっと勝ち負けや損得にこだわって生きてきましたから、よく分かります。
人生の前半生は、それでいいのではないでしょうか。
ただ、人生には終わりがやってきます。後半生は、与えられた「いのち」をどう終えるかという道です。
もし、あなたが後半生に入っているとすれば、少しずつ「終わり」に向けたあり方を模索しはじめるときかもしれません。
私も40代に入ったあたりから、「終わり」を意識するようになりました。きっと人生も折り返しに入ったのでしょう。
いつ終わるか分からないから、だからこそ、その時々を大事に思えるのです。
思いのまま、求めるままに手に入れることだけが、必ずしも豊かさではないのです。少なくとも後半生においては。
やり残したことがないように、日々をやりきっていく。
これは旅行にいくとか、独立するとかといった、目に見えることだけではありません。あなたの「あり方」でやり残したことはないでしょうか。
人が「シンプル」に心惹かれるのは、この世の真実を見たいからです。それは、あなたの真実とも言えるでしょう。
複雑から眺めている人生の風景と、複雑から自由になっていく風景は違います。
あなたには、まだまだ可能性が眠っているのです。
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