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子どもがのびのび生きるための唯一の子育てルール。18歳までに家を出ること。

こどもが産まれる前から決めていた我が家唯一のルール。

"18歳までには家を出ること"

その後にもし戻ってきたかったら戻ってきてもいい。でも、必ず一度は家を出ること。

この我が家唯一のルールは、ぼくの子どもへのこんな願いからきている。


子どもへの願い。自分の身体を、感覚を大事に生きていけますように。

自分の感じたこと。楽しいとかうれしいとか、わくわくする、いい感じとか、反対に、嫌だ!、やな感じ、悲しい、苦しいとか。

自分の身体で感じたことを大事に生きて欲しい。自分の身体で感じたことをちゃんと感じ取って生きていって欲しい。

これが、ぼくが子どもに願うこと。

そして、そうやって生きていくためには、家を出るってことが必要だって考えてる。

もっというと、

子どもが自分の身体を、感覚を大切に生きるためには、親から離れる時間が必要

って思ってる。

なんでかっていうと、

親は無意識のうちに、子どもにあるべき姿を押しつけてしまうから

4歳と1歳の子どもを持つぼくは、こうあらなきゃいけないとか、こうしないとだめだとか、これが正しいとか、そういったものを押しつけないように普段から努めてる。

それはもちろん、自分自身に対しても。

子どもの感じたことがとっても大事で、それを表現してくれることがめちゃめちゃうれしい。

それでも、ぼくは子どもにいろんなものを押しつける。そして、その子の感じていることを抑圧する。

いやいや!わたしはしてない!!って親もいるかもしれない。

だけど、なにも押しつけないなんてそもそも不可能なんよ。それは親自身もたいてい気づいていないし、だからこそ無意識で行われたりする。無意識じゃなくても、「仕方ないよね…。」と押しつけてしまうことだってある。

無意識に今こどもに押しつけていることの例

たとえば、保育園。ママとパパといたいであろう子どもを、仕事のために預ける。
そりゃそーだよ仕方ない。でも、これは、仕事のためには自分の気持ちは無視されて仕方ないって価値観を生むかもしれない。それも無意識のうちに。

保育園に預けようと思ったたら、時間を守らないと行けない。朝起きる時間だって決まってくる。
集団や組織の決まりは自分の気持ちより優先されるって価値観を生むかも。

車が通っていて外は危ない。だから一人で外に出ちゃいけない。
世の中は子供が遊ぶことなんて二の次で大事なことじゃないんだ、子どもが我慢するもんだって価値観を無意識に植え付ける"かも"しれない。

どの例だって日本に暮らしていれば当然のようにみんながやっていること。当然のように無意識でやられていることなんて山ほどある。

子どもがのびのび育つよう何も押し付けないなんてことは、どんなに気をつけようと土台無理な話なんだ。

そして、

親や社会が無意識に子どもに押しつけたことを、子どもが自覚するのは難しい

あまりに当然すぎて、あまりに普通になりすぎて、

「これおかしくない?しんどくない?」

ってことに気づくことができない。押し付ける側が気づいてない無自覚のことであればあるほど、子どもがそれに気づくのは至難だ。

子どもは無意識に自分の感じていることを押さえつける。

でも、気づく方法がひとつある。

それは、

親や社会から距離を置くことで、押し付けられたことが自覚できる

押しつけられるその渦中にいて、自覚するのはめちゃめちゃ難しい。

でも、そこから離れたら、距離を置いたら、

「あれ?これおかしいんじゃない?」
「これまで当然だと思ってたけど、違うんだ!」

ってことに気づける。自分が我慢したり押さえつけて普通だと思っていたことが、実は普通ではないことに気づく大きなきっかけになる。

そうして、自分の感じたことを大事にできたとき、その子はその、普通だとか当たり前から解放される。

もっと自分らしく、のびのびと生きることができる。

やっぱりそれには、親とかこれまでの社会から距離を置いて、いろんなところへ行き、人と出会うことが必須だと、ぼくは思うんだ。

ルールなんて言ってるけれど…

18歳までには家を出ること。

我が家の子育ての唯一のルールなんて言ってるけれど、時が来ればそんなこと伝えずとも勝手に子どもは外へ出ていくだろう。

親や社会からの変な圧力さえなければ。

そういうもんだと思う。

そしていろんなものを見て人と出会い、その子がよりのびのびと生きる姿を見れることを楽しみにしている。

それまでは、ぼくの目が届く範囲で、できる限りで、全力でこの子たちがこの子たちの感じたことを大事にできるように手伝い、時に守っていきたい。

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