気が小さくても大胆に生きられる?
「アメリカに挑戦したり、コロナ禍の中で食堂をはじめたり、赤野さんは大胆な決断をするね」と、ある方に言われました。
大胆???
自分の中には、まったくない言葉でした。
私はとても気が小さいです。
食堂の経営をしてみて、あらためて無茶苦茶細かいことが気になる自分がいることに気付かされました。
お金のこと、SNSでの評価、スタッフとの人間関係・・・あげればキリがありません。
こうしたことは、気にしても仕方がないことは分かっているのです。でも、心配なのです。とても楽しむどころではありません。
ところが、アメリカのときもそうなのですが、後から振り返ると、やってみてよかったと、いつも思うのです。
これまでの決断に、まったく後悔はありません。
恐らく食堂のことも10年後に振り返れば、やってよかったと思っているでしょう。
「それならば、なぜ今を楽しめないのか。こんなにいい挑戦をさせていただいているのに、もったいないじゃないか」
そんな声が自分の中から聞こえてきます。
あなたは大胆に生きたいですか?
私は、大胆に生きたいと思ったことはありません。ただ、やらなければいけないことはやるというだけです。私の役割だと思ったものは、引き受けています。
そういえば、アメリカに行ったのも、食堂をはじめたのも、人とのご縁がきっかけでした。そういうときの決断には、躊躇はあまりありません。後先考えず飛び込む自分が怖いですが。
与えられたご縁や試練には大胆になるのでしょう。
でも、それについていくのは、とても大変です。与えられた役割には、到底実力が及ばないからです。
最近、食堂を運営する中で、お金への意識が少し変わりました。
食堂では、おかずの組み合わせの工夫次第で500円あれば食べられるようになっています(ちなみに、実際に来られるお客様の1人あたりの平均は、750円くらいです)。
懐具合と相談しながら、10円単位でその日の品を選んでいるだろうなあというお客さんが結構、大勢いらっしゃいます。
食堂では、3回来店すれば100円引きになるスタンプカードを発行しているのですが、100円引きになるときは、さりげなく一品増やしていたりします。
日々の生活の中にある、ちょっとした贅沢は、心を豊かにしてくれます。
こうやって書くまで気がつかなかったのですが、100円の節約って、私も結構大事にしています。
先日は、久しぶりに平日に食堂が休みになり、昼ご飯を食べに出かけたのですが、財布の中身と相談しながら、メニューを選んでいました。
最近、油や小麦粉が急激に値上がりしています。食堂は、極力リーズナブルな値段でおなかいっぱい食べてもらうコンセプトなので、こうした食材の値上がりが利益を直撃します。
ただでさえコロナ禍で売り上げが落ちているのに、食材まで値上げとは。
50円、100円を大事にする日々です。安売りの広告を発見すると買いに走ったり、電気をこまめに消したり、極力余計な出費はしないように節約しています。
私はもともと気が小さいです。特にお金のことになると、昔からケチになるのです。100円で悩む自分って正直、好きではありませんでした。
でも、お腹いっぱい食べてもらうために100円を節約するのは、これまでのケチとは少し違うように思います。
これまでは気が小さいって、ダメな自分だとばかり思っていましたが、そうでもないかもしれません。
気が小さく臆病な私は、とても繊細です。感じることをさらに丁寧に観たり感じたりしていくと、そこには真理の世界が広がっています。
食堂の床にモップをかけながら、「本当はすごいことを成し遂げて、世の中に大きな影響を与えられるような人になりたかったなあ」と、ふと思ったりします。でも、私のような気が小さい人間には、大きな試練は無理だとも思います。
今、私に出来るのは、食堂を、お昼ご飯でお腹が満たされて、心があったかくなる場所にすること。それなら、私の小さな力をあらん限り振り絞れば、なんとかできるかもしれません。
私には、大胆さと気の小ささの両方が必要なように思います。大胆さは与えられた「いのち」を生ききる船頭さんのようなもの。自分でも予想できない天命にむかって舵を切ってくれます。
気の小ささは、傲慢さを戒めてくれるシグナルなのかもしれません。100円のありがたさを感じているときには、人の心に丁寧に寄り添っていくことができるように思います。
運命には大胆に。
人の心には繊細に。
何歳になっても100円の大事さを感じられる自分でありたいです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。どんな感想を持たれたでしょうか?
今回のテーマを書き始めたとき、まったく何も答えはありませんでした。自分の中に湧き上がってくるイメージをただ追いかけていったのです。
言葉にするとは、どういう行為なのでしょうか。
最近、皆さんにご紹介している若松英輔さんの言葉を借りれば、「人は単に考えを書くのではなく、むしろ書いてみてはじめて、自分が何を考えているのかをしる」そうです。
書くことは自分を知ること。
これまでnoteの記事を書いてきて、最初から何か答えらしきものが見えている回もありました。
しかし、最近は自分を探しながら書いています。
何が生まれてくるのか分からない中で、ただ声を聴く。それを言葉にしていく。
そして、新たな自分に出会っていく。
書くことを通して自分を知っていくのは新鮮です。
あなたもテーマを決めずに、ただ何かを文字にしてみてください。
そしてこれも若松さんの請け売りですが、もし書くことができないと感じるなら、「書けない」と書いてみる。どう書けないのかを書いてみる。それも大事なあなたを知っていく言葉なのです。
書かれた文字からあなたが見えてきますよ。
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