受験生だったあのころ、ぼくは真っ暗な中を綱渡りしていた。
受験生だったあのころ。まるで真っ暗な中を綱渡りしているかのようだった。
踏み外したが最後。奈落へ落ちて、人生終わりなんだって、そう思ってた。取り返しががつかない、ひどく惨めで辛い人生になるんだって、本気でそう信じてた。
今はそう思わない。でもあの時の自分は、どうしてそう思いつめ、何に怯え、楽しくもない勉強に身を投じたんだろう?
その記録。
このままじゃ人生終わると思った高校3年生の春
高校受験で入学したのは進学校。1年でさっぱり勉強についていけなくなって、高校3年春まで死んだような目をしてた。そして受けた模試。
ほんとにな~んもわからなくて、
「②が3回も続くようなことはしないよなぁ。」
なんてことしか考えることがなく、適当にマークシートの穴を埋めるしかなかった虚無な時間。
どえらい結果が出てきて、
「だめだ。このままじゃ人生終わる。」
なんとなく、漠然と、そんな不安がぶわっと噴き出して、すっぽりと自分を覆った。そして、必死で勉強して、地方大学にほんとになんとか引っ掛かり合格した。
合格した時のぼくの気持ちは「うれしい!」じゃなく安堵だった
合格がわかったときの気持ちは、15年ほど経った今もよく覚えてる。どうせ落ちてるだろ。後期の参考書を片手に見た受験番号。
「あーー終わった.…。よかった…。」
自分の受験番号を見たときのその感情は、うれしいとかじゃない。体から力が抜けるような、重たーい荷物をやっと降ろせたような、そんな感じ。
ずっと追われたいたものから、命からがら逃げ切れた。かろうじて奈落の底に落ちずに済んだ。人生終わらなかったってことに対する安堵。
…なんだこれ?なんなんだったんだこれは?
受験勉強の原動力は不安
今となってはあの頃の自分をこう思っている。狂っていたんだって。文字通りの死に物狂い。自分を見失って死に物になって狂ったんだって。
受験勉強中、その原動力は不安だった。
うれしい!とか、おもしろそう!とか、そんなもの微塵もない。ただただ、落ちたら終わる、その不安だけで走り抜けた。
この自分を狂わせた不安の正体は一体何だったんだろう?
楽しくもない、やりたいわけでもない勉強に、やらなかったら死ぬんだとまで思わせたこの不安の正体とは一体何だったんだろうか?
受験に落ちたら死ぬ。この不安の正体。
いろんなところへ行き、いろんな人と会った今だからこそやっと思える。受験勉強で結果落ちたとて、死にはしないって。
でも、あの時のぼくは、受験に落ちたら仕事もつけるか分かんなくて、給料も微々たるもの、結婚なんかとても無理で、過酷で、日々暮らしていくのがやっとでくたびれていく。
そして、みじめな思いをして、さげすまされて生きていくことになるんだと、そう思っていた。
そう。
おそらく、不安の正体は、これだったんじゃないかな。
誰かに見下され、虐げられながら生きていくことへの恐怖。
これが受験に落ちたら死ぬと思い、あのころ死に物狂いで受験勉強をしたぼくの原動力。
じゃぁ、この不安はどこから来たんだろう?だれに思い込まされたんだろう?あの頃の小さな世界で生きていたぼくに、この”常識”を吹き込んだのは、誰だったんだろうか?
それはまた次のお話。