
試練との付き合い方 「目覚め」へのターニングポイント
前回の記事に引き続き、信仰とコーチングについてお伝えします。
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前回の記事はこちら「信仰とコーチング あなたの人生のテーマは?」
あなたには、以下のような葛藤や問いがないでしょうか。
・どこか満たされない思いへの疑問
・生きる意味への問い
・苦しさをどう克服すればよいか
・空虚な自分への葛藤
・死への恐怖
私の場合は、物心がついた頃から生きる意味への疑問がずっとありました。それが大人になる中で、生きることに一生懸命になり、もともとあった問いを一時的に忘れていました。
葛藤や問いは与えられるものです。そして葛藤や問いは、新たに湧いてくるものでなく、生まれ持ってその人に与えられたものではないかと思います。
一時的に忘れていたとしても、必ずどこかで思い出すときがきます。それが人生のターニングポイントです。
私にとっては、会社員だったときの挫折がターニングポイントでした。そして、何かに導かれてコーチという道に進むことになりました。
コーチの仕事は、シンプルに言えば、話を聴くことです。
ただ、これが本当に難しいのです。最初は、まったく話を聞けないところからスタートしました。相手をよくするためにどうすればよいか。ジャッジとアドバイスで心がいっぱいだったのです。
コーチングは、私にとって禅の実践といえます。
セッション中は、次のようなことを意識しています。
・聴ききる
・委ねる(変化させようとしない)
・待つ(ときの力を借りる)
・信じる
・ジャッジしない(ありのままの姿を見るように心がける)
・主役はクライアント
・受け入れる
・ご縁に導かれる
聴く、待つ、委ねる、受け入れる、ジャッジを手放すというのは、まさに禅の修行と同じです。
禅とコーチングに共通しているものがあります。
それは、受動的なあり方です。
若い頃は、何かを成し遂げようと生きていました。努力し頑張って生きる手応えを得たいというのは、能動的なあり方です。
能動的に生きるとは、以下のような感じでしょう。
先ほどの受動的なあり方と比較しながら見てみてください。
・積極的に行動する
・前向きに人生を切り開く
・懸命に伝えようとする
・相手や状況をコントロールする
・すぐに行動する
・ジャッジする
・的確な評価をする
・自分の正しさを主張する
・相手に受け入れてもらうよう説得する
非常にアグレッシブな生き方ですね。若いときは、何者かになることをめざし、高い目標を達成し、自己実現に向かって突き進めばいいのです。
問題を解決し、課題を乗り越えていけるとき、それはまだ人生の前半生といえます。
しかし、乗り越えられない問題に出会うときがきます。それが後半生へのターニングポイントです。
葛藤や問いと同様に、試練も与えられるものです。試練がやってきたとき、そのときは挫折と感じるかもしれません。自分の無力さに心折れるかもしれません。
ただ、そもそも解決できないのが試練なのです。解決できる範疇を超えているともいえます。与えられた試練をどう受け取っていくかが重要だと思います。
試練がやってきたときは、それまでのやり方では、まったく上手くいきません。自分の思い通りにならないことを受け入れ、こだわりや執着を手放していくことが試練には必要だからです。
私の場合、人の話を聴くコーチングをするようになったのは、能動的あり方から受動的なあり方へのパラダイムシフトでした。自分のこだわりを手放し、相手の心をありのまま受け取るという修行が必要だったのです。
自分の中にあるジャッジを手放せるほど、クライアントさんの世界はどこまでも広がっていきます。逆にいえば、コーチの世界が窮屈であるほど、セッションは小さくなっていきます。
また、クライアントさんのことを待てないときがあります。つい、沈黙に耐えきれず、先走ってアドバイスしてしまうのです。すると、お役に立とうする気持ちが、クライアントさんが自ら体験する機会を奪ってしまいます。沈黙を味わうのが大切です。
コーチは正解を持ちません。クライアントさんがAに偏っていれば、偏っていることをフィードバックします。Bに偏っていれば、偏っていることをフィードバックすることで、Aに戻ることもあるでしょう。正解はAかBかではないのです。AかBかという答えを求める心を超えたところに真の気づきがあるのです。これは禅の中道の実践です。
ジャッジを手放して話を聴いていると、自分という意識は消えていきます。これは坐禅に似ています。無心に近い状態と言えるかもしれません。
クライアントさんとのセッションでは、常に私自身のあり方が試されています。クライアントさんが、コーチとしての軸を育ててくれました。教師は生徒に育てられると言いますが、コーチもクライアントさんが育ててくれるのです。
そして、コーチとしてやってきて15年がたち、思わぬご縁がやってきました。
食堂です。
正直なところ、食堂事業は苦しいことが多いです。「コーチだけをやっていた方がどれだけシンプルで楽しいだろうか。食堂をやらずに済めば、こんなに楽なことはない。でも、ご縁をいただいた。だから、やるしかない」という気持ちです。
一般的なコーチングでは、やりたいことや楽しいこと、心の中にある「ワクワク」を探していきます。もちろん、ワクワクはモチベーションになります。
ただ、「楽しい」「やりたい」だけでは、真の人生のテーマに辿り着けない人もいます。
一方で、試されることがあります。受けざるを得ない試練と言ってもいいかもしれません。
「なぜやるのか理由はよく分からないが、ご縁がやってきているから行動せざるを得ない。目的(人生のテーマ)が自分の手を取ってくれている」この感覚があなたにあるとき、「信仰」が導いてくれているといえます。
理由がないことに踏み出すとき、何も拠り所がありません。自分の力ではどうしようもないとき、信仰心が現れます。
私はずっと生きることに力が入りすぎていました。頑張ることしか知らなかったのです。しかし、試練に立ち向かうほど、抵抗が大きくなります。この抵抗が苦しみです。
何かを成し遂げないと、生きている意味がない。
絶対に人に負けたくない。
自分の力を証明したい。
生きようとする力みが苦しみを作り出していました。抵抗していたのは、自分の心だったのです。
試練の波に抗うのを諦めたとき、スッと力が抜けるときがきます。自分を支えてくれている力に気づきはじめます。
いかにご縁に委ねることができるかがポイントです。こわごわでもいいのです。諦めて委ねるのがご縁の旅のスタートです。
誤解が無いように申し上げると、私は特定の宗教に帰依しているわけではありません。禅がいいなあと思うのは、何か絶対的な正解があるのではなく、すべては坐禅にあるところです。坐禅の中からいかに気付く心を育てるかが大切なのです。
坐っているときだけが坐禅なのではありません。日常の生活の中でいかに坐禅するかが大切だと感じています。
私の場合は、話を聴くことも坐禅です。食堂も坐禅です。一言でいえば、両方とも信仰の実践です。
といっても、なにか正解があるわけではありません。受け取る心でいると、どこからか気づきがやってきます。この気づきがご縁の旅の羅針盤になってくれるのです。気づきがやってこないと、試練という嵐の中で、船は難破してしまいます。
ここで申しあげる「気づき」とは、仏教でいう「智慧」であり、キリスト教でいう神の啓示かもしれません。
必ず声はやってきます。ただ気づきの声は、とても小さいです。心が澄んでいないと聞こえてきません。私自身、日々声を聴く修行をしています。
不思議なことですが、食堂の実践で、まったく関係がないように思えるコーチングに新しい風が吹き込んでいます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
試練は一つ乗り越えたら終わりではありません。試練に終わりはないのだなあと思います。
試練に向き合っていると、さまざまな自分に出会います。苦しいことも多いですが、今までに出会ったことがない体験の中で、日々が新鮮に感じられます。何気なく見上げた空に浮かぶ雲や、夕日の一瞬がすごく美しく感じることが増えてきました。
結果的に、今が豊かになってきたのです。
試練はそもそも解決できるものではないとお伝えしました。試練はあなた自身だからです。
あなた自身に気づけるかどうか。それを「目覚め」と言います。
人に嘘をつくことはできても、あなた自身に嘘をつくことはできません。こういうと厳しいように感じるかもしれませんが、逆にいうと嘘がつけなくなったとき、もうあなたは目覚めているのです。信仰の道がはじまっているのです。
今あなたは前半生でしょうか。それとも後半生へのターニングポイントに立っているのでしょうか。
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